Eテレで見る「舞妓さんちのまかないさん」に、関ジャニ∞を見ている

 

舞妓さんたちが共同生活をしているお家で、食事を作るまかないさん。

舞妓さんたちと同い年の彼女が、お料理を作る。

 

小山愛子さん作の漫画「舞妓さんちのまかないさん

少年サンデーで連載をしている。単行本は現在、19巻。

 

漫画を読んだ時に、可愛らしいまかないさんとしてのキヨちゃんが台所に立つ姿に、ただ可愛らしいだけでなく微かな物悲しさを感じた。

幼馴染で、一緒に青森から上京してきたすーちゃんは舞妓さん。

仲が良くて微笑ましい二人だけど、友達と括るだけでは足りないような、無言の絆と、それでもどこか拭いきれない一線に切なさがある。

哀愁と風情の漂う漫画の雰囲気に、どこまでも引き込まれていくような感覚になって、これは全巻揃えたくなる漫画だ…と思った。

 

その「舞妓さんちのまかないさん」がアニメになった。

Eテレで土曜日の9時20分からが本放送で、再放送が17時25分から。夕方の再放送を見るようになってから、毎週の10分がほっとするひと時になった。

たった10分の中に、京の風情がある。

すごいなあと思いながら、あっという間に終わってしまう。

Netflixでのドラマ化も発表されていて、2022年に配信予定になっている。

是枝裕和監督で、フードスタイリストは飯島奈美さん。

キヨ役は森七菜さん、すーちゃん役は出口夏希さん。さらに蒔田彩珠さん、橋本愛さん、松岡茉優さんが出演と聞いたら、見るに決まっている。

 

今回話したいのは、

アニメの「舞妓さんちのまかないさん」から感じている、懐かしさと恋しさの話。

見ていると、大阪と京都で過ごした時間のことを思い出す。陽が傾いて、ああ今日も閉じてゆくなあと噛みしめた夕暮れ時の空気が蘇ってくる。

関ジャニ∞を追いかけて、実際の姿ではなく彼らの故郷を追いかけて大阪へ来たこと。

その時に知った、この地に漂う哀愁と人情の空気感。

 

アニメのオープニングは、つじあやのさんが歌う「明日きっと」

音の雰囲気やリズムが「風になる」と通じるものを感じて、アンサーソングのような聴き方もできるなとうれしくなった。

あの夏の頃に聴いても心に残ったはずだけど、今でもまだこの歌詞が大阪へと向かった時の思いに重なるのは、胸の熱さが残っているからだと思う。

 

見上げれば君が微笑むような

七色の虹をかけてもいいですか?

 

問いかけの柔和さが好きで。

“君が微笑むような” “七色の虹”は、お互いが離れた場所にいても見つめることができる。

君に会ってからのことではなくて、この場所からできることを空に託すところが素敵だと思った。

この歌詞の時に映るすーちゃんが、舞妓さんへと変わっていくところに切なさと感動がある。

 

君に会いたくて会いたくて

眠れないまま夢を見る

明日きっと君の背中を見つけられるよ

この街のどこかで

 

“眠れないまま夢を見る”

穏やかに眠りにつくことはできていないけど、それは期待が胸を高鳴らせているからかもしれないし、ざわつく胸を抱えながら強い思いを募らせているのかもしれない。

TVバージョンではない方を聴くと、フルサイズで2番もあるので、両方聴いてみてほしい。

 

 

お話ごとに出てくるお料理は、舞妓さんが食べやすいように一口サイズに工夫されていたり、休日だからこそ食べたいものだったり。

どれもキヨちゃんからの優しさが表れていて、ああ明日食べたいなあと思う。

終わりのミニコーナーで、地域ごとに違う食べ方や、お料理の知識を知ることができるのも楽しい。

 

