King & Prince「なにもの」に感じた、“上を向いて歩こう”のエッセンス

 

「踊るように人生を」を繰り返し聴きながら毎日を歩いている自分だから、

「なにもの」を好きにならないはずはない。

 

King & Princeなにもの

振り付け:Oguriさん(s**t kingz)

 

曲調はもう、好きでしょうと自分で思う。

管楽器、指パッチンの音、裏打ちのドラム、“ステージ”というMVコンセプト。

これまで大のお気に入りになって聴き続けてきた、スタメン曲たちの紛う事なき共通点がわかる。

さらに今回のダンス振り付けは、s**t kingzOguriさん。

なんとなくのイメージになってしまうけれど、楽しい曲調でs**t kingzとして踊る時、振り付ける時、ハッピーを表現するダンスでぱっと思い浮かぶのはOguriさんで、この曲を聴いた瞬間にイメージとイメージがぴったりだと嬉しくなった。

色を足していくペンキのバケツが目に見えるかのような動きや、“壮大な”でミュージカルの雰囲気を感じる動き、ダンスのスキルが見えながらコミカルさからも魅せられる素敵な振り付けになっている。

 

自分のいまの気持ちは、切り替えが物凄く早いということでは決してない。

King & Princeの声の重なりの相性の良さに惚れ込んだ感覚で、ダンスを魅せるという面でもこんな表情があるんだと引き込まれているまだ途中だった。

あまりに日を空けない生配信、リリース発表、二人は大丈夫だろうかと心配で仕方なかった。

年単位かもしれない長さで決まっているスケジュールは、そうそう変わってはくれないのだろうと想像した。

 

「なにもの」のMVがおすすめの動画として目に入ってきた時に、ためらいがあってもそれでも、

この歌を完成させた二人の声を聴きたくなって、再生した。

 

この歌を好きになった。

「なにもの」のなにが好きかって、ジャジーでステージでグルーヴィーなのはもちろんのこと、

坂本九さんの「上を向いて歩こう」から感じるようなあの哀愁が、ふわっと懐かしい風みたいに吹き抜けていくところ。

ごちゃごちゃだった絵もいつの日か

きっと壮大な

の部分のメロディーに、その要素を感じる。

そしてオーケストラが奏でる勢いと胸の高鳴りが合わさって、喜劇の空気感が完成するのだと思う。

 

盛り上がりどころ!な大サビで裏声を使うところに、肩の力を抜いていけるタフさを感じて、すごく好きな表現だった。

植物の柳(やなぎ)はしなるからこそ折れにくい。

そこからくることわざの「柳に雪折れなし」という言葉が私は好きで、時々思い出す。

おおらかなのは芯が無い訳じゃなくて、衝撃に強くなるための一つの手段なのではと考えていて、だから「なにもの」のゆるやかさが心に響く。

 

ドラマ「だが、情熱はある」を見ていて聴くとなおのこと、不器用にいながらそれでも最高だと感じる瞬間があることを、歌からも受け取る。

掴んでみせるさ 夢舞台 マイク一本で

の歌詞には、ドラマの二人を思い浮かべながらも、歌いながらその手に掴んでいるマイク一本のことも思い浮かべた。

 

CDTVライブライブで、臆さず歌い上げた歌声に心動くものがあった。

“澄みわたる晴れの日も”の裏声が美しくて、好きなパートになった。

MVの劇場のステージ、衣装、オーケストラの並びが好きだったので、今回のパフォーマンスのためにオーケストラを可能な限り呼んでくれたのも嬉しかった。“この演出で見たかった”を叶えてくれた。

 

なくさないで あるがままの喜びと

この表現で歌詞があることに、大切さを感じている。

自分の感情として最初に芽生えたのは喜びだったはずなのに、いろんな風に吹かれているうちに自分の感情ではないものに影響を受けて、うれしくないかも…?とわからなくなることはある。

だから、“あるがままの喜び”をあるがまま置ける特別な箱かなにかを自分の中にとっておきたいと思う。

 

上を向いて歩こう」の歌詞にも星が出てくる。

人ごみの中でも星を見る

それが文字通りの星でも、目標か憧れか、夢にできるなにかか、どれであってもこの一文から人波に揉まれながらふと立ち止まっている様子を想像して、

人が上を向かずにいられない愛おしさを噛み締める。

 

向こう見ずにいることで安心できるような日々ではないけど、

なににも期待することを諦めて進めるような日々でもない。

なにものと聞かれて、答えられても答えられなくても。愉快さは心のどこかに持ち合わせていたい。

一曲を丸ごと聴いた時、二番の歌詞にさらに心掴まれることがよくある。リリースされて全体が見えたらどんな印象になるのか、それがまた楽しみになった。