穏やかさとパワフルさを持ち合わせた半崎美子さんの歌声

 

初めて半崎美子さんの歌を聴いたのは、2013年のことだった。

父と行ったショッピングモールで、ライブが行われるというアナウンスを聞き、見に行こうかと大広場の石段に座って、歌を聴いた。

パフォーマンスを見たり、アーティストの歌を聴くことが好きで、出掛けるとよく立ち止まって見ることはあったけど、始まるのを待って、そして最後まで聴いていたのはその時が初めてだった。

「希望の桜」リリース記念で行われていたイベントで、ポスターの優しく鮮やかな桜色と半崎美子さんの横顔の写真がとても印象に残っている。

 

そのショッピングモールで初めて、半崎美子さんの歌声を聴いた。

「希望の桜」を聴いた時、言葉にできず一人で抱えていた感情をすっとすくい上げられたような気持ちになった。

十代だった私は、押しつぶされそうな不安と一人で戦っていて、まだ殻の中にいた。「希望の桜」の歌詞は、自分でもどうしてなのか分からないまま傷ついていた心に、浸透していった。 

あなたの心がそこにある限り

必ず笑える日が来る

誰にも奪えないその心に

また同じ景色を呼び戻そう

自暴自棄な心境を、そういう感情の時もあると肯定できたのも、それでもきっと抜け出せる日が来ると思えたのも、この歌をあの時に聴いたからだった。

歌声を聴いて、こんなに包容力のある声があるだろうかと思った。綺麗な声で綺麗な歌を聴いても心は動くかもしれないけれど、半崎美子さんの歌声は、痛みを知っている声のような気がした。

「希望の桜」はアップダウンの激しい歌ではなくて、序盤は特に抑えて歌う部分が多い。けれどその抑えた声が耳に残る。声が泣いていて、歌に溢れるほどの思いが込められているから心を揺さぶられるのだと感じた。

抑えて歌うことができるのは歌唱力がしっかりと築かれているからで、きっと洋楽のようなソウルフルな楽曲も似合う声だろうなと思いながら見ていた。低音のハスキーさのある落ち着いた声色が、とても印象的で好きだなと思った。

 

ライブが終わって、CD販売があった。

その頃の私はとにかく引っ込み思案で、自らそんなコミニュケーションに向かうようなタイプでは決してなかった。

でも、この歌のCDが欲しいと思った。お買い物に行くからと持っていたお小遣いを使ってでもCDを持って帰りたかった。列に並び、自分の番が来た。

さっきまで歌を聴いていた人がすぐそこにいて、目を見てお話しをできるなんて、緊張して仕方がなかった。緊張のあまり何を話したかは覚えていない。どちらかというと父が色々話していて、私はまた父の後ろという感じだったようにも思う。

それでも、まっすぐに半崎美子さんが向かい合ってこちらを見ていてくれていたこと、会話に慣れていない私の話を聞こうとしてくれていた景色は今も覚えている。あの時の写真が今でもケータイには入っていて、それは私の宝物になった。

最近、部屋を整理していたら、当時のフライヤーとイベント案内がちゃんとファイルに入って保存してあったのを見つけた。

 

HMV限定シングルだったらしい「希望の桜」のCDには、「不等号」と「おいていかないで」という曲も収録されていた。

「不等号」が私はすごく好きで、歌詞に出てくる、全く素直じゃない彼女の心の声が好きだった。

この「不等号」という曲での歌声は、「希望の桜」などの穏やかな印象から変化して、パワフルでスピード感のある歌声になっているところも好きなポイントだった。

ipodにも取り込んで、これまでも曲は聴いていて、特に「不等号」には何度ふがいない自分を励まされていたか分からない。また上手く言えなかった…本心を抑え取り繕ってしまった…と後悔するたびに、この歌を聴いて、なにくそー!と思っていた。

 