そして、エンディングのイラストと音楽が「舞妓さんちのまかないさん」の持つ物語を、一層深く表しているように感じて、毎度じっと見てしまう。

関西を感じる音がメロディーになっていて、それは「大阪ロマネスク」を聴いた時に湧き上がる恋しさに近い。

普段着のキヨちゃんと、舞妓さん姿のすーちゃん。

オレンジに染まる京の街並み。

二人が鴨川の飛び石を渡る様子のイラスト。夕日のあたる二人の手元がアップになって映る。

 

見逃していなければ、アニメではすーちゃんからのキヨちゃんへの思いは時折見えるけれど、

キヨちゃんがすーちゃんへ見せているのは純真な応援の気持ちで、寂しさは見せていない気がしている。

舞妓さんとして成長していくすーちゃんの背中を、キヨちゃんはどんなふうに。

アニメの温かい雰囲気の10分間で、シリアスな場面はほとんど出てこなくても、舞妓さんでいることの大変さや、関係性の切なさをどこかに感じていて、エンドロールでその感覚は外れていないのかもと再認識する。

 

こっちこっちと引くように、握り合う手と手を見るたびに、心がぎゅっとなる。

どうか二人がその無邪気さのまま、隔たりにも分かれ道にも裂かれることなく、手を取り合っていてほしいと願ってしまう。

 

そんなふうに思いながら、京を感じる音楽とイラストに、無我夢中で追いかけたあの時の風を思い出す。

「大阪ロマネスク」だけを聴きながら歩いた、嵐山の竹林に差す光と緑の景色が蘇る。

会いたくて、会いたくて、カンテレの大きなポスターを見上げてから関空へと向かった天満駅のホーム。長い水の上の橋を渡って、空港にたどり着く。

ウェルカムパネルを探していたら、聞こえてきた「大阪ロマネスク」を頼りに見つけられた時の、うれしさと言いようのない胸の苦しさ。

お店からでも、景色からでもいいから、彼らの面影を探して歩いた大阪。

懐かしむ記憶にできる時間があったことも、その気持ちを「舞妓さんちのまかないさん」から感じることのできる今も、大好きだ。

 

Café1894で抹茶のアフタヌーンティー

 

今年の憧れは叶えたと言えるくらいのひと時だった。

元は銀行として建築されたクラシックな空間で、アフタヌーンティーができたらどんなに素敵か。

それもホワイトチョコと言うより、“お抹茶”の苦味も大切にした抹茶スイーツがテーマなら、なおさら魅力的。

予定はないつもりでいた「Café1894」でのアフタヌーンティーに行くことができた。

 

予約が埋まっていくなかで、行けそうな日の予約を取ることができて、1日1日と待ちわびてやって来た当日。

3度目になれば迷わず辿り着ける。

中庭をすこし眺めてから行こうと立ち寄ったら、昼間の景色も素敵で、薔薇が咲く庭園があった。

赤いレンガの建物と薔薇の相性は抜群で、アーチの美しい大きなドアや窓がとても良かった。

f:id:one-time:20220601230809j:image

f:id:one-time:20220601231101j:image

 

今日のため何を着て行こうか考えて、クラシックをテーマにコーディネートしたワンピースと、レースの靴下と革靴。

小さめのパールとビジューのイヤリングも合わせた。

 

今回は、前もって予約をしてある。

自信を持って店内に入って、名前を伝えて案内された先には、アフタヌーンティーのためのテーブルセットが。

照明の明るさというよりも、大きな窓から差す日の光が店内を照らしていて、座った瞬間から居心地がよかった。

 

f:id:one-time:20220601231914j:image


f:id:one-time:20220601231912j:image

 

ウェルカムドリンクを、アルコールかノンアルコールか選ぶことができる。

ノンアルコールを選んだら、華奢なグラスにピーチサイダーが出てきた。

f:id:one-time:20220601230640j:image

ネクターの甘みと炭酸が美味しい。

三菱第一号美術館スペシャルドリンク「ポエム」

ドリンクが、“お好きなだけお選びいただけます”なのも嬉しかった。

お水は大きなワイングラスで出てくるので、グラスを手に持つたびに緊張感があって、おしとやかモードになる。

 

