“この世界は愛だけで成り立ってるわけじゃないし、いい人だけしかいないわけじゃない。”
和輝のナレーションで、芯に触れた第8話の言葉が、心に残り続ける。
人は幸せになってもいい。元からそんなことわかっているつもりなのに、時々忘れる。
ドラマ「姉ちゃんの恋人」
岡田惠和さんの脚本で、カンテレ制作で、有村架純さんと林遣都さんの共演。
それを聞いたらもう、見よう。と決意。放送を待ちわびて、それから毎週見てきた。
「セミオトコ」や「ひよっこ」を書かれた岡田惠和さん。作品の雰囲気や台詞が心地よくて、好きな脚本家さん。
劇中でも「セミオトコ」で出てきた“うつせみ荘”を彷彿とさせる、“うつせみ公園”が登場したりして密かな遊び心もあった。
回を追うごとに、林遣都さん演じる「真人(まなと)」の抱えるもの。有村架純さん演じる「桃子(ももこ)」の立ち向かってきたもの。
それが浮き彫りになってくるにつれて、今までは岡田惠和さんがオブラートの中で描いてきた人間味の部分を、善意も悪意もキリキリ痛む境界線のスレスレに近づいて表現するつもりでいるんだと、覚悟のような空気を感じた。
しあわせになろう?みんなで。と、言いたくなる。なれるよたぶん。君たちなら。
副題になっている『つづけ、幸せ。』
見ていてそう願わずにいられない。
桃子にとって、ここで手を掴んでもらえなければ…という状況で受けた採用面接の場にいた、上司でもある日南子さんを演じている、小池栄子さんがとびきりキュートで。
捨てられている椅子に座り続けることを、役ではなく実際にされている、臼井さんを演じるスミマサノリさんの存在感も魅力的だった。
やついいちろうさんが出演しているのも嬉しくて、光石研さんがいて、藤木直人さんも紺野まひるさんも、全員の役と出演者さんについて話したくなってしまう。
そして、桃子の弟たち。和輝、優輝、朝輝。
和輝は、King & Princeの髙橋海人さん。優輝は、日向亘さん。朝輝は、南出凌嘉さんが演じている。
姉ちゃんに恋人ができたと報告を受けて、3人で見に行く弟たち。
フォークリフトを運転する真人にピンときて、仕事の邪魔にならないよう見つめているのが可愛くて仕方ない。
弟3人を見つけた時の真人の微笑みが、もうそれでいいじゃんって思うほど優しくて。何だよとかそういう困惑や警戒の前に表情が和らぐ真人なら大丈夫なはずだよと言いたくなった。
誰かが誰かを見つめる視点が大切に描かれていて、登場人物たちはそれぞれに思いを“言葉にして言う”ことの重大さを理解している。
だから話すのにも、言葉につまりながらだったり、同じことを繰り返して言ったり、「〜だよね?」と問いかける話し方が多くある。
桃子の感性で素敵だなと思ったのは、
第2話で桃子が真人の仕事姿を見ているシーンの、和輝のナレーションで聞こえる
楽しそうに働く人が好きだ、楽しいことばかりではない仕事に楽しみを見つけることが出来る人は
生きるという長くて地味な仕事にも、楽しみを見つけられる人だからって、いつかそう言ってたよね姉ちゃん
映る真人は別にニコニコと笑顔で働いているわけではなくて、でも真摯に取り組んでいるかどうかは、表情ではないところから伝わってくる。
“楽しいばかりではない仕事に” “楽しみを見つけることが出来る”それが容易くはないことを知っているから、桃子はその大切さに気づいている。
溢れる“大変”について、見つめながらその向き合い方を一緒に考えているような気持ちになった。
第2話、完成したツリーを前に、そっと手を伸ばして葉に触れた時の林遣都さんが印象深く、映画「バッテリー」の時の瞳を思い出した。
この瞬間に、吉岡真人を演じている林遣都さんがすごく好きだと実感した。
林遣都さんにとって、デビューであり初主演だった、映画「バッテリー」
好きで好きで、何度も映画館へ行った。学校に青春のカケラも期待できずにいた私にとって、学校行こう。多分がんばれる。そう考えられた特別な作品だった。
学校で貼られていたポスターを、貰えないか聞こうか聞くまいか葛藤して、聞けなかったのも思い出。
同僚たちで野球大会!となったシーンで、林遣都さんがミットを手に着けてボールを投げた瞬間に胸の高鳴りが振り切った。
少年でありながらピッチャーとして才能を持つ役柄だったあの映画から時を経て、ピッチングフォームがキレッキレの真人を見られるなんて夢のようだった。
バッテリー以来なんじゃないだろうか、野球をしている姿を見るのは。
