ベルの髪に飾られたかすみ草 – 実写版「美女と野獣」を観て

 

好きで仕方ないアニメーションだった。

「リトルマーメイド」「シンデレラ」「美女と野獣」が好きだった。ダークファンタジーに変えずに制作し、音楽をアラン・メンケンが総指揮。ベルの完全再現を目指しエマ・ワトソンが演じてくれたことはなにより嬉しく、制作が決まった時から待ち遠しい気持ちでいた。

吹き替えキャストの発表も全てがサプライズで、徹底的にミュージカルに特化したキャスティング。濱田めぐみさんのエルファバを見たくて「ウィキッド」の当日券を懸命に取った頃が懐かしく、まさかディズニー映画でその歌声を聴ける日が来るとは思わなかった。

今回映画館に行って初めて、前のブロックの席で見る楽しさを知った。視界いっぱいのスクリーンは、まさにその世界観に飲み込まれるようで、押し寄せるバラの赤に覆われる感覚が好きだった。理想にしていた、吹き替えを2回字幕を2回というバランスで見ることが出来たので、心残りはない。

 

字幕、吹き替えどちらも素晴らしかった。こちらのここが良いというポイントは随所にあるけれど、字幕で感動したのは「朝の風景」のシーン。英語のタイトルは「Bell」で、文字通りベルを表す象徴的な歌になっている。そのなかでも特に、ベルが本を読みながら誰かに語りかけるように本の中の登場人物について話すシーン。

アニメーションの日本語版では、

「そう 気づかないのよ 王子様が彼だってことが」

と日本語で歌われている。

この“王子様が彼だってことが”の部分は英詞でも意味としてあるけれど、英詞にある更なる描写が日本語にはない。

 

英語では

「But she won't discover that it's him chapter three!」 

 とベルが歌っていて、ここの「 chapter three 」という表現が大好きだった。

このパートは、ベルがどれほど本を好きで、この物語のここが良いの!と語っている熱量が伝わってくる歌詞になっているところが魅力だと思っていて、しかしアニメーションの日本語字幕でもこの部分のフレーズはあまり意味合いが伝わらない訳になっている気がして寂しく思っていた。

それが今回、チャプター3のことを「第3章」と訳されていたのを見た時の喜び。

そう!そういうこと!と嬉しくなるほどの名訳を付けてくれていたことに感動した。そのまま“チャプター3”と表すのではなく、品のよさをそのままに、本の表現としても日本語としても違和感のない「第3章」という言葉のチョイスは完璧だと思う。それによって、“本の第3章まで彼女は気づかないの”と興奮気味に話すベルの意図がきちんと伝わるようになっている。

英語と日本語では音数に入る言葉の情報量が違うため、全く同じにすることは難しいし、日本語表現ならではの良さもあるけれど、この歌については今回の実写版「美女と野獣」字幕が素晴らしかった。

エンドロールの最後に出た字幕を担当された松浦美奈さんというお名前を見て、素敵な字幕でしたと拍手を送りたくなった。

 

大好きなシーンだけど、「朝の風景」を観ていると、どうしてか切なくなる。 

小さな街で育ち、あれだけ顔見知った人たちのいる賑やかな景色なのに、ベルの持つ感性を理解してくれる人は本を貸してくれるあの人とお父さん以外におらず、同じ視点で物事を見ている人が居ない。孤独ではなくベルの孤立が、はっきりと伝わってくるからかなと思った。「他の世界を見てみたいのよ」という歌詞と、リプライズの「私には大きな夢があるの」という歌詞とメロディーに胸が熱くなる。

 

吹き替えで特に良かったと感じたのは、オープニングのナレーションと、ルフゥと対面した時のポット夫人の台詞だった。ルフゥとポット夫人は、あの瞬間的に2人の息が合う感じが言葉のテンポの良さに表れていた。