自分にとっての半崎美子さんとの出会いから9年が経ち、ふと立ち寄ったTSUTAYAで新作コーナーを眺めていると、“半崎美子”という文字を見つけた。

「うた弁」というタイトルの、お弁当の写真が特徴的なそのCDを手に取ると、『メジャーデビュー初のミニアルバム』と紹介文が書かれていた。

思いがけない場所での出会いに、懐かしいあの時の空気や様々な記憶が蘇った。

初めて見たライブから、また見に行けたらいいなとホームページを見てはいたけれど、まだ当時は一人で出かけることにも臆病で、近くの会場に来てくれたらいいなと思いながら待っているだけだった。

そうこうしているうちに月日が経ち、あの時のお姉さんがメジャデビューを果たすという知らせを、私はあの場で初めて知った。

 

メジャーデビューを知ってから数日後、テレビを見ていると次週の番組予告が流れた。

それは日テレの「深イイ話」の次週予告で、そこに映っていたのは半崎美子さんだった。一瞬でわかった。変わりなく、ショッピングモールでCDを手渡すその姿とその声に、半崎美子さんだ!と声をあげて父に知らせた。

番組はもちろん、しっかり録画をしながら見た。すごいな…本当にメジャーデビューされたんだな…と思っていると、間髪入れずに、更なる驚きが待っていた。

 

2017年6月18日放送の「関ジャム完全燃SHOW」で、蔦谷好位置さん、いしわたり淳治さん、tofubeatsさんの3人が紹介する上半期ベストソングという企画の中で、いしわたり淳治さんがなんと半崎美子さんの曲「お弁当箱のうた〜あなたへのお手紙〜」をランキング内で紹介されたのだった。

毎週食い入るように見ている「関ジャム」に、半崎美子さんの曲が流れている。

もう、感動という次元ではなかった。驚きすぎて、嬉しすぎて、口に手を当てて固まるしかなかった。

しかも紹介していたのはいしわたり淳治さんで、言葉の紡ぎ方に心を掴まれて自分の尊敬している方が、この曲がいいと紹介をされている。いしわたり淳治さんの言葉で。そしてそれを関ジャニ∞が聞いている。なんて凄いことなんだと、衝撃が収まらなかった。

 

この時の紹介を聞いて初めて、NHKみんなのうたで「お弁当箱のうた」が流れているということを知った。私が勝手に嬉しいなと感動したのは、いしわたり淳治さんが着目した点が「お弁当箱のうた〜あなたへのお手紙〜」に込められたメッセージと曲そのものへの魅力についてであったことだった。

歌を聴いていると涙が溢れることも、ショッピングモールで歌い続けることも、半崎美子さんの魅力であり努力であるけれど、それだけではなく、半崎美子さんの曲そのものと歌声にどれほどの魅力があるかということを純粋にシンプルに伝えてくれた、いしわたり淳治さんはやっぱり事の本質を見抜く方だと、嬉しい気持ちでいっぱいになった。

 

あの時から音楽は好きで関心を持っていたけど、まだ自分なりの自己表現の仕方を見つけられずにいて、あの頃はライブ写真を撮ることを仕事にしたいと思っていた。

今も写真が好きで、人物写真を撮りたいという思いは持っているけれど、こうして文章を書くことを見つけて、今はそうした形を通して音楽やエンターテイメントを創る過程に携わりたいと考えるようになった。

こうして自分の文章で半崎美子さんの歌について思いを綴る日が来るとは想像もしていなかったけど、もっと胸を張れる自分になって、また半崎美子さんの歌を聴きに行けるように。

半崎美子さんが歌い続けてきたこれまで、そしてこれからを見つめていく一人に私もなりたい。

関ジャニ∞が魅せるオールディーズファンク「DO NA I」

 

余裕のあるキザさ、主役は俺だと張り合うミュージカルのようなストーリー性。

ありとあらゆるツボを押さえられて、関ジャニ∞のアルバム「ジャム」のなかでダントツに好みなのが

蔦谷好位置さん作曲、いしわたり淳治さん作詞の

DO NA I」[どない]

