目の前に居るただ一人のあなた「MIU404 第5話」

 

ここでならきっと。そう希望を抱いて来た場所が、そうではなかったとしたら。

MIU404 第5話〈夢の島

今までずっと、シーンひとつも目線の動きも見逃したくないと食い入るように見ているからこそ、ここで目を逸らすわけにいかない胸の苦しさだった。

ベトナムから留学生として日本へ来たマイ。

演じたのは、フォンチーさん。

アルバイトをいくつ掛け持ちしても、精一杯働いても、正当な収入も、扱いも、得ることができない。来てみて初めて知る事実。来てしまったからには帰れない。

 

海外からの留学生について、部分的にはどこかで読んだりしていたけれど、留学を目的に来る人だけでなく、出稼ぎとして来た先での収入を頼りにしている人がいることを知らなかった。

留学と、就労。それぞれは別の位置にあることだと思っていて、その認識は違うのだと、突きつけられた。

 

強盗が入ってからの、右手を“待て”の形で静止する志摩のかっこよさ。

その指示をじっと見て待つ伊吹の眼差し。

「よし、行け」で手をスチャッとかざした動きが、まさにドックトレーナーのそれで、 トレーニングもコントロールも馴染んでいる…!と謎の感動があった。

「うちの野犬が」と言われることに違和感を見せない伊吹もまた可愛い。

うふふってる伊吹が見られると楽しみにしていたけれど、 伊吹からマイへの気持ちも、マイから水森さんへの気持ちも、思う以上に淡く切ない恋だった。

 

「うふふって何の隠語ですか!?」と真面目に聞く九重くんは、しっかりメモをとっていそう。

陣馬さんとの張り込みの最中に、コンビニ内にいる志摩と伊吹の奔放な会話を聞かされている時の、なんとも言えない表情が良かった。

 

日本語の“大丈夫”が、一体どっちの意味なのか分かりづらいことを、シーンの随所で垣間見る。

YESなのかNOなのか、はっきりさせない濁し方、逃げ方とも言える。

マイ「タイサオ?」

志摩「どうして?」

後々大切になるこの言葉のやり取りは、メロンパンカーに乗り込む前の会話でさらっと交わされていた。コンビニをクビになった時も。

始まりはかっこよく車に乗っていたのに、段々とメロンパンカーに愛着が湧いてくる。パトランプを乗せづらいのも、それはそれでいい。

 

第5話のお昼は、麺類は麺類でもうどんではなく。 

伊吹「お待たせしました、フォーッ」

志摩「言うと思った」

パクチーを草呼ばわりする陣馬さんがツボだった。確かに草だ。

 

ベトナムは、北と南で性格が違うという話を聞けてよかった。

関東と関西。同じような関係性が、国は違ってもあることが近さを認識させた。

 

 

ストーリーのわりと序盤で、怪しい人物は察しがついてくる。
‪犯人が誰なのかを注視するというより、その事件の周りで一人一人が持つ気持ちの動きが大切になってくるんだと感じる。行間がしっかりと意味を持つところに、惹きつけられる。

「一人の、たった一回の人生の話」

志摩の言葉。何十万人の話として捉える前に、一人を見つめなければ、目の前に今いる相手を人なんだと思えなければ、そのあとのことなど話せない。

“人材”としか見ず、扱う場所はある。確実に。

海外から来ていても、元々日本にいるとしても。黙って働き、余計なことはせず、意見などしないことが重宝される。足りない穴が埋まりさえすればいいんだなと実感することがある。

どうしたら伝わるのだろう、会話ができるのだろう。尊重し合って真面目に働きたいだけなのにと、普段の生活でも切実に思う。

 

 

一度歯車が狂ったら、全てが崩れる。

そんな理不尽があっていいのかと思うけど、あることなのはわかっている。踏み外したり、乗り遅れると同じ土俵にはそうそう戻れない。

無理ゲーだと、作った人の顔が見てみたいと言った志摩の言葉が、本当にそうだとグッサリ刺さる。

 

新しい制度を使うことにしたマイ。

その笑顔が守られるのか、いい人に巡り合ってと願うしかできないもどかしさ。

志摩の向き合い方は優しくも一定の距離を保ったもので、伊吹の向き合い方は理性は保ちつつ、少しうふふりながら、それを越えた人間関係として温かい眼差しを持っていた。

どの国かという以前に人としての尊重があって、向き合って相手を想う。

マイにとって、志摩と伊吹に会えたことは、日本に来てからの希望になっていたらいいなと思いたくなる。

 

何千、何万の規模すべてを捉えて頭の中で考えようとしても、その途方もなさに目をつむりたくなってしまうかもしれない。

それなら私は、コンビニや工場、バックヤードなどのどんな場所でも、目の前にいる一人を見つめて接していきたい。

 

ジャパニーズドリームという言葉が、こんなにえぐさを持って響くとは。

伊吹の相棒である志摩が他人を信じないことよりも、自分を信じないことに危機感を抱いて、「そいつの軸足はどこだ?」と、ガマさんが突いた核心。志摩に見えた闇。

第6話でついに、志摩のかつての相棒の存在が明かされる。

 

「感電」が流れて、志摩と伊吹が何気ない会話をしていても、どこか釈然としない気持ちがいつも心にモヤのようなものを残す。

すごいなと感じたのは、「アンナチュラル」も「MIU404」も、見終えたあとにスカッとするような後味ではないところ。どちらかと言えばズーンと残るものがある。

それでも毎週見たくなるのは、ストーリーの緩急や人物描写、演出にドラマとしての楽しさがあるからだと感じる。

晴れない気持ちが残るとしても、それは必要な何かだと感じ取れるから、毎週欠かさず見たくなる。

今週、第6話。志摩の過去を見つめたい。