そして始まるプロローグ。

「いったい誰が、こんな野獣を愛してくれるのでしょう」

アニメーションと同じ台詞だったこの言葉を聞いて、ああ「美女と野獣」が実写化されたんだなと実感が湧き、鳥肌が立った。ここは日本語で語られることで、言葉の重みが際立って心に響いた。冷たく、哀れむような声で語られるプロローグに一気に引き込まれ、この言葉でバッと暗くなるスクリーン。「美女と野獣」とタイトルが映り、朝がやってきた音がして始まるミュージカルシーン。

いったい誰が、と語られた後に初めに映る人物がベルだというところが、とにかく大好きだった。ストーリーを知ってから見ると、どう転んでも共通点も通じ合うことも無いように見える2人がこれから出会うことになるのだと、まさに本を読みながら物語に出て来る2人を見守りソワソワしていたベルと気持ちが重なるように、あなたこそ、これから恋を見つけるのだと教えてあげたい気持ちでいっぱいになる。

 

ベルの着ている服装が一貫して自然であることが魅力的で、知性を感じるブルーが美しく取り入れられていた。さらにベルの象徴とも言える舞踏会のイエローのドレスは、ボリュームを付けすぎずギラギラしすぎず、落ち着いたデザインにほんのりときらびやかな刺繍を付けたドレスだったことがとても良かった。

 

 実写版のオリジナルとして登場した、カデンツァがとても好きで、どこかで見覚えが…と感じたものの分からずにいたら、なんと「プラダを着た悪魔」で『Weke up sweetheart』という最高の台詞を放ったナイジェルじゃないですか…!スタンリー・トゥッチという名前の役者さん。キャストが揃ってインタビューを受けた時の写真を見て、この方いたっけ?なんて思ったけど、それはあまりに見事に物語に馴染んでいたからだった。ラスト、とびきりのウインクをした瞬間を、4回目の今回見逃さなかった。あのメイクでも隠しきれないダンディーさが素敵だった。

 

「Be our guest」の歌い出しの高揚感は実写でも変わりなく、このエンターテイメントを目の前で見ているベルの表情が見たい…!という感情が湧くのだけど、このシーンはまさに観客がベル目線で見られるように工夫されているのではないかとふと思ってからは、あまりベル自身が映らないことにも納得がいった。英語でも吹き替え版でも、ルミエールの声が本当に素晴らしくて、いい声だった。ルミエールはよく喋り台詞も多く、「Be our guest」は歌から語りに移ったりと、メロディーがあって無いような難しさがある曲調を軽やかに乗りこなし、抜群の存在感を放っていた。

プロローグのシーンに、王子を“見ていただけ”の家来たちが後ろ姿のみで映っていることと、老婆がやってきた時、王子にロウソク台を渡したのはルミエールだということは観ていて何度目かでやっと気づいた。だからルミエールはロウソク台に変えられたのかとハッとした。

人間に戻ったルミエールも笑顔が素敵な紳士で、プリュメットとのカップルがとてもいいバランスだった。今回の実写キャラクターで憧れNo.1はプリュメットで、こんなお姉さんとお友達になれたらと思った。

ルミエールに限らず、ベルも勿論、フランス語アクセントのような英語の発音になっているところに感動して、その自然さによって、時々混じる“シルブプレ”などの言葉も耳に違和感なく聴くことができた。音がこもるような発音を聴いていると、英語なのにフランス映画を見ているような不思議な感覚を覚えた。

 

ディズニー作品の悪役と呼ばれるなかで、昔からどうにも受け入れられなかったのがガストンだった。しかし実写化によって“人間味”の芽生えたガストンは、やっぱり嫌い。嫌いだけど、赤を象徴的に身にまとい戦争時代の背景がちらつく彼を見ていると、街の英雄として信頼を得た経緯が少し理解できた気がした。お金を渡し、ガストンのため観客を作り出すルフゥも同様に、悲しく見えた。

「夜襲の歌」のシーンが本当に苦手で、何度観たとしてもつらかった。人の恐怖心を操り、集団意識を利用して止めようのないパニックを起こすガストンへの腹立たしさと、恐ろしい正義感で団結する民衆の姿に悲しさばかりが募った。解けない誤解ほど恐いものはない。

 