 

曲のタイトルを聞いた時は、タイトルは…どない…?これは一体どんな曲になるんだろうと楽しみ半分、ドキドキ半分だった。タイトルからして、関西弁コテコテ曲になるのではと思ったりもした。

 

ラジオで聴いた初解禁。なんだこのコントラストの強さは…!という衝撃。

MVを見たっけ?と思うくらいに、歌っている景色が見えた。

次から次に入れ替わるリードボーカル。メンバーのこんな歌声聴いたことない!という驚きの連続で、こんなにグルーヴ感のある、ダンディーさと色気のある声をそれぞれが持っていたんだと思った。

色が視覚的に見えるようで、この声は横山裕さん、この声は大倉忠義さん、と顔がはっきり思い浮かぶ。バッバッっと主役が入れ替わっていくような動きさえも、音で表現されていた。

聴いていて思い浮かんだイメージは、観客である“自分”を主軸のカメラに位置付けるなら、ダンスフロアで関ジャニ∞にぐるーっと囲まれ、長回しのカメラワークでそれぞれのアピールを見せつけられているような。そんな感覚。

 

関ジャムで見せてくれた制作過程は本当に興味深かった。

「DO NA I」を作る際のイメージが『 ’80s 』そして映画「SING」のエンディング曲になっていて、アリアナ・グランデスティービー・ワンダーがコラボした「Faith」のような曲にできたらと蔦谷好位置さんご本人が考えていたと聞けたことが凄く嬉しかった。

映画「SING」は2度観に行って、大好きな映画だった。映画館に行ってエンドロールを見ていて初めて、音楽監修に蔦谷好位置さんが携わっていたこと、日本語歌詞にいしわたり淳治さんが携わっていたことを知って、関ジャムで見たお二人じゃないか!と感動していたこともあり、今回、関ジャニ∞への楽曲提供があると知った時も、飛び上がるほど嬉しかった。

そうして聴いた初解禁の日、「DO NA I」を聴いて真っ先に思い浮かんだのは、「Faith」みたいだ!という感覚だった。

そういう曲を、関ジャニ∞が歌ったとしたら…と蔦谷好位置さんがイメージしてくれたなんて、こんな夢の組み合わせはない。関ジャニ∞に、このような曲調をプレゼントしてくれるのは、‪関ジャム‬で関ジャニ∞をそばで見てきた蔦谷好位置さんだからこそだと思った。

あの映画館で聴いて、リズムに乗らずにいられなかった洋楽のムードを引き継いで、それを関ジャニ∞が歌っている…!

あの時に感じた感覚が間違っていなかったということを、関ジャムで知ったことも嬉しかった。ラッツアンドスターっぽさもあると感じたから、今回はダンス曲というオーダーだったけれど、スタンドマイクに白手袋の衣装もいいな…なんて思ったりした。

 

ベース音から入って、しばらくリズム隊だけで曲を支える。

そこにメンバーの声が入ってきて、まるで楽器のように主旋律を奏でていくのが格好良くて。声が、何よりの楽器になっていた。

曲を通して刻まれるベースのビート音と、決め所でバッっと音が止まってボーカルが目立つメリハリ。声と音の息の合い方が面白いくらいぴったりだった。気にかかるズレが1つもなくて、耳心地がいいというのはこのことだな…!と思うくらい、感覚が狂いかけたら耳のヒーリングに聴きたくなる曲。

あまりに曲のクオリティがボーカルにかかっているので、自分はカラオケでは決して再現できないなと早々に諦めた。

日本の曲のように起承転結がある構成と違い、決まった基本のリズムと繰り返されるリフは、少し違えば単調で退屈に聴こえそうなものだけど、くるくると表情の変わるメンバーの歌声と、シンプルな中にある癖になるリズム感が、心を掴んで離してくれない。

