ノートパソコン買います。

 

明日やっと。

ここまで62つの記事は、スマホを使って指一本で打っていて。それはそれで、どこに居てもすぐに書けるからいいと思っていたりもしたけど、やっぱり大事な道具。いつまでも手軽でいるわけにもいかないなと思った。

ぎりぎりな中だけど、今必要だと思うから今買うことを決めて、自分にとっては電子機器を新しく購入するということ以上に意味がある。

ちゃんと揃えるのだから、ちゃんと書いていく。と自分に約束する、形を持った決意表明。

続けていく先がどうなるのかは皆目見当つかないけど、今はまだ書いていたい。

 

手元に届いたら、マスキングテープを貼ってアレンジをするのが楽しみ。ステッカーも貼ろう。

関西弁×英語のタッグで感じた錦戸亮さんのセンス「Tokyoholic」

 

ライブの流れのなか、ゲリラ的な空気で始まった「Tokyoholic」のインパクト。

関ジャニ∞が揃って演奏したインストの状態でのセッションを「NOROSHI」初回盤の特典映像で見た時の高揚感。あのメロディーはオープニングやバンドスタートの区切りに演奏するものになるのかと思っていたら。まさかの歌詞がついた。錦戸亮さんの作詞で、関西弁と英語で歌詞を組み立てる独創的なセンス。ゴリゴリのバンドで、攻めに攻めた歌詞を歌うけど、それが関西弁であることで言葉として耳にキツくこない。

しかしそのなかで、「I don't like you Tokyo!!」を東京で叫んだ!という衝撃は凄かった。言ってしまったー!と勝手にハラハラした。I don't likeにyouもTokyoもどちらも入れたのは、“あなたも東京も”なのか“象徴としての東京”なのか。様々な意味で取れるのかなと考えたりした。外へ向けて放っているのに、東京にいる“自ら”も含まれている感じがおもしろい。

 

「I don't like you Tokyo!!」

から

「I don't like you...」

と少しごもって、最後の最後に

I can't hate you Tokyo!!

と繋ぐのが、徹底された遊び心だなと聴いていてどうしようもなく楽しくなった。

【好きじゃない】という意味の「Don't like」よりも「hate」はキツい意味になる。どちらかと言うと品のない単語なので普段気軽に使ってはダメ。でもそれを「I can't 」で繋ぐから意味がある。それだけ強い言葉を使おうとするのに、それでも嫌いになりきれない東京。

 

音源が収録されているのは「なぐりガキBEAT」の通常盤なのだけど、音に注意して曲を聴いて初めて気づいたこともあった。

始まりの音がタンバリンをシャラッと渋谷すばるさんが手に取る音からになっていること、終わりの音もタンバリンを置く音で曲が止むこと。楽器の始まりはベースなんだとライブでは認識していたから、音源バージョンは音源バージョンにある魅力とこだわりを感じた。静かなステージにバンドが揃い、ステージに歩いてきた渋谷すばるさんがタンバリンを手に取るのが始まりの合図のようなイメージ。ライブでは手にサポーターをはめて、あの休みないスピードで最後までリズムを刻む姿が印象に残った。全力で弾く姿はタンバリンであっても格好よく見せることができると知った。

そしてメロディーの溜めと、なだれ込みの巧みさ。丸山隆平さんと大倉忠義さんのパートでリズムをゆるやかにしてからの大サビに入る見せ方。

歌詞の所ではベースがメインになって少し楽器が後ろに下がってから、歌詞の間にバッと前に出てくる、波のような押しては返しての強弱も注目するところが理解しやすい流れになっている。

「Tokyo‼︎」で聴こえる、村上信五さんの声で投げつけるようにやけっぱちな感じが曲に凄く合っていたり、サビでハモりではなくユニゾン錦戸亮さんと渋谷すばるさんの声が重なった時の、向かう所敵なしな疾走感。

錦戸亮さんの声は特に、しゃがれた感じで歌われると最高に渋い。

 

歌詞カードを見ると曲への面白みも増した。

2番の歌い出しは1番と同じフレーズなのだけど、歌詞カードには2番だけカタカナ表記で書いてある。「everyday」も「エビデイ」と発音寄りの書き方になっていて、これも錦戸さんのさりげない遊び心なのかなと思うと、いたずらっぽく笑う錦戸さんの表情が思い浮かべられる気がした。

 

