麦と絹が熱を持って語ったカルチャーは、私の生息する所とはまた違っていて、でも“わからないな”を薄っすら残したまま、この作品を観られたことは、それはそれで楽しいことだと思った。
彼は私だと感じたわけではなくて、彼女は私だと感じたわけでもなく。
それでいて好きになる映画があること、その発見が嬉しかった。
ここ、いいな。
そう感じたところを、書き留めておきたい。
麦の話す、「ミキサーさん」のイントネーションがうっすら関西弁な気がして、ちょっとうれしかった。
「そろそろ飛べるんじゃないか?」の声が、歌の時に聴く声に近い感じがして、菅田将暉さんの声の魅力が出ていた。
イヤホンを着けて、音楽が流れ出したあのドキドキ。
ボリュームの上がり方が最高で、スマホに映っているイラストの通りに、ドクドク心臓が脈打つみたいな感覚だった。
あれは映画館の音響の効果もあると思う。
好きでたまらない絹ちゃんのシーンは、冒頭のシーンで片手では2を表しながらもう片方の手でイヤホンをかちゃんと置く仕草。
理屈っぽく説明しつつ、柔らかさのある声で嫌味っぽくならないところ。イヤホンを置くタイミングも絶妙。
坂元裕二さんが好きだと話していた「ダサ」の後の「ハハハ」の笑い声。乾き具合がすごい。
合わせているような、でもちょっとイラッとしてそうな、何とも。
トイレットペーパーを抱えながら帰る道で、
静まり返った夜の景色と、あの高速道路を見上げて映すときのカメラの動き。映すと言うよりもう、眺めている感覚そのもので。
自分の目が見ているのかと思うくらい、景色へのフォーカスの合わせ方が、自分の“見たい”とぴったりだった。
カメラワークの中で、最も好きなカット。
カラオケ店に見えない工夫をしたカラオケ店のことが出てきたとき、うわあそれ!とジタバタしたくなった。
言いたいけど触れたくない、違和感。薄気味の悪さを、坂元裕二さんにしかできない表現で表していた。
だから一層、“カラオケ店に見えるカラオケ店に行きたいです”と麦に伝える絹のことが好きだと思った。
麦と絹が、本に挟んでいた映画の半券。
麦は大学生割引きを使っていて、絹はレディースデーに観に行ったことがチケットからわかって、
文庫本になるのを待つ麦も同様に、カルチャーに触れ続けるための節約ってあるよなあと思う。
最近、そんな予感はあったけど、日ごろ利用していたレンタル店が閉店してしまった。
5枚で1,000円とちょっと。運が良いと、10枚で1,000円とちょっとで、好きなCDを借りられる。
聴きたかった曲、なんとなく興味のあったアルバム。いろんなアーティストやグループの、これまでの曲から新曲までを幅広く吸収できていたのは、予算に合わせて選択できる、レンタルという形があってくれたからだった。
レンタル店と同じくして書店も閉店してしまって、ひとつカルチャーの入り口が閉ざされた気持ちになった。
CDショップで買うことが意味のあることなのは分かっているし、一曲単位で買えるダウンロードがスピーディーなこと、ストリーミングサービスに入れば聴き放題なこと。
そしてこの状況下で、人が手に取るレンタルが追いやられているのは想像できたけど、実際に置かれてみて、これからの音楽との距離がどっちにしても変わってしまうと自分の中で胸がザワついた。
多分、適応していくんだと思う。遠くなるのか、近くなるのか、狭まるのか…わからないけど。
好きなシーンの話に戻すと、焼きおにぎりのシーンがすごく好きだ。
麦と絹はフラットな印象で、どっちが守るとかどっちがか弱いとかいうことでも無く。麦に、男の子だーと思う瞬間があまりなかったのだけど、焼きおにぎりのシーン。
「もう一個食べてもいいですか?」
「ん?今なんて言いました?」
「もう一個いいですか?」
「あ、どうぞどうぞ。お腹空いてたんですね」
「おいしい」
小さくちょこんと座る絹と、その隣に見ると体格がすこし大きく見える麦。
上手く聞き取れなかったのを、ふふっと笑いながら「なんて言いました?」と顔を近づけるのが、もう恋人の距離感。
「お腹空いてたんですね」の言い方も好きだし、それを聞いていない様子で「おいしい」と語尾に音符が付きそうな感じで焼きおにぎりを頬張る絹のマイペースさが好き。
お二人とも同年代で、関西出身。
台詞が関西弁でなくても、滲み出る雰囲気が素敵に合わさって、唯一無二の麦と絹が生まれていた。
結婚式場のシーン。
台詞が交互になると、シーンの空気が途切れてしまうことが多いと思ってきたけど、それがこの映画で覆った。
同じ想いのようで、ちょっとずつ違うニュアンス。穏やかな話しかたの中に、本心も淋しさもそれぞれに。
「…思ってるんだよ」の絹ちゃんの言いかたが、瞳がとても好きだった。
何度「花束みたいな恋をした」を観ても、ああもう終わってしまうと感じる。
映画が、という意味でも、二人が、という意味でも。
映画の中で“ブログ”が出てきたとき、
文章を綴るその人にフォーカスを当てられたこと。そこにある言葉を、画面の中の文字ではなく言葉として絹は受け取っていたこと。
「花束みたいな恋をした」に、“手紙”は登場しなかったけれど、“ブログ”に記された言葉が絹の元には届いていたんだと思った。
ブログというものを、坂元裕二さんはそう書いてくれるんだなあとうれしくなった。
絹にとって、「恋愛生存率」というブログは、書いていたあの人は、大切な存在で。
ただ開くと記事が載っている画面で終わるものではないという認識に、希望を見た気がした。
好きなところを話し出すと、やっぱり止めどない。
二人の奥の部屋のカーテンが、ブルーとホワイトとブラックの3段になっていることだとか、もう片方のカーテンもブルー調で良いなあとか。
ベッドの掛け布団カバーはキルティングで、いろんな青が繋ぎ合わせられた布なところも。
行けなかった天竺鼠のワンマンチケット。
絹の持っているチケットは「K8」で、麦の持っているチケットは「M11」だった。まさか隣り合わせなんてことは…と注目して、何度目かでようやく記憶した。
隣ではなかったなーと思ったけど、絹のKでもあって、有村架純さんのKとも言える。麦のMでもあるし、菅田将暉さんのMとも言える。
美術さんの遊び心かなと想像した。
Awesome City Clubのライブリハのシーンが楽しくて、「アウトサイダー」を歌いながら指差しするPOLINさんのキュートさ。
ははっと照れながら笑った絹の、ライブスタッフとしての距離感にときめいたり。
絹ちゃん、カレーのルーの比率多めに食べるなあとか。
エンドロールでそーっと引いてるミイラ展での麦くんのイラスト、朝野ペコさんの描く線が素敵だなぁとか。
思い出したらまた書き足すかもしれない。そんなことをしていたら全編丸写しになってしまうかもしれない。それはちょっとな。
映画の中で生きる麦と絹に、今も想いを馳せて、
頭の中で思い出しては、あのやり取りよかったな。あの時の声、表情よかったな。そうやって考えていられる。
特別に好きな言葉は、書かずに胸の中に置いておく。あれかも、と気づく人もいるのかな。
映画館という場所があって、映画が公開されて、ここが好きだ!と言える。二人にとっての好きなものみたいに、熱く語り合えたらいいのにと、つい思った。