最後まで連れて行かれて、気がつくと1曲が終わってしまう。あ、もう終わっちゃった…と思い再度リピート。この繰り返し。そのうち自分のiPod再生ランキングで1位になるんじゃないかと思う。

 

詞がつく前の仮歌の時点で既にイメージが見えてグルーヴ感が伝わるのは、蔦谷好位置さんが敢えてデタラメ英語で仮歌を入れているからこそなのだなと実感した。確かに関ジャムで話されていた通り、らららでは、この曲のがなりみたいなものが上手く伝えられないなと思った。

蔦谷好位置さんから関ジャニ∞へ宛てたメールには、ボーカルのキーのことまで細かく説明してあって、“シャウトをしてほしい”というオーダーも書かれていた。

この“シャウト”こそ、「DO NA I」に自分がグッときているポイントで、ここでその意図が関ジャニ∞へと伝えられていたんだと感動した。さらに、いしわたり淳治さん宛てのメールには、“ハイトーンにいく部分の母音はシャウトしやすい音を意識してください”と書かれていて、楽曲制作の際にそこまでこだわり、音をとことんまで考えているということを知り、驚いた。

盛り上がりを作りたいという関ジャニ∞側からのオーダーには、“オケというよりは歌で盛り上げたい”と蔦谷好位置さんは答えていて、その意図が存分に完成した曲に表れていると感じた。

オケの音も重厚感があって魅力だけど、何よりこの曲の魅力は、メンバーそれぞれの声にある。

 

格好いい渋さのある流れからきて、音程がちょっと落ち着くところで、

イイトコなしの Everyday

という歌詞がくるところが、最高にいい。 

格好よく余裕たっぷりな感じなのに、“いいとこなし”という要素が歌詞に入るところに、らしさを感じる。新しい関ジャニ∞の一面も、今まで通りの一面も伝わる安心感がある。

でも「DO NA I」は、これまでの曲で見ていた情けなさが可愛らしい主人公のイメージとは違い、やっぱり一段上を歩く大人の男性の印象。

助け出すぜ かならず

という歌詞を歌う錦戸亮さんは最強に信頼できるスーパーマンで。錦戸さんの少しかすれたスモーキーな声が、「DO NA I」の’80sな洋楽の雰囲気にしっくりきていて相性が完璧だと感じた。

この部分と「惚れさしたるぜ」の部分は語尾が標準語になっていて、標準語と関西弁が行ったり来たり混ざり合っているのに、それが自然に聴こえて、くすぐったさは無いように思う。どちらともの良いとこ取りで、そのさじ加減はいしわたり淳治さん流石の言葉選びと組み立てだと思った。

 

長い月から金の出口のない

その迷宮 Take You! 迷宮 Take You!

と歌うのも、一週間をテーマにした曲は数多くあるけれど、短い言葉で、さらっと言い表した素敵な詞だと感動した。月と金だけをピックアップすることで、間の毎日の途方も無い長さを一層感じて、“出口のない”という一言で、もがく日頃のうっぷんを表現していて、本当にすごいと思った。

歌詞の中で出てくる、“ウィークエンド”という言い回しも好きで、週末と言うと、なんだか落ち着いた感じがするのに、ウィークエンドと言うだけで明るい気分になる不思議があって、この単語が気に入っている。

 

「イイトコなしの Everyday」で『E』を印象付けた後に、「A to ZのEverything」とくる英単語の遊び心も歌詞カードを見るとさらに感じることができて、いしわたり淳治さんの作詞は聴いても見ても楽しい。

村上信五さんのラップパートで「スベればスベったで Tasty」という言い回しがあるのも格好よくて、ニュアンスとしては“それも味でしょ?”とか“味わい深い”という意味合いになるのかなと思うけれど、そんなセンスの良い言い方ありますか…と憧れのため息が出る。

