ドラマ「海猿」後半 ー バディとして共にいること

 

果てない想いを 君に捧げよう

握りしめた この手は はなさない

嵐の中でも 

 

真っ直ぐ、“握りしめた この手は はなさない”と届く声が、本当に手を掴まれているような感覚になる。

絶対に離さずいてほしいと、力を込めたくなる。

 

B'zが歌う、主題歌「OCEAN」

エンドロールで流れるたび、DVDの再生なのに聴き入って、毎回しっかり最後まで見る。

歌声が海。それでいてバラードなのがたまらない。

シングルCDも買った。もしもライブに行くことができたなら、この歌だけは並々ならぬ思いで聴く自信があった。

 

映画でもドラマでも象徴的に映されてきた、握りしめ合う手。

それがこれ以上なく切実に描かれたのは、池澤さんの時と「LIMIT OF LOVE」の吉岡の時だと思っている。

 

 

第5話

別所さんと永島さんのバディ。2人の関係性も、唯一無二のものだった。

「こんなことやってたらいつか死ぬって。」と話す別所さんの、心からの恐怖が伝わってきた。

自分のことなら自業自得。だけどバディを巻き込むわけにはいかないと、このままでは危ないと自覚して身を引くべきだと辞めることを決めた別所さん。

「お前は俺を残して逃げないよ」の一言が切ない。

別所さんと永島さんの間にある信頼が、この決断をさせた。

胸の内をさらけ出して声に出して泣きつくことのできたバディと、何も言わないけど目を合わせるだけで言いたいことは伝わるバディ。

池澤さんと仙崎にできないぶつかり合い。不器用さに切なくなった。

 

池澤さんの目の病気が発覚するのも第5話で、全体的に鉛のような重さの残るストーリーだった。

 

潜水士たちの家族がやって来て、船を見学することのできるファミリーデー。

紺の制服もベルトが厚手の布なのがカッコいいけど、ファミリーデーでの白制服に帽子は格段にカッコいい。

シャワーを浴びていても筋トレをしていても筋肉に興味は向かないけど、人を救える体としての安心感ならわかる。この人なら助けてくれると思える説得力。

 

 

第6話

調理場を担当していた吉岡に、潜水士になればモテると悪知恵を仕込む仙崎。

でも実際は、吉岡ならなれると感じていたのではと思う。

本当に、ここから潜水士になるとは。仙崎にとってかけがえのない存在になるとは。感慨深い。

 

不審船に対しての発砲という、海上保安官として、助けるため働くでは済まないつらさも描く。

国家レベルの事案が起こるのが海の上だと知った。

ニュースで海保が出動しているのを見た時、船ではなく、そこに居る“人”のことを思うようになったのは「海猿」があったからだった。

 

カフェでの環菜と大輔、二人のシーンもつらい。

どうしようもないことを言われる大輔も、そう思わずにいられない環菜も。だけど、ここでますます大輔の人柄を好きになるのは、すぐ感情的に返さずに、混乱している環菜の話を真っ直ぐ静かに聞いて受け止めているところ。

「どうしてほしいの?」という言葉も、突き放す意味より、まず聞こうとしている姿勢が見える。

 

「誰かがやらないといけないこともわかってる」

「無事に帰ってきてほしいとか、死なないでほしいとか、そんなこと心配しなきゃいけないなんて…自信ない」

そういう思いを経て、『LIMIT OF LOVE』での環菜がいることを考えると、環菜の中で積み重ねてきたものがあって、それでも不安で。懸命に気持ちを奮い立たせて信じていたんだと、胸に迫るものがある。

大輔は「俺はやめない」とはっきり言う。

話し合ってはいるけど、環菜の中では伝えたいことを心の底から素直には言えていない。覚悟なんてまだ決めきれない心情が見て取れた。

 

陸上勤務に移ろうとしていた池澤さんは、覚悟を決めて仙崎を育てて共にもうしばらくの間バディで居続けることにした。

池澤さんが、引き止められることなく潜るのをやめていたら。

そんなのは結果論だとわかっているのに、何度ドラマを見ていたとしてもこの先が受け入れられない。

 

 

第7話

重々しい防弾ジャケットを身につけて。そんな事態が起こり得ると、考えたくない。でも、海の警察官であるのが海上保安庁

 

