会えて嬉しい、でも。
練くんが音に真っ直ぐ向き合うようになった、でも。
いまは音が、練に真っ直ぐには向き合えない。「プロポーズされてます」と正直に話す音だけど、歯切れが悪い。
話しながら、机の上にペンで星を作る様子が印象的で。大事な話であればあるほど、手持ち無沙汰で何か触っていたい感覚はわかるなあと思った。
「おめでとうございます」って言われて、うれしくない。
そんなふうに見える音の表情が、もうすべてだと感じた。
ディレクターズカット版では、小夏の台詞がもっとキツかったり、介護施設での所長の台詞がキツかったり。
ほんわかとするやり取りも増えていたけど、リアルが増していた。
園田さんとのことを忘れているとわかった音の顔。きんつばも、ゴリラを見に行った動物園も、朝陽は覚えていない。
きっと音にとって、目の前の朝陽がどんなに変わっていっても、それが大切な軸だった。
音の心がすう…っと離れてしまう瞬間を感じた。噛み合わない朝陽と音の思いが見ていてつらかった。
「結婚するか、別れるか、どっちかなんだよ」
追い込まれている朝陽の思い。
「また、サスケに会いに来てください」
「はい、またサスケに会いに行きます」
相手を思いやるとか、周りを思いやるとか、それは今いらなくて。
遠慮がどんどん難しくしていく。
朝陽の嘘を見抜いている父親。
朝陽を退席させて、話し始める父親に、「朝陽さんがまた戻ってきてから」と言った。そういう律儀なところが、音だなと思う。
音の本当の生い立ちを聞いても、音ではダメだと切り捨てることはしなかった朝陽の父親。
悪意ではないけれど、でも音を否定するには十分すぎる言葉の数々だった。朝陽を責めるわけでも、なにを言うわけでもなく、ただ立ち去った音。
朝陽の背中が切なくて。
「好きな人は?」「最初に思い浮かぶ人がいるでしょう」と言われて、
はっきりと思い浮かぶ人がいながら「わかんない」と悲しそうに言う、音の声が忘れられない。
音の関西弁が出る時はいつも、繕わない自分が顔を出している時で、
ケーキ…「誰かの誕生日やったん?」「誰の?」そこに気がつく洞察力。音の察しの良さは、時に自分の心を鎮めてしまう。
棚の奥にひっそりと置かれた、白桃の缶詰に気づく練のシーンは、通常版でもあっただろうか?
録画してあるものと、DVD BOXを交互に見ているから分からなくなっているとこがある。
ショートケーキの真ん中。いちごじゃなくて、いちごジャム。そういうとこ。
前にスーパーで、多分これだろうなというケーキを見つけて、買って食べたことがある。
福引きの話は、すごいと思った。
それぞれに見え方の違う“価値観”を、表しているシーン。台詞に引き込まれる。
「でも、この物干し良いですよ」
「そうですか?」
「うん、良いです」
「よかった。私が間違ってるのかなって思ってたから。こんなふうに思うの私だけかなって。同じふうに思う人いて、うれしいです」
わかってくれる人もいれば、わからないなって思う人もいる。
どっちがどうとかじゃなくて、同じだなって思える人が見つかることの特別さを感じる。
「杉原さんは、間違ってないですよ」
うれしいけど、受け取れないから。
「へえー」っと答える。
空の色の話を、音がする。
ちょっと怖い空。でも綺麗な空の話。
「今までずっとな、あん時見た空の話がしたかってん」
「誰にゆっても、伝わらへん気いして。伝わらへんかったらって思って、ゆわれへんかったんやけどな、ほんまに綺麗やったんやで。」
好きで仕方ないシーン、言葉だった。
誰か、わかる人がひとりいてくれたら。だけど、話して“何それ?”って伝わらなかった時の孤独感を知っているなら尚のこと、この人にならと思い切って話すのも怖い。
でも、ずっとしたい話を出来ずにいるのって、喉に何かが残り続けるみたいにきっと苦しくて、居心地が悪い。
「ほんまに綺麗やったんやで」
そう言えた音の目と、静かに受け止めた練の目。
ドアを開けた朝陽。言わせまいというタイミングで。
怒っている朝陽の表情を見ると、小さな音の部屋だから、ドアの前に立って聞こえていたのではと思った。音の本心を聞く機会でもあったけど、そんなことよりも渡したくないという朝陽の思いが強かったのだと。
おずおずと近づくから、こんなふうになってしまう。
もっとはっきり、走り抜けてしまえたらいいのにと思いながら見つめる第8話だった。