村上さんの持つパブリックイメージも見せつつ、実は

振られりゃヨゴレも演じる全部 Entertain You

なんだから、ぐうの音も出ない。あなたのためにエンターテイメントを、なんて言われたら、惚れ続けるだろうと思う。ある意味、皮肉交じりなところも洒落ていて素敵。

ラップに入る前に、メンバーが思い思いに言葉をかけているのだけど、何度聴いても丸山隆平さんだけ「あばばば」と言語化できないエールの送り方をしているのが最高に面白い。一緒に言いたくなる「(Oh Yeah)」の合いの手も、ライブでどんな盛り上がりを見せるんだろうと今から楽しみで仕方ない。

 

「ほらいい顔してる」の歌詞のところや、安田さんの高音ハーモニーのところで伸ばしている音が次の音に潰されずにしっかりと聴こえるところが凄く良かった。音葉の語尾を、機械的にフェードアウトさせたり、バツッっと切ったりせずに、最後まで声が聴こえて綺麗だった。

大サビの「DO NA I…」のところでは、3回目から高音のハモりに錦戸さんが入って、その一つ後、4回目から安田さんが加わってボーカルに厚みが増す演出が素晴らしいと感じた。

 

大倉さんの低音ボイスが大活躍している曲が好きで、「ナイナイアイラブユー」や「罪と夏」など、低音がなくては成立しない曲が好きだった。なので「DO NA I」での大倉さんの素晴らしい低音は何度聴いてもいいなあと聴き惚れてしまって、さらに横山さんとの声のハーモニーが良く、曲の始まりから堪らない。

主旋律の後ろに被せるコーラスも、“パッシュバッ”という一見古く感じそうなコーラスでも、今の曲として格好よさを保って成立している凄さを感じた。

「DO NA I」では、渋谷すばるさんが高音を張るというより、低めの自然なトーンで歌っているのも新鮮で、そこに「惚れさしたるぜ かならず」の“ず”で、上がる音程が聴こえて、これだ…!とテンションが上がる。

 

そして今回の「DO NA I」で大好きなのは丸山さんのボーカル。

ラジオから聴こえてきた時の衝撃は今でも忘れない。優しい声色の印象を感じることが多かったこれまでを全く一新するような、がなりの効いたシャウトがかなりのギャップで、丸山さんのこんな歌い方聴きたかった!とトキメキが止まらなかった。「イッツマイソウル」での丸山さんパートが好きな方ならこれは堪らないはず。

丸山さんは『ん』の音でがなることのプロだと思っていて、無音になりそうな『ん』の音でさえ情感を乗せて聴かせる魅力がある。

だめだ Pretty girl いいボケが浮かばない

のところでも“だめだ”の前にがなりが入って、“浮かばない”の『ば』と『な』の間に、『ん』が入る。

“月から金の 出口のない”でも、『ん』が入る。丸山さんの、このがなりスイッチがオンになった時の音の取り方が凄く好きで、この音に当たると気持ちが良いという勘が鋭いのだろうと思う。

欲しいところにパンチが決まるドラムみたいに、決め所が完璧な丸山さんのボーカル。とにかく、この曲の丸山さんの歌い方と声に終始心を掴まれた。

 

ダンスも、膝を上げながら後ろに下がる振り付けや、“助け出すぜ”のところで手のひらをスライドさせる動きが、ダサくはならずに昔ながらの良さと今のポップさとが融合していて良かった。

さらに、“やばい Pretty girl”のところで安田さんは前を向いて、ほかのメンバーは背中を向けてグッとグーサインを右上に挙げるのが、堪らないダンディーさ。

そしてラストの、誰が前に来るのか分からない変則的な動きから、いつのまにかバッっと安田さんがセンターに!という振り移動がグッとくる。決まっている安田さんのドヤ顔が最高だった。

 

