映画予告の数秒を最初に目にして、電車のシーンから何が起きたかを察した。
それからすぐに、瀬尾まいこさんの小説「夜明けのすべて」を読もうと書店で探して読み終えた時、
この本を読んで、私の手元にあってくれてよかったと思った。
このページにあるひとつひとつが丁寧に紡がれた糸のようだから、
感想を書きたい気持ちというよりも、私が大切にしたい本ですと、この本を手渡したい気持ちになった。
実際に、その熱い話を聞いてすぐに読んでくれた人もいた。
公開日に観に行くわくわくを、久しぶりに味わった。
数日限定で配布のフィルム風フォトシートをもらった。これから読もうとしている、瀬尾まいこさんの本を読む時のしおりにしようと思う。
映画館のグッズコーナーには、小説の表紙の絵がキーホルダー型のミラーになって販売されていた。砂時計型の中の黄色のビーズがシャラシャラ動く。
馴染みのある小説の装丁がグッズになっていることが嬉しくて購入した。
映画館に向かうのは大丈夫だけど、上映開始まではいつも心拍数が上がる。
映画への期待値だけではないこの厄介な緊張。楽しいはずなのに、よくわからないプレッシャーを背負う。
お手洗いにも直前に行く。なんなら入場前と上映開始前で合わせて2度行くこともある。
観る時のバランスで考えるなら座席は真ん中が理想と思いつつ、両サイドが埋まると、ああ席を立てないなと緊張する。
思い立って出掛けるのはハードルが高いので、前もってこの日に映画に行くと予定を立てた。
そんな感じでも、「夜明けのすべて」を映画館で観ている時間は、かなりリラックスできていた。
静かに、夜を見つめながら。気にかけたり分からなかったりして、それでも適度に見つめ続ける存在の優しさを思いながら観た。
そうだな…と思いながら、落ち着くな…と感じる時間の中にいられた。
藤沢さんがいて、山添くんがいて。うれしかったのは、夜明けを待ち侘びることのみ大切にするのではなくて、夜を大切にすることを大切にしてくれていることだった。
松村北斗さんの演じる山添くんの、飄々としながら悪気なく言葉を発している面白み。
立ち振る舞いや話し方のスイッチで、山添くんが追い求めたかった“本来”の願いが伝わってくる気がして、心がぎゅっとなった。
上白石萌音さんの演じる藤沢さんの、自然さと思い切った行動のギャップ。みかんを食べている時の可愛らしさ。
もう何もかもいやだと部屋の真ん中で座り込んでしまいたくなるあの感覚。
栗田科学の空気と、そこで働いているそれぞれに、自分も同僚でいるような親しみが湧いた。
同僚の方のなかでも、足立智充さんの演じていた、栗田科学に入ってきてすぐの左手の席によくいる同僚さんの見守り方が好きだなと思いながら見ていた。
山添くんのいた元職場と元上司は、小説で読んでいても印象深かった。
映画になって、渋川清彦さんの演じた、山添くんの元上司の辻本さんの言葉にし難い頼もしさと脆さのグラデーションが、心に深く刻まれた。
映っているひとりひとりの背景を、多くの表現で語ることはしないけれど、だから切実に受け取るものがある。
ここからは好きなシーンのことをいくつか書きたいので、鑑賞後のネタバレが平気になってからをおすすめしたいです。
藤沢さんにチャーミングさを感じたのは、序盤で向こうの社長に「シュークリーム、ここ置いておきまーす」と言ったところ。
動作と声のトーンから、藤沢さんのフラットな佇まいを見られた気がした。
喫茶店で、店員さんがオーダーを記入している間にメニューを整えて手渡しで返す。ありがとうございますと言いながら。その様子からも、普段の気の配り方が見て取れる。
それでも制御が効かないことがある。
どの段階で沸点が訪れるか、緊張感を持ちながら観ていると、藤沢さんの表情と静止で迫り来る感情が見える。
山添くんの行動、足音、ひとつずつがイラッを高めていって、決定打に炭酸水のプシュッで堰を切ったのがわかった。
山添くんが最初にスクリーンに映ったのを見て、顔色が良いとは言い難い姿に、
山添さんが栗田科学に辿り着くまでに、どれだけすり減ったりやるせなくなったりしたのだろうと、その時間の途方も無さを一瞬にして思った。