唯一、そばに置ける。身に着けていられるのがダイバーズウォッチ。

そのプレゼントの意味をここでもまた痛感して、思い出すことのできる存在に届かない声をかけずにはいられない大輔に胸が苦しかった。

同じ時間に生きているのに、どこに居るかで、状況が一変してしまう。それを何度も、突き付けられる。

 

記憶と心に傷を負うのは、命令した人間ではなく現場で実行することになった人間。

お腹を触れない池澤さんがつらい。

ドラマ後半になり、主題歌「OCEAN」の歌詞がさらに深まって胸に響いてくる。

形の違う心 何度でもぶつけあって

人はみなそれぞれに 生きてゆく術を知る

放送当時、フルで聴いた時に特に印象に残ったのがこのフレーズだった。

池澤さんと仙崎のことも思い浮かぶ。

 

一人隠してきた涙を 今こそ見せてくれないかい

怖がらないで迷わないで 僕はその心に 触りたいよ

 

果てない想いを 君に捧げよう

交わした言葉 その声は響きつづける 季節が変わっても

“交わした言葉 その声は響きつづける”という言葉に、どんな別れ道があっても胸にある存在は消えないと示してくれている気がして、

2番の歌詞も「海猿」に密接に関わっている。

 

どこにも逃げないで 同じ空を見よう

絆深き 僕らを待ってるのは 静かにゆらめくOCEAN

ここの歌詞は、次の「LIMIT OF LOVE」でも大切な意味を持つ。

ドラマ内の台詞にはならずに、映画で出てくる下川さんの言葉となって時間をかけて繋がったことに感動した。

 

元バディの矢吹に「現場が好きなんだ」と答えて、お前を待ってるとは言わない下川隊長。

下川さんと矢吹さんのバディ。年長の2人には2人の、思い合って待つ距離感が描かれていた。

 

ダイバーズウォッチを着けずに環菜に会いに来た大輔。部屋に置かれたままのダイバーズウォッチに、今ようやく気づいた。何年越しだろう。

 

声を聞いて大輔だとわかった環菜はすぐにドアを開けようとするけど、ドアを開けさせない大輔の「顔を見られたくないんだ」と言った声が苦しかった。

守るだけでも、守られるだけでもない。

環菜が受け身でなく大輔の置かれている状況を理解しようと決めた、ここでの信頼関係の積み重なりが、再びの映画へと繋がる。

 

 

第8話

救助にあたっている時だけが「海猿」じゃない。

ながれを修繕している時間は、荒波にいたことが信じられないほど平和でゆっくりとしたひと時だった。

建造されて28年になるながれ。廃船だから、スクラップになる可能性が高いのに、それでも一番綺麗な状態にするために、ペンキを塗り直して掃除をする。

それでもながれの廃船は見ていて寂しくて、ずっと見ていたかったなと切なくなった。

 

娘の唯と下川隊長のシーンは、どうしても他人事とは思えない。唯のためなのと言いながら、唯の居ないところで会う会わないを一方的に決める母が怖かった。

 

池澤さんの奥さんである直子さんが産気づいて、落ち着きがなくなる池澤さんのシーンはこのドラマの中でこれ以上ないほど平和で、微笑ましかった。

なんでか出産に詳しい大輔もいい。「俺、女の子がいいです女の子が」「お前に言われると絶対男にしたいと思うんだよ」起こる笑いが自然で、海猿で。

 

赤ちゃんに“真子”という名前を、池澤さんがつけた。

先の展開をわかっていて見るのはあまりに苦しかった。

だけど、直子さんにとっての池澤さんの記憶が、初めて会うような海保の方々から病室で聞かされた知らせにならずに、仙崎から伝える言葉で、直子さんにちゃんと名前を書いた紙を手渡して、池澤さんの思いを届けられてよかった。

 

 

第9話

大輔が教官として呉に戻ることになるなんて、そんな展開があるのかと驚いた。

そしてそこには海猿を目指す吉岡がいる。

 

「無理だよ…もう潜れねぇよ…」

池澤さんのことを思うまま呉に戻り、訓練生の頃を思い出すことになって、工藤のことも鮮明に蘇っていく。

失ったことを突きつけられて、立ち直ることができない。大輔としての心情が痛いほど伝わった。

 