テーブルへと最初に運ばれてきたスイーツは、

抹茶テリーヌ」と「胡麻ブランマンジェ(抹茶ソースを添えて)

ここのアフタヌーンティーの特長で、冷たいスイーツプレートの「アシェットデセール」という位置づけらしい。

f:id:one-time:20220601225515j:image

濃度しっかりの抹茶テリーヌ。

抹茶の風味として苦味もちゃんとあって、ぎゅっと抹茶。

胡麻ブランマンジェは、ビスケットが一緒に入っていて、胡麻系の味が得意ではなかった私は恐る恐る食べたものの、ふんわり白胡麻の味。

そこに抹茶ソースをかけると、味がさらに変化する。

この抹茶ソースも、甘さではなく、しゃかしゃかと立てる抹茶の味。お椀で飲むようなお抹茶。

甘みやホワイトチョコで逃げる気のない真っ向勝負だ…!と序盤から前のめりになった。

 

アイスカフェラテと合わせて、スイーツプレートを食べ終える頃。

すっと置かれた3段のティースタンド


f:id:one-time:20220601225608j:image

眺めるこの時間が楽しい。

スタンドの色や形にもお店の個性が出ていて楽しい。あまりに自然に持って来てくれるので、運ぶの大変そうなのにいつの間に?と思った。

 


f:id:one-time:20220601225823j:image

 

お食事の3段目から、

彩り野菜のラタトウイユ

クラッカーの上にラタトウイユ。一口でトマトの風味。

ホタテとマンゴーのタルタル

スプーンの上に盛られたタルタル。思い切ってパクッと頬張ると、レモンのような酸味とホタテの甘み。

マンゴーのことをすっかり忘れたほど、味がマッチしていた。赤い粒のペッパーが後味に効く。

鴨とアボカドとビーツのミニバーガー

ミニマムなハンバーガーのてっぺんに、ミニマムな目玉焼きが乗っている。

f:id:one-time:20220601225919j:image

どうやって食べたら…と迷ったけど、上半分と下半分に分けて、ナイフでさらに半分にカットして食べた。

鴨の厚みがしっかりで、歯応えもあって美味しかった。バンズ部分がサクサクだったので、もう少しパンの柔らかさがあると嬉しいなと思った。

 


f:id:one-time:20220601230103j:image

 

真ん中の2段目は、

スコーン「プレーン」「抹茶とホワイトチョコチップ

サイズ感にして、存在感はかなりのもの。

密度がぎっしりな生地で、プレーンはバターの風味を感じる。ホワイトチョコチップに気づかなかったけど、抹茶に甘みほんのりのスコーン。

クロテッドクリームをお好みでつけて食べる。

ちょこっと試しにつけて、クリームチーズっぽさがあったのであとは普通に食べた。

パウンドケーキ」も抹茶。

このサイズのパウンドケーキを3等分にして食べるなんてアフタヌーンティーだからこそ。

ちょっとずつ、ドリンクも味わいながら、少し背伸びしている自分も含めておもしろたのしい。

 

f:id:one-time:20220601230245j:image

 

1段目は、

2種のわらびもち(ヴェルジョワーズの黒蜜付)」

スポイトで好きなように黒蜜をかけられる。

プレーンなきな粉のわらびもちと、抹茶粉のかかったわらびもち。

これがもっちもちで、美味しかった…

f:id:one-time:20220601230417j:image

抹茶レアチーズタルト

レアチーズだった。レアチーズで、抹茶。

下のクッキー部分と、間にあるクリームは小倉だろうか。

抹茶ロールケーキ・小倉クリーム

半分にしようとするとクリームが出てくることを見て学習したので、一口でいただいた。

 

