空いた席は空いてなくて

 

待ちわびた舞台を、観に行くことを断念した。

簡潔にまとめてしまったらそうなるけど、辿り着くまではそうじゃなかった。

 

体調を崩していたわけではなく、恐かった。

チケットを持っているのに、観に行くことを断念することがこれまで無くて、こんなに心苦しいことがあるかと身を切る痛みを感じている。

チケット代も戻らない。それを承知で。

 

個々の決断があって、何が正しいという話をここでしたいわけじゃない。

それぞれがある。ただはじめて行けない位置に立った時、こんな気持ちがあちこちで起きているのかと愕然とした。

 

どうしよう…と迷い始めた日から、行くとなった時の道中への不安で、心臓がバクバクしているのがわかった。

不安があるんだなと思いながら、それでも観に行ける楽しみがあった。

感染者数の減少を微かに期待したけど、増えるばかりだった。

 

すごく頭を抱えたのは、2人のチケットだったから。一存で決めるのではなくて、お互いにどう考えているかを話し合う必要があることだった。

無理強いもしたくないし、流れで飲んでしまうのもいやだと思った。

決めるのを粘りたい気持ちは同じで、1週間前、前々日、前日。意見交換をした。

それでも。観たい、でも…の先を決定的に言えない。そりゃそう。観たいんだもの。

1時間を超えてようやく決意を口にできたのは私じゃなく、勇気を出した友達のかっこよさだった。

 

首脳会談かと思うほど話し合って、迷って迷って、迷って、揺れて、苦しく口にした結論。

返らないチケット代はもうそれでいい。舞台が成立して、小さいながらも何か美味しい物を食べる足しになるならそれがいい。

 

ただひたすらに苦しかったのは、幕が開くのに。舞台に立ってくれているのに。

ギリギリに決めたことで出来る空席が、演者さんの気持ちを削ぐことになったら。ああ、と落胆させたら。

それでいま、申し訳ないという思いのなかで願っているのは、空けたくせにと自分に思うけど、舞台に立つあなたに落ち込んでほしくない。

空いた席は空いてなくて。

前日まで心待ちにした時間があった。そのために動いていた。

確かに受け取ったチケット。その席に座るつもりでいた私は、行けないと決めてからも、席があることに苦しんで、救われた。エゴかもしれないけど、観ていた1人になりたいと思い続けた。

もちろん、迅速に公式の方法でチケットのリセールが出来るならしていた。

 

でもこちらが落ち込んでほしくないと考える前から、わかっているんだと、アドリブの台詞のレポートを読んでハッとした。

表面に見える景色だけで、空席だと思う主役の彼ではなかった。

 

観たかった。観たかったんだよ。

だけど今はひたすら、がんばれ…がんばれと手に力を込める。想像を遥かに超える努力の先で、舞台に立っているのだから、もうがんばっている。それでも思いを強くせずにはいられない。

日々幕が開いて、フルパワーで弾けられるように。

どうか健康に、そのまま走りきって。