この一言に、すごいお芝居だと息を飲んだ。

海猿という作品が成立した大きな要素のひとつに、伊藤英明さんがダイバーズマスターの資格を実際に持っていたことと、伊藤英明さんのみせるお芝居の素晴らしさがあると感じていた。

「天体観測」や「救命病棟24時」「弁護士のくず」などでの魅力はもちろん、映画では「この胸いっぱいの愛を」ドラマでは「ファースト・キス」の伊藤英明さんがとても好きだった。

しかし、いくつもの作品の中でも「海猿」で心動かされた理由は、仙崎として弱い面を見せながらも直向きであることがかっこいいと思わせる説得力を持っていたからだった。

 

仙崎に似たお調子者な面があるのは当時バラエティなどで見ていて、だからこそ演じているときの真剣さに引き込まれた。

お芝居に入った時のセンス。コメディとシリアスをひとつの役の中で共存させられる役者さんだと思う。

場の空気のキャッチの仕方とその感性が好きで、台詞の言い方。間合い。話さない時の表情の細かい動かし方。どれをとっても好きで、それが決定的になったのが「無理だよ…」の台詞だった。

緊張しながらするお芝居は息を吸っていることが多くて、息を吐きながら喋ることができると自然になると耳にしたことがある。

伊藤英明さんは息を吐きながら話すことができていて、潜水士スイッチの時の腹式呼吸とオフの時の息の使い方がメリハリになっているのかなと思った。

久々の出演だった、ドラマ「病室で念仏を唱えないでください」で、間合いも息づかいもそのままだと感じられたのが嬉しかった。

 

気持ちを取り戻せない大輔に吉岡が言う「発破かけてくださいよ!」

当時は発破という言葉を知らなくて、頭の中には葉っぱの文字があった。葉っぱをかける…なんで…と思っていた。

今考えれば、あんだけ焚き付けておいて、いざ顔を合わせたら潜水士になれなんて言えないと目をそらす大輔に、腹が立つのはそりゃそうだと思う。

 

バディを失うことはもう、この先は、と見ていても思うなかで、絶対に居なくならない。この人ならと、大輔も見ている側も信じられるバディが必要だった。

それが逞しい強さのある人間ではなくて、ヘニャヘニャしてるところもあるけど直向きに大輔を追い続ける吉岡がバディになった。

でもまさか、吉岡がこれほどまでにしっくりとくるバディになるとは。吉岡じゃないと、と思うまでになるとは。

 

 

第10話

もう悲しいのも苦しいのも十分起きたと思うのに、プレジャーボートのことがある…ドラマを見直す度に、苦しくて仕方なくなるのが第10話だった。

海猿」全11話の中で、どの話も忘れがたいけれど、特に第10話は胸に残った。

 

「俺がお前に助けられることなんかねぇよ」

ここから積み重なっていく、バディとしての、大輔と吉岡。

 

唯の母が、もう会わせることはできないと話すシーンで「10歳には10歳なりの意思があるんじゃないのか?」と考える父としての下川さんが印象深い。

子供だから自分ではまだ決められないと決めつける大人より、一人の人として意見を尊重する下川さんと大輔くんのことは信頼できると、見ながら子供心に思っていた。

 

 

大輔が謎に気に入っているフレーズ「チェックイン」もそうだけど、この回の中でも「憎めないあんちくしょう」と言う大輔のセンス。時折漂わせる昭和感がいい。

外泊許可を取っていたのに泊まれず帰って来て、いじける大輔に絡みに行って弾き飛ばされる吉岡がとても吉岡らしかった。

 

最後の日にしてと言っておきながら、唯に伝えていない母。子供の視点で見て腹が立った。無理に手を引いて行くところは、連れ去りとなにが違うのと居た堪れなかった。

 

