用がないから、会いたかった ー「‪いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう‬」第6話 感想

 

「恋って何?」と聞いた小さな音に、お母さんは「帰るとこ。」と話した。

なにもかも無くした時に、“帰るとこ”と。

 

見ていてこの答えを聞いた時に、はじめはピンと来なかった。なにもかもが揃っている時に生まれる感情で、なにも持たないままで始まるものではないと、どこかで思っていたからかもしれない。

ドラマ「‪いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう‬」をもう一度通して見た時、それぞれの回の感想をメモしていたのに、第6話だけが抜け落ちていて、考えるのを放棄していたようだった。

どうしてだろうと自分でも不思議に思っていたけど、見終えて、いまの私でもわかる気がした。

 

どこで読んだかを思い出せないのだけど、確か満島ひかりさんがインタビューの中で話していた、

坂本裕二さんは全10話とした時の第5話辺り、折り返し地点でお話をひっくり返してしまう。と分析していたことが頭に残っている。

それは特色でもあって、そうなることでひとつのタイトルのドラマの中で多くの進展を見せることもできるのだと思う。だけどたまに、その急展開に唖然として寂しくなったりして、心がいじけてしまう。

「‪いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう‬」でも例外は無く、見つめ続けた音ちゃんや練くんの変化は大きく起きて、切なかった。

でも、そういうものだという考えもわかる。会わない時間があって、時の経過と共に人は変わる。また出会って、会わなかった間にどんな景色を見てきたかは容易くはわからない。

 

練くんの変わりようもそうだけど、音ちゃんが“大人に”なっていることに気持ちがギュッとなった。

27歳になった音ちゃん。これまでだって、考え方や大切にしたいものへの向き合い方は芯が通っていて魅力的だったけど、東京での時間を過ごして、暮らしている音ちゃんは、社会でのこなし方も身につけてほんの少しやさぐれているようにも見えた。

イヤリングなのかピアスなのか、ゴールドで、揺れないタイプのアクセサリーの雰囲気が絶妙で、女性の空気がある。強くあるために必要な装備のようにも思える。

 

音ちゃんが職場の同僚3人で飲みに行くシーン。

職場で思うこと、改善されない境遇。ままならない現実のなかで、安い方のメニューから注文したって息抜きのすべを身につけている彼女たちは確かに生きている。

「杉原、生き残れよ!」

お店から出て別れた音ちゃんの背中を呼び止めて、同僚の彼女が言う。

大袈裟でもなんでもないのだと、この言葉に思う。振り落とされそうになっても、なぜ、どうして、と諦めたくなっても、自分を保つことを選ぶ。

音ちゃんが働き始めた頃は先輩。今はいろんな話をできる同僚としての役、“丸山朋子”を演じているのは桜井ユキさん。このドラマを見ていた時、なんて素敵な佇まいでいる方なんだと、お名前を検索したほど目が離せない存在だった。

もっといろんなお芝居を観てみたいなと思っていたら、ドラマ「モンテクリスト伯」や「だから私は推しました」でどんどんと出演作品が増えて嬉しかった。その中でも、私は「‪いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう‬」の空気のなかに居る、丸山朋子を演じる桜井ユキさんがとても好きだ。

 

 

静恵さんの家で、木穂子さんと音ちゃんが再会した時の空気感は、ヒリヒリするほどリアルだった。

再会できるというリアル。あれっきりもう会わないことの方がドラマ的なのではと思う。一度知り合った顔は、そうそう忘れない。長いこと離れても、どれだけ拗れても、一度繋がったものは簡単に消えない。きっと良くも悪くも。

5年の間、互いの安否を確認することはあっても、繋がりきらなかった音と練。

律儀という言葉には、【ひどく義理堅いこと。実直なこと。】という意味があるけれど、まさにその言葉通り、律儀すぎる音と練に歯痒くなる。

 

電話を思いきって掛けてみてしまえる木穂子さん。

元カノがって言える木穂子さん。

練に近づける一歩はそういうことなんだろうと感じるけれど、練のそばにいる誰とも音が違っていたのは、そういうことなんだろうとも思う。

 

音の勤める職場に朝陽さんが本社からやって来て、上司がお茶汲みを指示するけど、すぐに「僕はいいよ」と音に自分の分までさせないようにする朝陽さんの一言が好きだと、見るたびに思う。

お茶を持ってきた音に上司は、ありがとうではなくて「手、洗った?」と言う。

衝撃的な一言。音に対しても、自分のいる職場に対しても、とても失礼。「洗いました」と返す音は動じない。このくらいの発言は珍しくない人だとわかっている空気の音の返事。朝陽さんと目を合わす。ねえ?と言いたげな、何とも言えない朝陽さんの表情がいい。

それを見てにこっとする音。きっとこの二人は、理不尽な職場での扱いにもこうやって向き合ったり流したりして、それに音が支えられることもあったのだろうと感じた。

 

お洒落なレストランで席につく二人を見て、二人の関係性はそうなんだと確信に変わる。

音ちゃんと朝陽さんは付き合って2年。

第6話を素直に受け入れられなかったポイントのひとつは、多分ここにある。見ていて、ショックだったんだと思う。音ちゃんが練くんを待ちきれなかったこと。

でも考えると、楽しめなかった芋煮会の日からは5年。3年間は誰のことも選んでいなかったことになる。

木穂子さんと一緒に居ると思っていた練くんのことを、思いつづけていてほしいと考えるのは、難しいのかもしれない。それでも、寂しかったけれど。

朝陽さんが事前に友人のウェイターにプランを伝えて、ようやく一緒に来られた今日の日の席。緊張の中の微笑みが繊細で、きっと大丈夫と思いたい気持ちと不安とが混ざっている表情が印象的だった。