『格好つける』という意味合いの幅が、ここにきての関ジャニ∞だからこそ、どんどん広くなっているように感じる。

徹底的にキメキメでいく良さも勿論あるけど、私は今の関ジャニ∞が魅せる、すこし肩の力を抜いた遊びの部分を持ちながらの格好よさがとても素敵だと思う。

若さから溢れる『格好いい』とも違った、今の年齢だからこその色気を見せつけた最高にファンクな一曲「DO NA I」が関ジャニ∞のラインナップに増えたことが、とても嬉しい。

 

忘れられない、みれん横丁の人々

 

 「俺節」を観に行こうと決めたのは、2014年の「フレンド-今夜此処での一と殷盛り-」という増田貴久さん主演の舞台で、ていちゃん役を演じられていた松本亮さんが「俺節」に出演されると知ったからだった。

そして六角精児さんも出演されるということを知り、この舞台に立つお二人を観たいと思った。

 

六角精児さんが演じたのは、流しの大野。ギターを常に肩から掛けて。コージとオキナワを弟子にして、面倒くさがりながらも可愛がり、世話を焼くようになる。

松本亮さんは、目で追いかけるのが大変なほど、場面ごとに全くの別人を演じていた。

最初は北野先生に弟子入りしている一人として。

みれん横丁では放火魔。

左上にある“閑古鳥”という店の前にいつも居た。お店なのに閑古鳥て、と思ったけどそれがよかった。

お祭り会場で太鼓を叩いている兄ちゃん。オキナワに捕まるおかま。テレサにピクルスの位置をしっかりと指摘するもパートのおばちゃんに追いやられるパン屋さん。杓子定規のような考えではなくテレサの話しをちゃんと聞いて、コージとテレサに時間を与えてくれた刑事さん。あとひとつ、自転車屋さんには自分が気がつけていなかった、くやしい。

強気になりきれないパン屋さんと、優しい刑事さんが特に好きだった。7役もの変貌。次々に変わる役柄に、観ていてわくわくした。

 

舞台「俺節」のセットも凄かった。

目の前に広がるみれん横丁は圧巻で、素晴らしかった。奥行きを感じる作りが緻密に計算されていて、看板ひとつにも情緒がある。“SNACK 丸”と書かれた看板が左上にあるのを見つけてちょっと嬉しかったりした。

ラストで、左右上方にある壁の部分に映るみれん横丁の景色が、カラーから白黒に変わり、またカラーに戻っていく瞬間があった。それが漫画と現実が混ざり合った瞬間のように見えて、なんという演出なんだろうと鳥肌が立った。

二階建ての造りのみれん横丁、何度も出てくるテレサが働く店の楽屋。これをきっと人が動かしているのだと思うと、なんてハードなんだとスタッフさんの仕事に拍手を送りたかった。

 

上京してその日のうちに演歌の大物、北野先生に弟子入りを願い出たものの、始めから相手にしてはもらえなかったコージが、流しの師匠に弟子入りをお願いをする時は、「弟子になります!」というまさかの自己申告パターンで押し通した男気が好きだった。気を良くした流しの師匠について回ることになり、そうして“流しとは”、“歌うこととは”、という大切なことを教わっていく。

 

流しの師匠が店を渡り歩く場面では、実際に次から次に店とお客さんが現れて、その下では働きながら工事現場の仲間に流しの師匠のすごさを話すコージの姿。

場面展開の中で、ここが特に好きだった。自然な流れで現実から回想に移り変わる演出。

歌う曲の選び方について教わっていたオキナワとそして師匠を残してコージが階段を降り、コージは働きながら現場で仲間のおじちゃん2人と一緒に会話を始める。同時進行で流しの師匠とオキナワは店を渡り歩き、二つの場面がスムーズに噛み合い進んでいくのが面白かった。

その働いている現場にテレサが通りかかり、少しばかりの話しをして、そのうちにそれが習慣になっていく感じも、金網越しに聞き耳を立てる同僚をおじちゃんを叩いて追い払うコージの様子も可愛かった。