海保の門の前にいる唯ちゃんを見つけて、はじめは唯ちゃんと知らずに声をかけてあげているのも、中で待たせてあげる大輔くんが好きだった。

知ったこっちゃない大人同士の揉め事を、正論みたいに諭して教え込む親の理不尽。

今の自分の年齢で見ると、大輔が下川隊長に話しに行くシーンは、人の家の話に立ち入りすぎでは…と思うところもあるけど、

唯ちゃんの歳に近かった当時の自分は、唯ちゃんの声を聞いてもらえず下川さんも強く出られない状況で、「わかりません」と子供の気持ちに寄り添っていた大輔の姿が心強かったことを思い出した。

 

 

もう10話なのに、環菜のお母さん襲来があって、絶対に反対だと言うお母さんを前にどうやって納得してもらうのかと心配したけど、

大輔くんの真っ直ぐさは、お母さんに対しても変わらなかった。

 

「別に結婚するって言ってるわけじゃないんだし」

「いや、俺はそのつもりだよ」

環菜じゃなくお母さんの方を向いて歩き出しながらすっと言うところが、

向こう見ずに生きて帰ると言っているわけじゃないことも、ただ待っているわけじゃないことも、ここのお母さんとの対話でわかる。簡単に約束はできない。それでも言葉にするから自分も信じることのできる思いがある。

 

お手本にできる大人がそばに見当たらずに、こんがらがった人間関係に囲まれていた私は、シンプルでどストレートな大人たちの姿に希望を見ていた。

人に頼ることを覚える前から不信感ばかり募って、信じるんじゃなかったと考えることの多かった毎日で、信じていてよかったと思える「海猿」が好きだった。

 

プレジャーボート発見で、特救隊(特殊救難隊)が出動する。

オレンジのウエットスーツが潜水士。イエローが特救隊だと認識したのはこのシーンだった。

 

 

最終話

正しいことを押し付ける正義感ではなくて、これで正しかったのかと迷い考えることをやめないところに誠意があるのだと思う。

映画がシリーズになっていくにつれて、期待されるものも仙崎大輔の在り方も変わっていったけど、無敵のヒーロー感ではなく、人間が助けていて迷い悩みながら続けていることを隠さないところに引きつけられていた。

 

下川隊長が押し上げたことで仙崎に唯ちゃんを渡すことができたけど、昏睡状態から目を覚ますまで、唯ちゃんが助かったことを下川隊長は知らずにいたのだと思うと。

自分の中で、潜水士として生きて帰ることよりも唯を助けたい気持ちだけが先走ったことから目を逸らさずに、潜水士をやめて陸上勤務へと移ると決めた下川隊長。

ドラマで描かれたのはここまでで、だからその後の映画で司令官として表れた下川さんにはびっくりした。

 

最終話のラストシーンがとても好きだった。

廃船式の後、白の正装で帽子を手に持ってのキスシーン。ここでも「おかえり」「ただいま」がある。

最終話のエンドロールだけ、B'zの「OCEAN」ではなくて海猿のテーマが流れていた。

 

 

1作目の映画「海猿」で、エンドロール後にあの予告を入れたのは、

大まかなプロットでこういう次回作を作りたいという意思が羽住監督にはあって、それを描くためには、ドラマ版で時間を積み重ねてそれぞれの成長を描く必要があったと話していたインタビューが印象深かった。

それでも再び映画にする意思は強かったので、とりあえず予告だけを先手で打ったという大胆さにも驚く。

 

エンドロール後にあんなに衝撃的な予告を突きつけられてから、

知りませんよーあれ見た?しーっナイショナイショみたいな顔でドラマ期に入った海猿に、

あれどうなったの?どういうことなの?と、おあずけをされた気分でじれったかったけど、ドラマの中で積み重ねられた人間関係や人物描写。環菜と大輔の信頼関係、ながれの船員、陸上勤務の人たちとの繋がりも含め色濃く描くことができて、

だからドラマになる必要があったのだと噛みしめられた。

ドラマになっていなかったら、呉に再び帰る大輔や環菜を見ることは出来なかったかもしれない。そもそも、ドラマ中盤で横浜ロケならまだしも、呉の訓練校にまでロケに行った撮影班もすごいのだけど。

 

そのような流れで、ドラマ「海猿」は最終話へとたどり着いた。

ドラマから映画制作決定の発表は早かった気がするけど、発表ということはそこから約3ヶ月の撮影、編集がある。

映画「LIMIT OF LOVE 海猿」の公開まで、ドラマ最終話からはあと1年。