頭の中に井上陽水さんがずっといる。
というより歌が、ふとした時に蘇る。
今この気候を表すのにはぴったりな
「夏の終りのハーモニー」
1ヶ月ほど前までは、夏の風情に想いを馳せて
「少年時代」
大切なネックレスを落として掬い上げようのない落ち込みかたをした時によぎったのは、“探し物はなんですか? 見つけにくい物ですか?” “それより僕と踊りませんか” “ふふっふー”
「夢の中へ」が頭で流れた。
ふふっふーじゃないんだわとインマイマインド井上陽水さんにつっこんでしまった。ネックレスは奇跡的に心当たりの場所で翌日見つかって、安堵した。
そしてよくわからないタイミングでリフレインする
「コーヒールンバ」
サービスエリアで目にするあの自動販売機、コーヒー抽出中の映像と共に再生される。
サングラスを見れば「おげんきですか」
これは完全に丸山隆平さんからの影響。何年もモノマネを挟み続けて、クオリティを磨いていく謎の探究心による影響を受けている。
なんだかんだそれが楽しい。
「少年時代」と「夏の終りのハーモニー」は特に、日本語の歌詞としての美しさを、これ以上ないほど実感する思い入れの深い歌になっていて、それはこれからも自分の心に根づいていくのだと思う。
「少年時代」の歌詞にある、
夏まつり 宵かがり
胸のたかなりに あわせて
八月は夢花火 私の心は夏模様
この言葉たちがとても好きで。実際にある言葉ではなく造語の箇所があるのに、それが一際、情景を鮮やかに描く。
“宵かがり”から、丸く連なって下げられた赤いぼんぼりを思い浮かべる。“夢花火”と“夏模様”で並ぶ三文字の言葉には、景色だけではなくて気温や風の温かさまで漂う気がする。
「夏の終りのハーモニー」は、作詞は井上陽水さん、作曲は玉置浩二さん。
二人で歌う歌詞として、
今夜のお別れに 最後の二人の歌は
夏の夜を飾るハーモニー
と歌うところが、ライブでの空間にまさしくぴったりで、その粋さに酔いしれる。
夜空をたださまようだけ 星屑のあいだをゆれながら
真夏の夢 あこがれを
いつまでも ずっと 忘れずに
1番の歌詞には“好き”という言葉がありつつも、そこだけに焦点の絞られない、余白の広さに心惹かれる。『たゆたう』という言葉を用いたくなるほど、ゆらぎがあって、でも不安定なわけではなく心地いい。
“夜空をたださまようだけ”と表す一行に、もうすべてが込められている気がする。
何かを目指し辿り着くでもなく、“たださまようだけ”けれどその言葉に悲しさはあまり感じなくて、身を委ねる柳(やなぎ)のようなしなやかさを想像する。
これほどに穏やかでありながら胸にぐっとくるものがあるのは、“真夏の夢 あこがれを”の歌詞と、ここで語気が強まるメロディーの構成によるものだと思う。
夏ではなく真夏。灼熱の太陽が照らすなかで抱く夢は、並々ならぬものだろうと伝わってきて、“あこがれを”の言葉に、手に入れたなら夢でもあこがれでもないはずだからこそ、思いの強さが胸に迫る。
あるひとつの何かを、思い出にすると決めたようなニュアンスを感じた。
歌詞に具体的に重ね合わせているわけではなく、その時の雰囲気で、何かと何かがテーマソングみたいに自分の中で繋がることがあるのだけど、
なにわ男子のライブを観た後にしばらく心から離れなかったのは「少年時代」で、関ジャニ∞の穏やかさの中に変わらず燃える炎の熱さからイメージしたのは「夏の終りのハーモニー」だった。
関ジャムのセッションで、丸山隆平さんと大倉忠義さんが歌った「夏の終りのハーモニー」があることが、なんて贅沢なんだろうと再生してはもう一度思う。
先日のMUSIC FAIRでは、山崎育三郎さんと尾上松也さんと城田優さんが歌っていて、足し引きの素敵なアレンジに聴き入った。
とくに山崎育三郎さんの歌った、“二人の夢 あこがれを”の『を』で下がって上がるカーブが美しくて、その音運びをしそうだと思った通りだったのも含めて耳に心地いい変化だった。
城田優さんの“uh-”が奏でる曲線も素晴らしかった。
様々なアレンジと、様々な歌声で聴くことのできる歌。それでも立ち帰るのは、井上陽水さんの響かせるメロディー。
日本語の追求してもまだ足りない楽しさと表現の可能性に心惹かれながら、私は今日もこのメロディーを口ずさむ。