朝陽さんは朝陽さんで音ちゃんの世界を広げてくれる人。音ちゃんのこれからを思ってくれる人。

 

 

音ちゃんが練くんを探して、柿谷運送に来るシーンで、やきいもが出てくる。

初めましてなのに、知り合いみたいに「おいで」と呼んで、事務所に入れてくれて、食べようとしていたやきいもを半分わけて「食べる?皮ね、ここ出してね」と机の上を指差す。このシーンが好きだった。

 

佐引なら知っているかもしれないと紹介されて、佐引さんの所まで行く音ちゃん。

「ボルト知ってる?」とまたウソをつく佐引さんが可愛く思えて笑ってしまう。「へぇー」と素直に聞く音を見て、小さく笑うサビキさん。練と同じだって思い出してるみたいに。

実際に練のそういうシーンがあった訳ではないけど、きっと練も、働きだしてすぐの頃に散々鵜呑みにして笑われたのだろうと想像できる。

簡単には練のことを教えずに、「知り合いが探してたので」とごまかした音に「だったらその知り合いが聞きに来ればいい」とバッサリ言う。佐引さんのそういうところがいい。

それでも、本心を溢した音に連絡先を渡してあげるところに、佐引さんにとっての5年間が見えて、彼自身も変わったとわかる。練を心配して、引っ張り戻すことができるのは誰なのかにいち早く気がついたのも、佐引さんなのだと思った。

 

変わってしまった練が漫画喫茶に相手を迎えに行くシーンで出てくる、吉村界人さん。

初めて知ったのは、ぼくのりりっくのぼうよみさんの曲「sub/objective」のMVだった。このドラマの中でも強いインパクトを残していて、忘れられない一人になっている。

車のドアを閉めようとした練に「あ、ありがとう」と言う彼。ちょっとの鈍りが言葉にあって、練はきっとそれに気づいている。見えないはずなのに確実に積み重なる自己嫌悪と違和感が練を蝕んでいく。

このシーンでは、怪しい会社のリーダーとして安井順平さんも出演していて、好きな役者さんなので嬉しかった。

 

 

練が自分の居所を掴めずにいる一方で音も、朝陽さんとのパーティーの約束に「緊張しすぎて、4時に目が覚めちゃって」と静江さんに話す。

何も言わない静恵さんだけど、わかっている様子の横顔。

 

朝陽さんは、突然の電話で父親に、社長に呼ばれて会社へ。

「朝陽」と名前を呼ばれた時の表情。一緒にビールを飲んでいる様子が無邪気にうれしそうで。だから、次の瞬間に社長として告げられた指示がつらさを増す。

 

会えないままかもしれなかった練と音。

ようやく会うことができたのに、よりによって、いつも通りじゃない、とびきり身を飾った音ちゃんで再会してしまうのが悲しい。

お互い変わっていないのに、変わったみたいに。

腕を組んでいる姿から、練が警戒して心を閉ざしているのがわかる。踏み込ませたくない、踏み込まれたら自分が崩れてしまうような、ギリギリで保たれている練の毎日。用はなんですかとそれしか訊ねない練に、「用…用はないです」とたじろぐ音。

用なんかあるわけ無いじゃないですか

用があって来てるわけ無いじゃないですか。

堰を切ったように言葉が考えるよりも先に出て、

用があるくらいじゃ来ないよ

用が無いから来たんだよ。顔が、見たかっただけですよ

 

顔、見たかっただけです。声、聞きたかっただけです。 

 

そう伝える音。 好きと言うより何よりそれがすべてなのに、練の心には届かない。

音が身につけているその服、ヒールのある靴、高そうなバッグ。価値も、音が自分で選んで買った訳では無いことも、多分わかっている。向こうに見えるその影が、練の心をさらに重く閉させてしまっているように見えた。

そこまでして練は何を守ろうとしているのだろうと思っていたら、扉が開いて明かされる衝撃。

練はまた、囚われてしまったんだとわかってつらかった。自己犠牲はこのドラマの登場人物それぞれに大きなテーマになっている気がして、特に練は、誰かのために自分を差し出してしまう人だった。音がそうなりかけた時、手を掴んで引っ張り出したのは練なのに。

 

音の部屋で、朝陽さんは「親父と会った。親父が、俺の目を見て話してくれたんだ。」と話す。

“僕”と“俺”が行き来する朝陽さんのことが気になるのは、きっと彼自身が自分の在り方に迷っていることが伝わってくるからだと思う。父親と会ってからの朝陽さんは、自分を一人前に見せたい思いが強くなって、それが言葉に出ているように感じる。

「よかったね」「なんかうれしいね」と朝陽の喜びに寄り添う音。なんかうれしいね、という気持ちの近づけかたが素敵だと思った。

大切な言葉を伝える朝陽さんだけど、背中から抱きしめて、朝陽さんを励ますように腕をトントンしていた音の手を上からぎゅっと握っているのが、音の気持ちの逃げ場さえも塞いでいるみたいで、素敵なことのはずなのに自然な未来のはずなのに、息が苦しくなる。

 

誰のそばにいるか、どうしてそれを自分では決められない時があるのだろう。

自己犠牲ではない方法で相手を思いやることはできると、練が気がつけたなら。“帰る場所”の意味をわかりはじめた音が、誰かのためにではない自分の気持ちだと気がつけたらと、願いながら見つめる第6話だった。