野獣の声は、英語の方はエフェクトが自然に聞こえて、人間になってからもあまり強い変化は感じなかった。それはそれで良く、吹き替え版は山崎育三郎さんの声を楽しみにしていたので、序盤は思っていた以上にエフェクトのかかった声に戸惑いもあった。もう少し、そのままの声でも充分、野獣の声として聞こえていたのではないかなと思った。でも、山崎育三郎さん自身も意識して歌ったと話されていたように「ひそかな夢」のシーンは、声が繊細に移り変わり、野獣の声の中に人間としての声が現れては消えるのが切なくて、凄かった。人間の心を取り戻し、優しさを手にしはじめる変化が伝わってきた。

 

ラストの舞踏会で、王子は鮮やかなブルーの装いにブルーのリボンで後ろ髪を結っていて、忠実に再現されたその姿に嬉しくなった。

そしてベルは、ホワイトを基調にしたシンプルなドレスにオレンジの花があしらわれていて、後ろにまとめた髪にはかすみ草を着けていた。

ベルのドレスだけがなぜ現代的なのかという問いもあるようだけど、私には、この華やかな場でもベルが心に持つ芯がしっかりと表れているように見えて、ベルが好きなものを選んで着ているのだろうなと思った。マダムガルドロープの着せたドレスをスッと脱ぐ彼女のことだから、服装の好みもはっきりしているのだろうと思う。

髪に飾ったかすみ草が、慎ましく可憐なベルに似合っていた。

調べてみると、かすみ草は英語で「Baby's breath」

花言葉は【everlasting love】(永遠の愛)【purity of heart】(清らかな心)だった。

学名にも「philios」(愛する)という意味の言葉が入っていて、本来の意味合いはその花が石灰質の土を好むことからついたそうだけれど、エンドソングにもなっていた「時は永遠に」の歌詞を見ていると、それも偶然ではないように思えた。

 

 

“一瞬が永遠になるには?”

“物語が続くためには?”

「時は永遠に」の歌と共に流れはじめるエンドロールの前のエンディングが本当に美しく、一人一人映る人間の姿に戻った彼らを見て、映画を観ているうちにそれぞれへの愛着が生まれていたことに気づく。

 

今回オリジナルソングとして加わった「時は永遠に」は、物語の中でもメロディーが印象的に聴こえてきて、映画を見終わる頃には耳に残る曲になっていた。あれだけ昔から馴染んでいる曲の中に、新たに曲を加えることは簡単ではないと思うけれど、「時は永遠に」も「ひそかな夢」も、ちゃんと美女と野獣の物語の一部になっていた。

それぞれの表情が感慨深く、モーリスの穏やかでありながら、訴えかけ受け入れるような眼差しが心に強く残った。そしてガストンが映るのは魔法の鏡の中、というのも“野獣は誰か”と暗に示しているようでドキッとした。シルエットだけになっているカットが好きで、俯いていたりする彼らのシルエットは魔法をかけられている頃の心の姿のように見えた。歌の終わりと共に、魔法をかけられていた頃の彼らは絵本を閉じるように扉の向こうにそっとしまう、その映像の閉じ方が、さびしくもあり暖かかった。

英語で“Still our song lives on”という歌詞に来るタイミングで、歌うことが全てであるマダムガルドロープを映すところも素敵だった。

 

 

彼は探していた。かけがえのない自分を。

彼女は信じていた。かけがえのない自分を。

日本版のポスターに書かれている言葉が本当に好きだった。この一文を読んで、だからベルに惹かれていたのだと気がついた。“変わりもの”と呼ばれることを気に留めない訳ではないけれど、周囲に合わせ自分を形作ることはしない。ただ、信じている。どこかに自分の居るべき場所があると。

そしてインタビュー映像で、ルフゥを演じるジョシュ・ギャッドが話していたこの言葉が、印象に残った。

「ベルは自分が抱く不思議な感覚を受け入れ、新しい世界を見るんだ」

 

人と違うかもしれない。“普通”とは違うかもしれない。

でも自分の信じられる自分がそこに見えているのなら貫いていけばいいのだと、伝えてくれている気がした。