「なにを見てるの?」と時折聞かれた。
なにも見てない。が答えなのだけど、ぼーっと一点を見つめて立っているように見える私は、謎だったのかもしれない。
頭の後ろで考えごとをする時、意識を全部そちらに持って行くから、草の先とか建物の看板とか、無機物なものに視点を預ける。
不審にならないように、せめてもの視点を置いているつもりだけど、不思議そうに顔を覗き込まれることもあった。
そういう時は、「なんでもない」と答えた。
いろんなドラマを見ていて、“人が人を見つめている様子”を見るようになってから、あれ?もしかして「なにを見てるの?」という問いは、向けられている関心の表れだったのかもしれないと、とても今更な時差で気がついた。
こちらが視線を向けていない時間に視線を向けていて、自分に返らない視線の先がどこにあるのかを知りたいと思う。
ただ単にぼーっとしてるのが気になって、という場合もあるだろうけど、私も私のことを気にしていないのに、気にかけられている時間が存在するのは不思議なことだ。
なにを見てたっていいのに、どうしてそんなことを聞くのだろうと思っていた私は鋼の鈍感さだったかもしれない。
今も確信めいたことほど、ありふれたことだと見過ごそうとするところは変わらない。