ビスケットの窓に、屋根はマシュマロ。
カラフルなジェリービーンズの庭と、キャンディーの石畳み。
明るいメロディーに、道標となるようなHey! Say! JUMPのユニゾン。だけど、どこか森に迷い込んでいるかのように心細くなるのは、この物語の世界観が曲にしっかりと表れているからだと思う。
Hey! Say! JUMP「御伽と知る世界」
作詞・作曲:まふまふさん
編曲:まふまふさん、三矢禅晃さん
アルバム「Fab! -Music speaks.-」に収録されている曲で、
はじめに耳に馴染んだのは「ナイモノネダリ」だったけれど、通して聴いていると、どの曲も色の違うドアを開けるように様々な世界と繋がっていてループして聴きたくなる。
いまリピートスイッチが入っているのは、この曲。
最初に聴いた時のインパクトで、音の感じと、ここぞと入る転調にエレキギターのソロパート、落ちサビ、構成がAKB48だと思った。同時に、“日曜の朝”感もある。
曲の構成として、ここ!の王道を徹底的に押さえたメロディーが、兎にも角にも明るい気持ちになりたい時にバシッとはまる。
歌詞には様々なモチーフが森のごとく溢れて、ヘンゼルとグレーテルの世界が聴いているうちに自然と広がっていく。
そこへHey! Say! JUMPの歌声がつくる雰囲気と、安定した声が合わさって、ポップでありながら落ち着く曲になっている。
震えた手のひらは(小さくって)
不意の強がり 任せておいて!
“不意の強がり 任せておいて!”の可愛さ。
“任せておいて!”が似合うのはHey! Say! JUMPの魅力だと思う。
「光る石を辿ろう」
それはあの子の涙だったんだ
どうしてか、この歌詞を好きになった。
よく知られている方の物語を元にすれば、辿るのは落としてきたパン屑だったりするかもしれない。
でもここでは、“「光る石を辿ろう」”
日が暮れて、暗くなってしまった森の夜道を、サファイアやエメラルドのように鮮やかな青や緑が光を放って、行く先を照らす。
“それはあの子の涙だったんだ”という言葉にも、照らすのは希望に満ちた何かではなくて、悲しくて落とした涙が導いてくれるというところがいい。
迷う闇の中 君で満たしたら
明るく見えるのはどうして?
御伽の世界が覚めないような
夢を見よう あの日へ帰ろう ボクと
どうしてなのか自分もわからないまま、けど確実に満たされていく心強さが伝わってくるような。
サビの“迷う闇の中 君で満たしたら 明るく見えるのはどうして?”が、歌詞もメロディーもたまらなくツボだった。
音程が上がっていくのは後半の方だけど、ここの落ち着いた音程を保ちながら、メロディーはどんどんアップテンポになっていくところ。
“どうして?”の部分が、『どーして?』と伸ばす歌い方になっていて、⤴︎と右上がりになるのがすごくいい。
このメロディーラインが好きなのだろうなと自覚があって、
幾田りらさんの「ロマンスの約束」にあるサビ、阿部真央さんの「それぞれ歩きだそう」のサビ。この3つには、共通点があるはず。
最初に、このメロディー運びが好きだ!と感じたのは、阿部真央さんの「それぞれ歩きだそう」を聴いた時で、その言葉も“どうして”だった。どうしてフェチなのかもしれない。
2番でサビにくる歌詞の
煤(すす)けたお菓子も 頬が落ちるほど
甘く感じるのはどうして?
ここにも胸がキュッと切なくなる何かがあって、“煤けたお菓子”というところに惹きつけられる。
美味しいと簡単に言えるようなものじゃなくても、美味しく感じられるほどの感動が心にある証。
声で聴いても、文字として見ても、
“頬が落ちるほど 甘く感じるのはどうして?”
という言葉の可愛らしさこそが砂糖菓子。
道に迷い、辿り着いたのはお菓子の家。
どうにか見つけたその家で暖を取ろうとするけれど…
御伽の世界ではなく、御伽と“知る”世界。
おとぎ話と知っていて見る世界で、灯る明かりに足元を照らされることは確実にあって、暗闇でも足を進めて行けそうだと感じた曲だった。