歌詞に出てくる英文を、曖昧なままではなく意味をちゃんと知りたくなって分析をしていたら、洋画やドラマの会話の中ではなんとなしに聞き覚えのあった言葉だけれど、意味を気にしたことがない単語がいくつか出てきて調べているうちに楽しくなってしまった。せっかく錦戸さんが英語だから出来る表現をしているのに日本語に訳してしまうのは野暮なことのようにも思えたけど、あくまで個人の推測ということで今回は書きたい。

 

歌い出しにくる「I'm so damn hungry...」はそのまま訳すと【とても空腹】

でもおそらく、お腹が空いたという意味にするだけなら「damn」は無くても文になる気がするのだけど、色々な意味合いのある「damn」という単語を使うこと。そして歌のなかでの語感を大事にしたことにきっと意図があるのだろうと思う。

 

その次にくる英文が、調べていてとても興味深かった。

Why are you so mean to me?

so mean”は、【意地の悪い、たちの悪い、きたない、卑劣】という意味を持つらしい。

調べてみるまでは、「mean」は【意味】という意味で使われる言葉だと思っていた。文法の運びや強調の“so”が前に付くことで、そういう意味にもなるのだと初めて知って、勉強になった。

「Why」は【どうして】、「to me」は【私に(俺に)】ということだから、《なんで俺にそんな意地の悪いことすんの?》というイメージかなと思う。この曲の場合、訳しも関西弁のイメージ。

 

サビ前で立て続けにくる英文、

How far did I run?
Don't know where to go!
Hey!wait!
Here we go then!

にそれぞれある基本的な意味としては、

《どれぐらい遠くまで俺は走った?》

《どこへ行くかなんて分からない!》

「Hey!wait!」はそのままの意味として

《行くぞ》

という意味になるかなと思う。思うけど、せっかくセンス良くしてるのに訳してしまうのはやっぱり罪悪感がすごい。そんなダサくないわとおこられそうだけど、すみません意味を知っておきかったんです…

先ほどそのままの意味と書いた「Hey!wait!」の部分。ここまでの強気な歌の姿勢からしたら、文法に習わず「wait」の頭文字も大文字にして“Wait!”で声を荒げているニュアンスを出しても不思議ではないかなと思ったけれど、「Hey!」は頭文字が大文字なのに「wait!」で小文字になるところがなんだか《おい!》と強気に出てみたものの《待てよ!》と声がちょっと小さくなってしまった気の強い子犬みたいで、ちょっと可愛いのでは…!と思ってしまった。

 

 「Tokyoholic」はやはり関西弁と英語の振り分けのさじ加減が秀逸で。

I'm so damn hungry...

からまだまだ足りないという心境が伝わり、さらに関西弁で

満たされへんままただ消化してく everyday

と続くことで、ただお腹が空いているという文字通りの意味合いではなく思う事があるということが理解できる。

 

 

ライブで実際に聴いた時の

そんな上から見んなやこっちも必死なんじゃ

の強烈さ。関西弁でないとこのニュアンスは出ない。ライブでこの歌詞を錦戸さんが歌うたび、ワーッ!!と上がる歓声とドーム全体の空気が熱を帯びていく感覚は経験したことのないもので、お客さんに女性が多いコンサート会場とは異質のライブハウスのような熱量だった。

渋谷すばるさんのソロでのライブはライブハウスでも公演があって、いつか経験してみたいと思っていたなかで、今回のこの空気感はそれをすこし体感できたような気がして嬉しかった。

ライブセットリストの、バンド演奏をしている映像を挟んで、映像で見せて煽ってからの「Tokyoholic」→「象」→「NOROSHI」の流れが最高に楽しかった。

音楽に乗るって、ど、どうしたらいい…?と戸惑い続けてきた自分でさえ、ペンライトを持っているのもじれったくなって、置いた。拳ひとつで足りた。

 

自分はネイティヴでもなんでもないけれど、だからこそ英語に興味がある。「Tokyoholic」を聴いて歌詞カードを読んだ感想は、単純な使いやすい英語というよりもスラングを積極的に取り入れた英語使いの詞になっていて、それは普段から英語に関心を持っている錦戸さんならではの言葉選びだなと感じた。

教科書で習う単調な言い回しではなくて、楽しんでいる空気が伝わってくる。錦戸さんだからこの言葉にしたのだろうなという色が出ていて独特。

そんな魅力を炸裂させたのが今回の、作曲・編曲・作詞 錦戸亮 「Tokyoholic」なのだと思う。

影響し合うけど混ざらない。カスミとポチ男「味園ユニバース」

 

