“キャンドルが消える前に”

 

とんでもなくセンチメンタルだ。あの時の吸っていた空気をもろとも思い出すように、蘇りすぎた雰囲気に船酔いを起こしそう。

シーとランドが並ぶあの国で、鍵をかけた思い出があった。

 

友達の紹介、なんて出会いを信じていなかった。それなのにそんなことは唐突に、本当に突然に訪れた。

よく一緒にパークへと遊びに行く友人と、食事をしていた。

「友達、呼んだから」という何気ない一言に、はじめましての人が来るんだとほんの少し心構えをして待っていると、外の明るさで影になる入り口からすっと近づいてくる人が見えた。

一目で、好きになった。

 

4人近くいた大きめのテーブルの、私の隣の席に、彼は座った。

スペースを空けてあげなければとずらした椅子。一切視線を向けることができない。そんな私のひとつひとつの行動が、後になって聞けば彼の方から見た印象では第一印象で嫌われたと思わせたようだった。

大勢での連絡先交換のタイミングでは、間合い悪く彼に近づくことができず、その機会を逃した。

だけど、どうにか繋がった連絡先。「調子はどう?」「最近なにしてる?」何気ないやりとりがぽつりぽつりと続いていた。

 

元気がでないとぼやくと、映画でも行くか?とお出掛けを提案してくれた。二人で行けばいいのに、共通の友人をもう一人誘って三人で行った。何を観に行ったかはハッキリ覚えているけど、映画の内容なんかほとんど覚えていない。

薄着で来てしまったと思っていたら、上着を貸そうか?と聞いてくれた。なのにどんな真面目さなのか、せっかくコーディネートを考えた服のバランスを崩したくなくて、「大丈夫」とその優しさを断った。

 

隣にいるだけでその片側が熱くなって、自分がいま夢のなかにいるのか現実にいるのかもわからなくなった。

多分それは舞浜というあの場所が持つ魔法でもあって、それ以外の場所で会ったとしても変わらずドキドキするのだろうかという、自分にとっても切ない疑問だった。

混雑して人の多いパークで、はぐれそうだからと前を歩かせる彼の視線を背中に感じながら、それなら手をとってくれたらいいのにと思っていた。

頼りなく歩く様子を見かねて、「こっち」とそっと押された背中はいつまでも熱かった。

 

理屈ではない感覚で彼を思っていると気づいていたのに、まだ10代だった互いのことを思うと、ふとした拍子の幼さに肩を落とすこともあって、もうすこし大人になってほしいと今思えば何様な視点で見ていた。

先がないことに悲しさしか感じることができなくて、あの頃が今よりも若かったとしても本気で、あと5年先で出会えたらと願っていた。

 

 

それでもその思いを捨てきる決意ができず、勇気を出して一度きり、二人で会いませんかと連絡をした。

冬のディズニーシー、2009年だった。

「キャンドルが消える前に、会いましょう」

その年のメインショーのコンセプトは“キャンドル”だった。キャッチコピーとなっていたこの言葉に背中を押され、メールを打った。どうするかを、この日に決意しよう。そう思って。

 

けれどその年、冬のディズニーシーには行かなかった。

行けなかった。恐くなったとか面倒くさくなったとか、そんな単純なことではない。でもいろんなしがらみに飲まれて、家を、出られなかった。

すぐに連絡をして、彼は戸惑いながら許してくれたけど、もう会うことを諦めた私はそれ以降、メールのやり取りだけを続けて、時折来る彼からのメールに好意がある可能性なんてことは考えもせず。思い出になることを信じてじっと待った。

 

2018年、今年のディズニーシーの冬のショーは、シンガーさんが生歌で歌うレビューショー

2009年のあの年にテーマソングとして鳴り響いていた「Welcome to Christmas」のメロディーが、復活していた。

あの時聴けなかったあの曲は、もう耳にできないんだと思っていた。

 

そのメロディーですべてが蘇った。懐かしい哀しさが、透明な水に落とした一雫のインクのようにじんわり広がった。

約束は守れなかったけど、ずいぶんと時間が経った今、あの曲を思い出にして聴くことができるのかもしれない