雨の演出も、霧雨と大雨の場面があり、海外のミュージカルなどでそういった演出があるとは聞いたことがあるけれど実際に見たのは初めてで。文字通りの意味で土砂降りの雨を降らせる演出は、こんなに大胆にステージを濡らして大丈夫なんだろうかと心配になるほどだった。

照明では、コージの家。線路近くのアパート。オキナワが灯りもつけずに居る時の部屋の様子がリアルだった。冷蔵庫の明かりも窓から差し込む光も。

 

コージがテレサの職場の仲間である橋本さんから貰った、人肌に温まった信玄餅をぽーいと投げるところはなんとも言えない間合いと表情で、すごくよかった。ナイス、ノールックコントロール

コージが歌った、「あの故郷へ帰ろかな帰ろかな」という歌詞が耳に残る「北国の春」にテレサは胸を打たれたけど、テレサの仲間のエドゥアルダにはすぐに受け入れられない葛藤があった。帰り道、歌に込められた意味を理解してもらうことができなかったことに肩を落とすコージが「だども…!」とオキナワに訴えかける場面が印象的だった。「わかってるよ、あれは帰れないからこそ故郷を思い出す歌だよな」とコージの悔しさを受け止めるオキナワの言葉と声が優しかった。

歌の持つメッセージが一つだとは限らないけれど、耳に残りやすい部分だけでなく、掘り下げた歌の深みを感じて欲しいというコージの思いは、歌に本気な彼だから抱くものなのだろうなと感じた。


テレサを助け出すと決めたコージにみんなが力を貸し、みれん横丁でデモ隊を装ったバリケードを作り、大合唱で怯ませで追い払ったところで第一幕が降りる。

客席から拍手が起きた。びっくりした。舞台の内容にもよるけれど、幕間に入る前に余韻で拍手が起きるのは珍しいことのように感じて、感動した。

 

ビールを仲良しで飲むコージとテレサにあきれ半分でオキナワが「もうお前らふたりで飲めよ」と言うところが可愛くて、テレサが部屋に入る前にコージの鼻をつついたら、わざわざオキナワのところに寄ってって「ツンってされたっ」と報告に来るコージもなかなかに可愛かった。

テレサとの場面や、穏やかな場面の時に、何度か暗転しながら流れたピアノのメロディーが好きだった。

テレサが仕事を探しなおし、働き出したパン屋さんのおばちゃん二人が優しくて、演じているのはおじちゃんなのがまた面白くて。
六角精児さんが演じる会社の社長に、コージが異議申し立てる時の、引っ越し会社社員に担ぎ上げられたところから見事にぐいーっと上半身を起こすのも凄かった。あれは支える側も大変だし、起き上がる側も体幹を使いそうだと思った。

俺節」で生きていたキャラクターは、みんな魅力的な人間ばかりだ。くせの強い歌唱指導の先生も、スーツを着て歩くその人も、それぞれが自分を生きていた。

 

テレサ拘置所で取調べを受けるシーンで、なんだかんだ和気あいあいとしているテレサと刑事さん。右手でハイタッチのあとにテレサが手を痛がる素振りをして、えっ…っと刑事さんが心配していると、「へへっ」っと無邪気に笑うテレサに、刑事さんが「ジョークかよ」とつっこむ様子がもうだいぶ仲が良くて、観ていて思わず笑顔になった。取り調べにきちんと答え、好かれるほどの、テレサの誠実で人に愛される性格が表れていると思った。

その様子を、いいなーと羨ましそうに見るもう一人の刑事さんとは、妙に手慣れたハンドシェイクをする。あのアメリカンドラマなどでよく見る、手をタッチしてピロピローみたいな動き。テレサはわかるけど、なぜか刑事さんが完璧な動きだった。

 