ドリンクの種類が様々で、次は何にしようかなと眺めるのも楽しかった。

f:id:one-time:20220601231705j:image

紅茶や緑茶の種類も色々。

抹茶ラテも飲みたかったし、最初に美味しかったポエムも締めに飲みたかったけど、最後は三菱第一号美術館スペシャルドリンクの「blue(ブルー)」を選んだ。

この色だけど、味はオレンジジュースの酸味。

f:id:one-time:20220601230507j:image

イギリスの“ベイキング”コンテストを番組にした、「ブリティッシュ・ベイクオフ」を見るようになってから、

完成されていて、それが当たり前のように見えていたパンもパイも、焼き菓子もスポンジも。

膨らんで当たり前な訳ではなくて、この綺麗な見た目も美味しい味も、人の手仕事あってのお菓子なんだと思うようになった。

 

番組では、アフタヌーンティーのプティフール作りがテーマに出ることもあって、

サンドイッチ、スコーン、マカロン、どれも作業は忙しくでも美しく作るために、オーブンの温度や生地を寝かせる時間、発酵の度合いに試行錯誤していた。

コンテストの場合は、作業に制限時間が設けられる。

On your mark,」

「Get set」

「Bake.」

で始まるベイキングタイムのことを思い出すと、テーブルで目の前に並ぶスイーツが出来上がるまでの過程をイメージできた。

 

大好きになった空間で、憧れのアフタヌーンティー

たまにする背伸びは楽しい。気分は映画「プリティ・プリンセス」で所作授業を受けるアン・ハサウェイだった。

上手くなくて、ナイフとフォークでカチャンッと鳴って、あーとなるのも経験。

 

抹茶のグリーンで統一されながら、華やかさを見せるのは難しそうだと思ったけど、見た目に嬉しく、食べ終えたころにはお腹いっぱい。

美術館の展示の入れ替え時期にアフタヌーンティーがあるらしいと知ってしまったので、またそのうちに…

変わりない毎日を送っていても、こんな時間も味わえるんだと嬉しくなるティータイムだった。

 

振り返してくれるその手を待っている。ディア・エヴァン・ハンセン「Waving Though A Window」

 

'Cause I'm tap,tap,tapping on the glass

(ガラスをトントン叩きながら)

I'm waving through a window

(窓越しに手を振っているんだ)

 

“tap,tap,”から伝わる手のひら。

ドアをknockするのではなくて、ガラス越しに触れる手に、出たい気持ちとためらいがわかる。

 

ミュージカル「ディア・エヴァン・ハンセン」

Waving Though A Window

作詞・作曲:BENJ PASEK & JUSTIN PAUL

訳詞:山本安見さん

 

パソコン画面にタイピングされる

“Dear Evan Hansen”

森崎ウィンさんが歌う「Waving Though A Window」を見たことが、この曲との出会いだった。

明るく笑う印象だった森崎ウィンさんが、笑顔をしまって自信なさげに眉を下げている。背中を丸めて、ポケットに親指を入れる。

エヴァンに感情を重ねて歌おうとしていることは、役に寄せたパーマヘアからも見て取れた。

 

I've learned to slam on the brake

(ブレーキを踏むことを学んだ)

Before I even turn the key

(キーを回すより前に)

Before I make the mistake 

(間違いを犯す前に)

“鍵を回す前に”

失敗したくない。慎重さが究極まで高まった考えの行き着く先が、転ばないために立ち上がらないくらいの極論になる思考回路が理解できてしまう。

SNSが物語を動かす作品で、“So I nothin' to share”と呟くことの意味。

こんなにも内向的な主人公から物語がはじまるのだろうかと、一行目の歌詞から目が離せなくなった。

 

Step out, step outta the sun if you keep

(日の当たる場所から踏み出すんだ)

If you keep gettin' burned

(もし日焼けがキツすぎるなら)

開放していくように聴こえるメロディーで響かせるのは、内に内に篭っていく心。

背中を丸めて日差しを避けて、だけどそれは自分が心地良くいるための最善策。

ドアを開け放ち日差しを浴びて歩くのではなく、日差しから身を隠すように歩くエヴァンの心情をもっと知りたいと思った。

 

森崎ウィンさんの歌った「MUSIC FAIR」での階段を使う演出がよかった。

颯爽と降りて行けるはずの階段を、とぼとぼとぎこちなく、足取り重く降りて行く。

Because you've learned, because you've learned

(もう十分学んだのだから)

繰り返し口にする“learned”(十分学んだ)という言葉に、どれほど頭の中でシミュレーションをしてきたのかがわかる。

起こる前に、学んだと遠ざけたい心境も。

 

 

Can anybody see?

