別れ道だとわかっていても歩いていく「青春のすべて」

 

アルバム「ジャム」には、様々な意味で“置いて行くものへの名残惜しい気持ち”の描かれた曲がいくつもあるように感じた。実際にそうなのかもしれないし、今の自分がピックアップする言葉が無意識のうちにそうなっているのかもしれない。

特に、いきものがかり水野良樹さんが作詞・作曲をして、編曲を本間昭光さんがしている「青春のすべて」は、聴いていると思い出してしまう存在があってどうにも堪えることが難しい。曲として好きだからこそ、いつか普通に聞ける時がきたらいいなと思う。

 

MVを合わせて見ると、四季折々を越えていく関ジャニ∞の表情を見ることができて素敵だった。

始まりの安田章大さんのシーンがとても好きで、万年筆・インクの瓶・手紙というモチーフが印象的だった。“手紙”がテーマとなるものに、私はめっぽう弱い。優しい表情で手紙を綴る安田さんは、書き終えたあと、紙飛行機を作って窓から飛ばす。ポストには出さない手紙。それがこの曲のメッセージのように思えた。

会えないのか、会わないのか、いないのか、それぞれに思い描く景色があるだろうなと思う。

 

「青春のすべて」を紹介される時、この曲は壮大なバラードと称されたりもしていたけれど、私には、小さな生活のなかで感じる言いようのない寂しさや後悔を許してくれる丁寧な曲だと思った。

イントロは確かに壮大で、しかし歌い出しから一変して、声の際立つ繊細さが現れてくる。渋谷すばるさんと村上信五さんのユニゾン。それに続く横山裕さんと丸山隆平さんのユニゾン。それぞれ相性のいい二つの声が重なり合って、曲の空気に覆われていく感じがした。

“秋”を表す紅葉の美しい映像に胸を打たれて、見入っていた。紅葉に手を伸ばす渋谷すばるさんの横顔、瞳にフォーカスが当たった丸山さんの表情、沢山の赤い木々に囲まれて真ん中にポツリと立ち上を見上げる大倉忠義さんの瞳がキュルキュルと光を映していたところ。ぼかしが綺麗で、素敵な映像だった。

 

アルバムで一曲をしっかりと聴く前は、自分もこの曲をスケールの大きな曲として聴くのかなと予想していた。自分の心に思い当たることがなければ、私はこの曲を“曲の中にある誰かの心境”として聴いたのかもしれない。卒業の時期に思い出しては、学生でいられたら「青春のすべて」を卒業式で歌いたかったなあなんて想像をしていたかもしれないなと思う。

 

きっと僕らが生きる明日は 悲しいけどもうひとつじゃない

サビのこの詞が、ふんわりとしたノスタルジーな描写が続く流れから、はっきりとした現実を示していて、聴く度にどきりとする。

卒業でも、別れでも、 わかっているつもりでもわからないことがあって、その“わからない”を「青春のすべて」は歌の歌詞として言い表してくれていると感じた。

置いて行きたくないものがあるけど、進まなくてはいけない時。寂しさを力に変えていくことの強さを信じたくなる曲だった。

 

2番の始まり、

起きがけのニュースで知った いつのまにか桜が咲いたと

と歌うのが渋谷すばるさんなのはベストだったと感じた。渋谷すばるさんがそのフレーズを歌うことで伝わる、生活感の温度があると感じたからだった。日常のなかで、テレビをつけて、桜が咲く季節になっていたことを外の風景を見てではなく、ニュースで知った。歌の主人公が、毎日を無意識なまま生きている様子が伝わってきて、切なくなった。

 

「これまで」を忘れたいわけじゃない

「これから」を想って生きたいんだ

この言葉が何よりの、歩みを進めていかないといけない人の持つ想いのすべてだと思った。

時間が止まるのならそこにずっと残って閉じ込められてもいいけれど、現実はそうはいかないから、時間は進めていかないといけない。映画「味園ユニバース」のカスミのように、時が止まってしまうこともあるけれど、時間を動かすには自分の意思がなければ動けない。

だから言い訳ではなく、“忘れたいわけじゃない”とはっきり言葉にしてくれる歌詞があることは大切だと思う。

 

だからこそ もがいて あがいて 自分なりをつかんで

というフレーズを、男らしい低くて太い声のイメージがある大倉忠義さんと錦戸亮さんが歌い、裏声で、か弱い声色を出してもらうことによって、いつもは強くいるその人の揺れる心の弱さを表しているように思えた。言葉としては強い意味であるはずの“もがいて”、“あがいて”が、強く歌わず空気を含むことで、必死にどうにか歩んでいるんだという情景まで伝わり、すごいと思った。

 

 

 そして僕はなんどもその手を 思い出して泣きそうになって

「情けないな」と悔しがって また前を向くんだろな

安田さんの声色がなんとも言えず胸を締め付けて、ここは安田章大さんの溢れ出る包容力のある声だからこそ成立するのだろうなと感じた。思い出しては、ではなく、『は』を抜いて、“思い出して泣きそうになって”と言葉を詰めることで、感情が込み上げてくる心情が伝わってくる。

“何度も”思い出して泣きそうになるけど、悲嘆には暮れずに「情けないな」と“悔しがって”また前を向く、というところに、悔しがる気持ちが湧くことの強さを感じた。

MVでの安田章大さんの、笑顔とも泣き顔とも取れない表情と、握り合う両手が、この歌詞に込められている意味を表現していて、ほっとするような、悲しみが素直に溢れてくるような気持ちになる。

 

関ジャニ∞がそれぞれにコンビを組んでのユニゾンは、どのコンビにも特色があって素敵だけど、このサビにきての全員でのユニゾンは本当に感動した。入り組んでハーモニーになってではなく、ユニゾンだからこその良さで、目の前に立つ7人が真っ直ぐに声を届けてくれているような、温かさと安心感があった。

 

いつの日にか春がまたきたら 今度こそはちゃんと伝えるよ

君に出会えてよかった 僕は明日を生きている

僕らがみたのは 青春のすべて 忘れはしないよ 季節が変わっても

 

懸命に時を進める覚悟をした主人公の想いがここにある気がした。

“僕は明日を生きている”という言葉が、何よりの“君”への感謝の想いであり、やるせないほど切ない想いを表す言葉になっていると思った。

“いつの日にか春がまたきたら”と歌うところにまだ切なさがあって、春は毎年来るのに、来年春がきたらではないんだと聴いていて思った。主人公にとって受け入れられる時がきたらという意味なのだろうなと思う。だからもしかすると歌詞カードでの表記が漢字で『来たら』では無く、“きたら”とひらがなになっているのかもしれない。

 

それぞれが、心のなかに持つ青春や、忘れたくないもの。これから作っていくのかもしれない青春も、大切であることに変わりはないと、そっと肩に手を触れてくれるような曲だった。

たとえばもし、今はまだ強い気持ちで言えない言葉があったとしても、関ジャニ∞の歌うこの曲があったなら、進んでいけるのかもしれない。