味園ユニバース」ほど、映画館でなぜ観なかったんだろうと悔やんだ映画はない。今でもまだ。

 2015年にDVDが出てから、レンタルして見たという記事を書いてしばらくして、やはり私は「味園ユニバース」のDVDボックスを買った。どうしても初回盤が欲しかった。海外版チラシもブックレットも、大切すぎてそっと棚に並べてある。開く時は未だに丁寧に開ける。

買った甲斐があったと思えるほど、頻繁に見ている「味園ユニバース」。映画館で映画が公開されたのは2015年の2月14日だった。二年の月日が経っても変わらず、見るたび初めて観た時と同じ空気が蘇る。

変わったことは、自分が関ジャニ∞を知って、渋谷すばるさんを知るようになって、二階堂ふみさんのさらなる魅力を知ったこと。

あの時には意識していなかったけれど、私は二階堂ふみさんと同い年で、正確に言うと1歳下の同学年になる。そう思うと、渋谷すばるさんの隣に並んで演技をする二階堂ふみさんがどれだけ凄いのかをひしひしと感じる。比べることがそもそもおこがましいのだけれど、ポチ男の隣に居るカスミという役を、あの深みを表現できる彼女にとても惹かれた。

 

2年前、撮影期間で言うともう少し前、あの時の渋谷すばるさんと二階堂ふみさんが共演したことに、意味が生まれていたと感じる。今撮るのとは違うものが。

少し先でも、少し後でも違ったタイミングを逃さなかった山下敦弘監督も只者ではないと改めて思う。いまテレビで深夜に放送されている、「山田孝之のカンヌ映画祭」というフェイクドキュメンタリーで山田孝之さんと行動を共にするのが「味園ユニバース」を撮った山下敦弘監督で、山田孝之さんも何を考えているのか分からないけど、山下敦弘監督も中々何を考えているのか分からない。

味園ユニバース」のホームページを見にいったら、まず映画の企画は渋谷すばるさんを主演で映画をつくるというところから始まり、「大阪」で「音楽映画」という大枠が決まっていったと書いてあった。山下敦弘監督が赤犬を引っ張り込もうと決めてからの企画の動き出し方がまた格好いい。そしてカスミ役を二階堂ふみさんに。本当によくぞ二人を同じスクリーンに収めてくださった…と思う。

 

二階堂ふみさんのイメージは「味園ユニバース」を観るまで、かなりエキセントリックな作品に出ることの多いイメージで、普通の女の子な二階堂ふみさんをいつか観たいなあと感じていた。最近こそバラエティや、バカリズムさんと若林さんと一緒に「住住」という深夜ドラマで自然体な空気を観られることも増えたけど、「味園ユニバース」はそういう意味でも新鮮な印象だった。

公開当時のインタビュー記事をもっと読んでみたかったなという思いがある。どんなふうに映画が作られていったか、監督はどんな考えを持っていたのかを今でも知りたい。パンフレットはどこかで見つけられたら欲しい。バックナンバーでタワレコの本コーナーに並んでいたのを見て、表紙から惹きつけられて買った雑誌「プラスアクト」は、監督と渋谷すばるさんの対談の内容が濃くて読み応えがあってすごくよかった。

 

何度も映画を観ているうちに、カスミと赤犬の関係性も独特でいいなあと考えるようになった。

カスミの親代わりになろうという感じではなく、近所のおっちゃんより近い。仕事だけの距離でもない。鈴木紗理奈さん演じるマキコも、カラッとしていて過保護じゃないんだけど、「なんかこう前より、明るなったんちゃう?」とポチ男に出会って変わり始めたカスミの空気に気づいていることを伝える言い方なんかが、カスミにとって心地いい距離なんだろうなと思いながら観ていた。

ポチ男に対しても、赤犬たちの距離感は独特だった。初めは「ナイトスクープ呼ぼうや」とか面白がるけど、なんかあるんだろうなと察しはじめたところから変な詮索はしない。カスミはポチ男の居た場所について調べるけど、赤犬たちがそれに協力したり、ポチ男に直接訪ねたりはしない。

赤犬がポチ男に頼んだことと言えば、ボーカルをさせるかどうかの確認でカラオケボックスに集まり「赤いスイートピー」を歌ってほしいとリクエストした赤犬のチョッピーからのお願いと、実際に赤犬バンドとしてのメインボーカルをポチ男にと決めた時の二点なのではないかと思う。最後、ユニバースで歌うかどうかを決めさせる時もポチ男に対して赤犬のロビンが「ポチ男、準備しとけ」と言って、カスミが「こっからはあんたが決めろ」と言ったのみで無理強いはしない。