(誰か僕に気づいてくれるかな?)

Is anybody waving back at me?

(誰か僕に手を振り返してくれるかな?)

見える?手を振り返してくれる?という願いが決して小さなことではなく、大きなことであると感じることができる。

他者と向かい合うことで、自分の姿かたちが分かっていくのに、自分と向き合う時間だけが長くなると、存在に半信半疑になりかける時がある。

なりかけると、鏡で自分を確認することが増える。

 

When you're falling in a forest and there's nobody around

(森の中で倒れて 周りには誰もいない時)

Do you ever really crash Or even make a sound?

(きみは本当に落ちたと言えるのか? 音を立てたとさえ言えるのか?)

淡々とした疑問でありながら、こんなに悲しい疑問提起があるだろうかと苦しかった。

繰り返していくほどに疑心は深くなっていく。

森の中でたった一人、木から落ちたのに、世界の大きな規模では物音一つ立てていないのではと考える心情が、孤独を物語っている。

 

Did I even make a sound? Did I even make a sound?

(僕は果たして 本当に音を立てたのだろうか?)

It's like I never made a sound

(どうやら僕は音を立てたことがない)

Will I ever make a sound?

(僕は果たして音を立てるだろうか?)

どんどんテンポが早くなって、“Will l ever make a sound?”の後に、一瞬生まれる沈黙がすべてを問い掛ける。

客観視しようとしていた言葉が、ぐっと自分自身への言葉に変わる。

“never”と“ever”が立て続けに出てくるところに、語感と意味の魅力を感じた。

 

同じ音で韻を踏んでいたり、繰り返しでありながら意味合いが変わっていく表現。

歌の中ではエヴァンが饒舌に喋ることができる分、息つぎが大変なほど言葉数が多いところなどに注目すると楽しい。

 

“waving”の繰り返しと、“whoa”で響かせる声が、

閉じようとするドアと、開け放とうとする窓のように、相反する心境を見せている気がした。

そして最後の“whoa”で、上がっていた音程は落ち着いてしまう。

空高く投げたボールが手のひらに戻ってしまうように、どこか「リトルマーメイド」でアリエルがPart Of Your Worldを歌いながら、伸ばした手を諦めて降りていくシーンを思い浮かべた。

 

今は何度も歌詞のフレーズが頭の中にぐるぐるしている。

「ディア・エヴァン・ハンセン」が日本で上演される日はいつだろうか。

この一曲から心を掴まれた私は、森崎ウィンさんが演じるエヴァンをどうしても観たい。

一曲で、あれほど作品への思いと役への解釈を込めることのできる森崎ウィンさんが、全体を通して演じた時に、どんな境地になるのかを観てみたい。

歌を英語詞そのままでの上演が可能なキャストだと思う。

地を這うように低くなる声と、飛び立つように突き抜けていく声とが一曲のなかで行き来する、この作品の曲たちを歌い話す姿が観たい。

 

「Waving Though A Window」を知って、【手を振る】を英語では“Waving”と言うことを知った。

波が形作る滑らかな伝達と、手を振ることで伝わるコミュニケーションの波長が意味合いとして重なっている感覚がして、好きだなと思った。

例えば、ディズニーに遊びに来ている時みたいに、気の向くまま。

機関車に乗る人に、船に乗る人に、手を振ってくれているキャストさんに。ぶんぶんと手を振れる、あの感覚でいられたらいいのに。

手を振るということの意味を、大切にしたくなる。

心に置きたいミュージカルの歌が、ひとつ増えた。