あらためて第4話の次回予告を見直したら、“恋も野球も白熱!大活躍のバッテリーは?”と書かれていて、製作スタッフさんたちの遊び心ー!と嬉しくなった。
その後の回でも、弟たちと真人がキャッチボールをするシーンがあったのも嬉しかった。
桃子にとっての叔父さん、そして保護司である川上さんの葛藤は苦しかった。
真人が誰かに傷つけられたりしないか…と言っていた川上さんが、簡単には受け入れられなかった。
本心からそう思っていたし、真人のこと見守ってきたけど、でも…と悩んでる川上さんが自分の不甲斐なさを噛み締めるような、無理に作る困り笑顔が切なくて。なんとも言えない…湧いてきてしまった感情に戸惑って、でも誤解のないよう懸命に伝える。
真人は気持ちの中で自分にナイフを向けてるひとだった。
それに気づいていた桃子。確信に変わって、まず取った行動が、私は大丈夫とかそういうことじゃなく“抱き締める”だったのが本当にもう。
掴まえたって感じで、離してやるもんかって。
桃子に掴まれた腕。真人の怯えた目。
桃子にじゃなくて、真人の中に確かにある愛情が彼を怯えさせてると思うと、悲しかった。
観覧車でのシーンはこれからも忘れないと思う。
怖かった。怖かったって、やっと言えた真人の声と、世界に怯えているような目が忘れられない。
こんなに怖くて、分からなくて、なんでって思ってたのに、ずっと自分の感じている気持ちより事実ばかりを優先して。周りの人たちを守ろうとして。
自分が傷つくのはいいと許せてしまうけど、周りにいる人が傷つくことがなにより耐えられないんだと思うのと話した、お母さんである貴子さんの言葉が心に残っていた。
桃子を見つめ返す真人の瞳、すごかった。
絶対に嫌われるって、上手く話せなくてごめんって受け入れてもらうなんて想定もしてなかったのに、桃子がああ言って。
驚きと、安堵と、マーブル色の思いが胸に刺さるほど伝わった。
林遣都さんの真人としての、観覧車での目を見て「バッテリー」を思い出したのは、あの頃から変わらないものが瞳の奥にあって、役としては自己と向き合うことで青年の時の空気感を呼び起こすシーンでもあったからなのかなと思った。あの目が、本当にすごかった。
好きで、好きになって。許されるための課題や壁なんて無くていいはずだけど、そうもいかなくて、それが取り除かれた瞬間の、真人と桃子。悟志と日南子。和輝とみゆきたちの嬉しさに満ちた表情に、こっちまで胸が高鳴って。うれしかった。
幸せになってほしい、幸せになる。その気持ちが、負から這い上がる意味からくる原動力ともちょっと違って、ただ実直にそうしたいと思う気持ちからくる行動なのがいいなと感じた。
和輝が一人で真人の前にやって来て、
安定した発声でハツラツとした声で話すことの多かった和輝が、呼吸を乱しながら懸命に話す姿に切実さが溢れていて。
桃子から弟たちへは、もしも何かあった時は、助けてください。と初めて頼る言葉。
和輝から真人へは、僕らがいるから大丈夫!ではなく、僕らに出来ることもあると思います。という言い方で、その上で姉ちゃんのこと、真人さんが守ってくださいと伝えるところが、距離感と温かさが素敵だと思った。
姉ちゃんが思う以上に頼もしく、僕たちに出来る事と真人にしか出来ない事。それをちゃんとわかっていて、向き合う二人が最高にかっこよかった。
姉ちゃんから報告を受けたシーンの表情にもぐっときて、その時の台詞もすごくよかった。
意を決したみゆきから、相手、和輝なんだ…と話された後の桃子、とことん幸せになる二人を想像していた。
おい!って呼び出すのも、みゆきの方じゃなく、和輝の方を呼び出して、大切な親友だからってみゆき側に立ったのが意外だった。
その後の、姉ちゃんとしての優しさも良かった。
第8話は、終盤での展開が本当に見ていてつらかった。怖かった。どうしようかと思った。
何があって、真人がなにを失ってきたかを知っている桃子には、元彼女を前にして言いたいこと、一言怒りたいこと。あるはずなのに、何も。何も言わず。
目の前で手を握ったりもしなかったのが印象深かった。真人を尊重して、隣にいると決めたからなんだろうと思った。
幸せ幸せうざいねって真人は言ったけど、私は、このドラマを見てると幸せになろうって思う。思ってもいいんだなって気持ちになれる。
真人は、あの場で震える手を誰かに握りしめてもらうんじゃなく、気持ちも手の震えも、自分で向き合うことで沈めた。
