物腰

 

好きなドラマのことを考えた時、

登場人物たちの言葉遣いが、自分にとっては無意識のうちにそのドラマに惹かれるかどうかを分けていると気づいた。

どんな言葉を話させるかは、脚本家さんの描きたいものによって変わると思うけど、端々に表れるのは脚本家さん本人の持つ言葉の感覚なのだと思う。

 

実際の人間関係でも、どんな言葉を使っていて、どんな言葉を避けているかは、自分のなかでとても大切な価値観になっている。

同じ辞書を持っているような感覚になれる相手と会うと嬉しい。

 

不思議に思うのは、同じことを言っているはずなのに、それぞれ印象が違って感じる時。

どうしてなのかと考えた。

結果、“物腰”かもしれないという結論に辿り着いた。

辞書で引くと説明にあるのは、【物の言いぶり。ことばつき。】もしくは【身のこなし。振る舞い。態度。】のことであると書かれている。

“ことばつき”という表現がおもしろいなと思う。

顔つきに印象があるように、ことばつきにも顔つきみたいなものがあると思うと、印象が具現化される感じがする。

同時に、“身のこなし”や“態度”のことでもある。

目は口ほどに物を言うという言葉があるけれど、言葉で優しそうなことを言っていても、漠然と怖いと感じたりするのは、物腰から漏れ伝わるものがあるからなのだと感じた。

 

その人が目の前にいる時、

柔らかく向き合ってくれていると感じる場合と、尖った言葉尻のようなものを感じて、盾を持ってしか一定の距離から近づけない場合があるのはなぜだろうと思っていた。

対面しているので、努めて丁寧に接してくれているけど、普段の考え方ではきっとこの言葉を選ばないのだろうと勝手に思い巡らせてしまったりする。

 

でも自分自身も、怒っている時は言葉が荒くなるし、常に正しい日本語を使えているわけでもない。

歯切れのいい言葉を使えていないなと自覚することもある。

相手に正しさを求めているという事ではなくて、接しやすいと自分が感じる分岐点はどこにあるんだろうと考えた末の、今のところの結論が、物腰。

 

紙にペンで描く線で表すなら、

角のない波線「〜」を描く人

一定を保つ横線「ー」を描く人

階段みたいにカクカクした四角っぽい線の人

上下に尖るみたいにツンツンした線の人

物腰ひとつ取っても、いろいろだと思う。

 

居心地のいい物腰がそれぞれにあるなら、私は角のない波線「〜」を描く人といる時間が落ち着くなと感じたりする。

そして私も、波線でありたいなと思っている。

 

思いもしない言葉に突き当たると、その感覚とは一体…と考え込みたくなるけど、合わなかったら距離を保つことくらいがベストなのだろうなと今は思う。

出来ることと言えば、自分の好む言葉を自分が使えるように心がけること。

無意識のうちに影響を受けることもある言葉遣いだから、大事に育てられた釣り堀の鮎みたいに、守ること自体が難しくて大切なのかなと考えている。

 

どんなに流行っても相容れない言葉や言い回しはある。

それはそれで、一時的だったり継続的になったりする日本語の変化なんだなと眺めるようにして。

私にとって肝心なのは、物腰。

どんな言い方をするのかも大切にしながら、自分がいいなと感じる物腰を自分で表していたい。