オキナワとではなく、元アイドル歌手だった寺泊行代とのデビューを聞かされて、始めは抵抗していたものの、その抵抗を諦めてしまったコージ。

ずっと大切にしていた、コージの身体よりも大きな肩幅の紺色の背広を着なくなって、麻で出来たベージュのジャケットに袖を通し、すっかり訛りの無くなったコージを見ている時のざわつく寂しさは、観ていて自分でも戸惑うほどだった。

いつの間にか、青森弁の気弱なコージに愛着が湧いていたのだと気がついた瞬間だった。

 

デビューの話が流れてしまった後で、みれん横丁のゴミの中からばーんっと起き上がって出てくるコージにはシンプルに驚いた。投げやりになっているコージに、離れていったはずのオキナワが北野先生に連れられてやってくる。

オキナワの作った歌の書かれた紙をコージが見られない場面が、すごくよかった。

ただ歌詞の書かれた紙ではない。どれだけの重みがそこにあるかをコージはちゃんと分かっているから、見ることができない。その複雑で切実な心境が痛いほど伝わる場面だった。どうせいい曲なんだべ!見れねぇ!と突き返すコージに、見ろよ!と押し返すオキナワの押し問答が、微笑ましくて切なかった。走って逃げ回って、ゴミ袋を2個掴んでぶん投げるのに、オキナワに当たらず、主に陛下に被害が及んでいるのが不憫だけど面白い。

北野先生と流しの師匠の二人が楽しげに並んで話しをしながら、ふとコージとオキナワの前に立っているのを見た時。コージとオキナワには、がむしゃらに頑張っているうちに気付けば二人の師匠ができていて、見守られていたんだなとハッとした。始めは後ろ盾がないように見えた二人が、いつの間にかこんなにも暖かく見守られて可愛がられていたのだと。

その場面の後でコージがひとりで座り込み俯いているところに、突如みれん横丁の一角からバンッ!と出て来たプロデューサー。コージの前で停止。固まるコージとの沈黙。なぜそこから出て来たのかが最高に謎だった。

 

雷が迫っている野外のイベント会場の場面、STAFFと背中に書かれたジャンパーを着たスタッフが終始あたふたしているのがリアリティーがあって、おもしろい演出だなと彼をつい注目して見ていた。スタッフとして実際の客席を歩いて、客席の方を向いて開演アナウンスをしたり、進行状況を見てこれはダメだと判断して大きくバッテンマークを腕で作って後ろに見せたり。

イベント司会の女性も同じく客席の後ろの方を見て指示を仰ぐ感じを見ているうちに、この劇場全体がイベント会場になったような錯覚が起きて、劇中劇のようにリンクする瞬間のようで楽しかった。

「雨降るらしいわよ」と話しながらアイドルグループのファンやって来て、客席にも話しかけたりしていた時、「ヤン坊マー坊も言ってなかったじゃない」と誰かがさらっと言った。年代なのか、安田さんということを含んでなのか分からないけど、素敵な遊び心で、今言った!と思いながら観ていた。

 

おらのために歌ってくれるなんて

なしておらが歌ってほしい曲がわかったんだ?

そう純粋に感動し、驚いていたコージの姿は、きっと誰もが感じたことのある、あなただけが胸に持っている特別な感情だと思う。

その役を演じていた安田章大さんもまた、その気持ちを与える側の一人であるということが感慨深かった。

“自分の気持ちそのものだ”と感じさせることができるほどの歌、それを作るのも歌うのも、並大抵のことではない。心揺さぶられるほどの力を持った曲は、時に人の命を汲む。これは大げさな表現ではないと思っている。私がそうだったから。

俺節」という舞台に込められた、生きることへの熱や、すがりついてでも貫きたいものがあることの喜びと苦しみを肌で感じて、道の先が見えないどころか道さえ見えない場所に立っている状況だとしても

これだけは信じていたいと、自分の中で感じているものを疑うことはしなかったコージのように、実直でありたいと思った。