電車のホームのシーンで、一番端の先頭車両を選んでいるのを見て、同じ。と思った。
描写の細やかさに驚いた点でもあった。
異変が起きた時に、せめて車掌さんが気づいてくれますようにと先頭。ホームを長く歩くとしても、出来るだけ人の少ない、車掌さんがいるという安心感がある、端の端に座れてやっと少し大丈夫な気がしてくる。
電車はこまめにドアが開くから、新しい空気が入っていい乗り物だと思えていた頃があった。
どの車両でも、席が空いていなくても、ぽんと乗れていたことがあった。
いつからなんだろう。ドアが閉じてしまうことに意識が向いて怖くなったのは。
それでも、興味が湧くものがあってしまうから。行きたいと思う場所があるから、全力を振り絞って出掛ける。
病院で、特にないです。と答える山添くん。
よりによって病院で大丈夫なフリをしてしまうこと。横にいる人に前のめりに話されると、尚更黙りたくなってしまうこと。あるなあと思う。
元上司の辻本さんと、リモートで話している間は部屋でフィットネスバイクを漕ぎ続けている様子が、走り続けなければと追われるかつての職場での山添くんの面影を見ているようだった。
電話を切ると、山添くんの足は止まる。
尖ったビジネスマンな革靴を履き続ける山添くんに気づいた時に、元に戻りたいと思い続けているのかなと感じた。
だから、後々に一瞬映る、先の丸い靴になっていた山添くんにほっとした気持ちがあった。
靴は衣装さんのお仕事から生まれた表現だろうか。すごいと思った。
藤沢さんのお部屋に砂時計があったのも感動した。美術さん、小道具さんのお仕事だろうか。
山添くんのことを思う存在について考えると、
カフェのテラス席で、プラネタリウムのことを語る山添くんの表情を見た、元上司の辻本さんの表情にひたすら引き込まれた。
見守られていて、様子の違いに気づいて安堵したり、喜んでくれる人がいる。
中学生の2人も素敵な存在感だった。
2人のおおらかさと、客観的視点。男の子の優しいユーモアも魅力的で記憶に残る。
栗田科学には、どんな会社ともきっと同じようにいろんな人がいる。
光石研さんの演じる栗田社長。思いを持ちながら、見守る姿勢。ちょこっとかける一声の温かみ。慕わずにいられるはずがない。
女性社員さんは、ライトが点かないご意見が増えていると話しながら、同僚と情報共有をして改善点を考える。
上の会議室で会議をして、ホワイトボードを前に揉めている2人。仕事に熱意を持っているのが見える。
山添くんと藤沢さんのやり取りで、ここ好きと思ったのが、
藤沢さんの予兆に気づいて、「ちょっとここで1人で怒っててください」と言うシュールさと、
ペットボトルを渡した後で、ギャップが空かないとなったら藤沢さんがどうなるかをすぐ察して開けて渡すものの、それにもちょっと怒る藤沢さんのシーン。
なんだかんだ藤沢さんの怒りを最小限にしている。
山添くんと藤沢さんを軸に見つめていきながら、自転車のヘルメットが月日の経過を感じさせた。
知ってはいたけど改めて教訓としたこともある。髪の毛を切る時、ハサミを横に入れない。
瀬尾まいこさんの紡ぐ言葉に出会って、小説「夜明けのすべて」を抱きしめながら居られること。
映画「夜明けのすべて」を観て、人や場所や道、空と日差しにも好きを募らせることが出来るということ。
なんて嬉しい日だろうと思っている。
主題歌がない空気感なのも、一層お互いとそれぞれの在る姿を自然な灯りで照らしている気がした。
明かりの柔らかな映画。照明さんの緻密なお仕事とこだわりが「夜明けのすべて」を作っていることにも感動する。
私がミニシアターの館長なら、「PERFECT DAYS」と「夜明けのすべて」は隔週で上映し続けて、誰でもどの時間でも観られるようにしたい。
こんなはずじゃなかったと、言うことを聞かなくなった自分の身体に思う。
大丈夫な自分が理想だと勝手にハードルを上げて、心配してくれたその手に頼れないこともある。
分からなかったりするけど、わかりたいと思うから、私は「夜明けのすべて」が好きなのだと思う。