渋谷の景色のなかYOASOBIの「群青」を感じていた

 

渋谷は、独特な時空の中にある。

都心に出向く時の心情はどうしたって武士になる。必要に迫られ、馳せ参じる。

都心のなかでも渋谷は、新宿とも東京とも違う。

朝も夕方も、天気予報でいつも見る渋谷駅前の景色。スクランブル交差点。TSUTAYAスターバックス

 

YOASOBI「群青

作詞:Ayaseさん

作曲:Ayaseさん

 

CDTV ライブ!ライブ!」でのパフォーマンスを見てから、どしっと胸にきた「群青」

なんとなく耳にしてきたけど、自分も探していることが歌の中にあるんだと気がついたのは、この瞬間だった。

 

渋谷の街に朝が降る

印象的な歌詞だった。

“朝が降る”。高いビルばかりで空なんてと思っていたけど、実際にはグレーのビルの切れ間から見える空は、むしろ何の隔たりもなく真上にある実感がする。

ガラス窓が朝陽を反射したら、その光景はまさに“朝が降る”景色なのだろうと思う。

 

「群青」を聴いた時、歌詞に出てくる具体的な“渋谷”という場所の名前にドキリとして、その空気を“青”と表現する感覚に共感した。

11月。目的地を目指して、意を決して渋谷にやって来た日は、大粒の雨が降っていた。

避けきれないほどの雨。皆が傘をさしていたからか、曇り空がそう見せたのか、あの日の景色の絵の具を取るなら“青”だった。

 

感じたままに描く

自分で選んだその色で

 

描いているつもりでも、自分の筆の色はわからない。

わからないから、何が個性なのかも見えなくて、これが私だなんてものは手の中に無い。

だけど、“感じたままに描く”その行動は、すでに“自分で選んだその色”で色づいているんだと思ったら、自分の色は考えるより先に付いているのかもしれない。

 

眠い空気纏う朝に

訪れた青い世界

すきっと目が覚めているわけではなくて、どこか気怠げな顔をしながら、同時に生じている夜明けの予感がする。

低温をキープしながらじわりと熱い。

その熱を特に感じるのは、言葉ではないサビ前の“ああ”の声だった。

ikuraさんにしか表現できない、無機質さの中で確かに鳴る鼓動。

ぐわっと地から上昇していくように、胸の内から言葉にしきれない声が出る。それは叫びにも聞こえる。

 

 

不思議なほど印象深く記憶に残った雨の日の渋谷で、いろんなものを見た。

大きな大きなマクドナルドの広告には、木村拓哉さんの写真。もう少し歩けば、またサングラスのお店に木村拓哉さんの写真。

雲で覆われた空に刺さった、果てしなく高いビル。呆気に取られる光景があるのに、誰もが当たり前みたいに歩く。

MODYと書かれたショッピングビルの入り口は、壁が緑の草でわっさーと覆われていて、モリゾー…と思いながら写真を撮った。

MODYの地下の階には、HENN NA CAFEという変なカフェがあって、ロボットがコーヒーを淹れていた。

 

渋谷の公衆電話は、茶色のレトロなデザインで、イギリスっぽくてお洒落なんだなあと眺めて歩いた。

坂が思いの外多くて、うねった道が面白いなと思う。都心だけど、ちょっとした山登り。

やっぱり渋谷は不思議な街だ。

何もかもが近い気がして、なのに全部が遠い。

視覚、聴覚、嗅覚すべてに雪崩れ込んでくる情報量の多さに、ウルトラマンみたいに長居は出来ないけれど。

 

 

多くの人の中の1人だと自覚するほど、これだと感じたものを握りしめる手に不安が募る。

本当にできる?

不安になるけど

誰かに言われるよりも、自分が一番問いかけている。

この言葉にソワッとするうちは、まだ炎が消えていないと思う気持ちもある。

 

何枚でも

ほら何枚でも

自信がないから描いてきたんだよ

絵を描く人にとって、たまらない歌詞だろうと思った。

これだと強く掴めば掴むほど、これを手放す日が来たらと怖くなる。

 

自分にしかできないことはなんだ

自分に問う思いは、絵、音楽、文章も。

相澤いくえさんの描く漫画「モディリアーニにお願い」や、山口つばささんの描く漫画「ブルーピリオド」のことを思う。

さらに遡ると、ゴッホやモネなどの画家であることを選んだ人の心境を思う。

見つかること、評価、才能、どれもこれも入り混じりながら、それを超えて“これしかない”が歩かせる。

 

 

感じたことない気持ち

知らずにいた想い

この歌詞を聴いた時に、それだ…と自分が何に突き動かされて書いているのかを再認識した。

悲しくなるほど胸が高鳴る感覚は、この時にしか味わえない。

 

あの日踏み出して

初めて感じたこの痛みも全部

好きなものと向き合うことで

触れたまだ小さな光

大丈夫、行こう、あとは楽しむだけだ

 

「群青」はどこまでも、つくる人のそばにある曲だと感じた。

踏み出せているかはわからない。

まだまだ足りていないと思ってる。

時間がないとずっと焦っていた。いつかやめなくてはいけないと急いでいた。だけど根付いてしまった書くことは、どんな形を今後辿ろうと、やめられないのだろうと思い始めている。

せめてもうしばらくは、これを続けていたい。

 

かけがえのない僕だ

“ありのままの”という言葉のあとに、“かけがえのない僕だ”と続いたことに、初めは綺麗にまとまってしまったと思ったけれど、

“僕だ”と言っているんだと理解してから、君へ送るのではなく自己肯定の言葉なんだとわかった。

自分の作る何かに価値を見出すのも、追求したくなることの一つかもしれない。

ただ、“かけがえのない僕だ”と言えるようになることは、どんなものを作る自分だとしても受け入れていける扉の鍵なのではと思った。

 

まっさらなキャンバスを前に、インクのついた筆を取って立ち尽くすような。

途方もなさと、描き始めたら止まらなくなっていく躍動感を「群青」から感じる。

 

渋谷に行った日、何も知らないで見つけた「ブルーピリオド」の展示。

ご自由にと置かれていてそっと手に取った、白い塗り絵式のポストカードと、渋谷のビルを前に筆を持つ主人公のイラストシール。

貰っていてよかったなと思う。直感の通りに、今は宝物になった。

 

私もきっと手のひらに筆を握っている。

どんなキャンバスに、どんな色で。

今持つこの筆の先についた色も結局わからないけど、描くなら大きなキャンバスに。