桃子には、そばにいてお願いと、必要な助けはちゃんと求めて向き合った。
全話を通して聞こえていた和輝のナレーション。
第8話は特に、核心に迫っていた。
「この世界は愛だけで成り立ってるわけじゃないし、いい人だけしかいないわけじゃない。一歩道を曲がれば、そこには、得体の知れない、悪意とか暴力とかがあって……きっとそれはなくなることはなくて」
「僕らにできることは、誰かにしっかりつかまって、誰かとしっかり手をつないで……自分たちを守るしかないんだ。でないと不幸の落とし穴はそこら中にある」
「でも、大切な人、守るべき人が一人増えれば、そのぶん、世界はいい方向に向かう。そういうことだよね」
「僕らは、どんな嫌なことだって、楽しいことに変えてしまえる力を持ってんだ。それを『強い』って言うんだ、そうだよね、姉ちゃん」
“いい人しかいないわけじゃない”というナレーションを書いたこと。
脚本を書いている岡田惠和さんにとって、大きなことだったのではと感じながら聞いていた。穏やかな人、優しい人、そういう人たちがいることは全然フィクションじゃないと思っていて、そう見てきた。
だから岡田さんの書く作品が好きだけど、その穏やかさの輪郭によって噛み締める理不尽さを、今回は言葉にして伝えたことの意味を思った。
言わずに済むならそうしたかったかもしれないことを、あえて今は言葉にする時だと思ったのかもしれないと感じた。
穴に落ちないために、まとう空気を失わないために、どうしたらいいのかを二人は見つけた。
どうか何も起こらないで。幸せがつづいてほしい。ドラマを見ているうち、毎話毎話そう思いながら見つめるようになっていた。
Pentecoさんという作家さんの作品で思わず選んだ、地球のモチーフ。
桃子が売り場を担当していた地球儀。
オープニングで描かれているのも地球儀。なぜ?と思っていたけど、今はなんとなくわかる。
「姉ちゃんの恋人」の主題歌になっているのは、Mr.Childrenの「Brand new planet」
今になればタイトルにplanetとあることから、どれほどドラマに寄り添ってくれているか感じ取ることができる。
初めて歌詞を見ながら聴いた時、真人そのものだと思った。
静かに葬ろうとした
憧れを解放したい
二行の言葉に胸が苦しく、でもわくわくした。
消えかけの可能星を探しに行こう
何処かでまた迷うだろう
でも今なら遅くはない
新しい「欲しい」まで もうすぐ
こんなに優しいエールがあるだろうか。
抽象的な優しい表現でありながら、その想いの強さも、ようやく辿り着けたことが伝わってくる。
欲しいと願ってはいけないと思い続けてきた真人の中のストップを、そっと外す歌。
最終話の、言うだけ、知るだけ。受け止めるだけ。のシーンがよかった。
「受け止めた」それは知ってくれている人がいるという何よりの心強さで、いざという時、心に留めていてくれる人の存在。
日南子さんの前に悟志さんが来たシーンで、涙が止まらなくなった。なぜなのかわからない。
ツリーの前で「桃子ちゃん」と呼んだ真人が可愛くて可愛くて。砂浜でちょっとがんばりながら「桃子」と呼んでるのもそれはそれで可愛さ溢れて転がりたくなる。
鎌倉の景色と江ノ電、そして走る車が映って、もしかしてと思ったところに、歩く二人。
克服できないこともある、少しずつ。なのがよかった。
買ってきたコーヒーも洒落ていて素敵だけど、恋人が入れてきてくれたコーヒーとカフェラテをどっちにするか選んで、水筒で飲むなんて最高じゃないかと思った。
全話を見終わって、「姉ちゃんの恋人」をつくってくれてありがとうと伝えたい。
演者さんも、スタッフさんも、制作に関わるみなさんに。放送のある毎週を過ごすことでめげずにいられた何かが私の中に絶対にある。
撮影現場などで気を配る大変さ、緊張感、計り知れないほどあったはずだけど、届けてくれてありがとうございます。
しあわせになれ、みんな。
まずそう思ったけど、なろう、みんなで。そう思ったっていいじゃない。
傷つくことなんてそこらじゅうに落ちているんだから、やすらぐ場所は、人は、自分で見つける。
人が嬉しそうな様子を見ているだけで、それがドラマで、画面越しであってもこんなに嬉しくなるんだと感じた時間。
火曜日が繋いでくれたこの3ヶ月。
ここまでどうにかこうにか毎日を送って来られたのは、ドラマの世界に生きる、みんなのおかげ。