それぞれがそれぞれに放し飼いだけど、集まる所は決まっていて、何かあったら誰かが手を掴むような。理想の関係性がそこにあった。大阪の空気だからこそ成立することだとも感じていて、東京で同じ脚本ではきっと噛み合っていかない気がする。

 

そしてやっぱりそこに繋がるのは関西弁だからこそのニュアンスで、ほかの言葉では表現しきれない隙間を埋めてくれている。

もっと具体的に言うと、どうにも言葉にならないとき。やるせない思いのとき。はっきりと言い切らない言葉感がしっくりくる。

「しょーもな」はやっぱり、頭に残る不思議な言葉で、何度でも言うけれど私は映画館の予告で観た大きなスクリーンいっぱいに二分割になったカスミとポチ男がそれぞれの思いで同時に言った『しょーもな』が心底好きだった。映画は観に行かなかったのに、その予告が強烈に印象に残っているくらい、あの二人の声のトーンが重なる音が好きだった。ポチ男のあのシーンは映画本編では出てこない。予告だけのあのカット。呆れているような、めんどくさがってるような、でもおもしろがってる。その空気がわかる一言。

ハーモニカを渡したカスミがポチ男に素直にならず言ったのも、ポチ男がステージにいる姿を見てこぼしたのも、どんな時にどんなふうに言うかによって全く意味合いの変わる言葉だけど、どれも本気で突き放しているわけじゃなくて根底に懐いている気持ちがあるから、二人の「しょーもな」は可愛い。

 

映画を何度観てもじいっと見入ってしまう、好きすぎるポチ男の仕草がある。アキコさんの横でポチ男がアキコさんのお酒代をおさいふ持って一枚ずつ小銭をだして、マスターのリシューさんに渡すところ。「おかわり」って普通に言うアキコさんを“えっまだ飲むん”みたいな顔してちょっと見て、もう一回小銭をリシューさんに渡すポチ男が最高に可愛い。ポチ男の時だからだなっていうこじんまりと動きがちいちゃい感じと、素直な感じが。

映画なのに、リアルみたいに、大阪のどこかでこの人たち暮らしているんじゃないかと感じてしまうほどの生身な空気が「味園ユニバース」には流れている。

 

野良と野良なカスミとポチ男だからいい。山下監督がハンバーガーをコンビニで食べるシーンが恋人同士に見えてしまうのではないかと心配していた意味が、いまは理解できる。映画を観た当初は恋人に見えたとしてもいいんじゃないかなと思っていたけど、それだとなにか違う。影響し合うけど混ざらない二人の関係性に魅力を感じる。

 

ポチ男の過去について、なにも分からなかったとカスミが話すシーンで、ポチ男が静かに

「あんな。ちゃんとは思い出されへんのやけど 俺は危ないと思う」

と言ったとき。右手の方をじっと見ながら話していたポチ男は、右手に人を殴った感覚を思い出していたんだろうと思う。
全て思い出した後、カスミの家にまで来てカスミとおじいの世界に踏み込んだショウを見て、堪えて堪えて一線を越えた瞬間、ショウに殴りかかったポチ男。ショウを殴ってから暗い夜道に歩いて行ってしまうポチ男の背中。演じているだけではできないほどの手の震えに気がついたとき、言葉にはならない気持ちがブワッと湧いた。何も考えずただ殴っているのと違うポチ男としての怒りを、尋常ではない震えが物語っていた。

 

カスミは独りの寂しさを知っているけど、自分が独りきりだとは思っていないところが素敵だ。おじいがいて、スタジオがあって、マキちゃんがいて、赤犬がいて。カスミにとって四つで足りていたはずの世界を、ポチ男も大事な一つだとポチ男の前で五つめを数えて見せるカスミはどんな心境でいただろう。

はじめは四つめの赤犬にあんたが必要なだけやと話していたけど、ポチ男の記憶が戻っているのを分かっていて赤犬のなかだけでなく赤犬にも自分にもポチ男が必要だと認めるカスミは。

だから、無言のまま握りしめた拳をぶつけて力ずくで押し込むカスミの行動だけで、カスミの強い思いが現れている。

 

映画のエンディングがあの形でよかった。あの場面で終わることが素晴らしかった。

ポチ男には、過去がないから比較するものがない。

過去も経験も存在しない。だから頭で考えずに、帰るとこないからカスミについて行くし、ご飯がうまいからいっぱい食べる。それはそれで強いのかもしれない。