結び目がわからなくなって、解き方もわからなくなって
すべての気力を無くした末に起きた、二つの哀しみ。
謝ってほしかった
その気持ちは扱い方を間違えれば、どんどん独りよがりに膨れ上がって、凶暴性をはらむ。
MIU404 第2話〈切なる願い〉
しかし、MIU404 第2話で描かれたのは、ひたすらの凶暴性ではなく、立ち向かえなかった悔しさ。立ち止まれなかった脆さ。人の持つ危うさが一辺倒ではない表現で語られていた。
「謝ってもらってない。俺を殴ったよな」
「痛かったなあー」
「ごめんなさいは?」
伊吹は志摩に、そのまま気持ちを言葉にして伝えた。
煮えたぎらせる時間など置かずに、思いついた時すぐに。
痛かった。謝って?それを因縁無く、すぐに、自然に言えたなら。
拗れる人間関係が、もっと深刻になる前に止まることができるかもしれない。
しかしそれでも言えない。自分の感情を抑制することを幼い頃に父親から強いられていた加賀見は、言うことができなかった。
当番交代で出勤してきた伊吹と志摩。
伊吹や隊長たちが「おはようございます」と挨拶するなか、「お疲れ様です」と言う志摩のシーンが好きだった。
第1話で、おいおいと思いながら見ていたうどんの調理風景。もれなく怒られた窓からの湯切り。
荒い運転、車の大破によってまともな車を貸してもらえなくなった2人は、メロンパンのキッチンカーに乗ることに。「メロンパンいくらにするー?」と言い出す伊吹が可愛すぎる。
メロンパンに400円以上は出せない志摩も可愛すぎた。信頼できる金銭感覚。
伊吹の直感をそう簡単に確信には変えない志摩が、無線で隊長へと報告する時のニュアンスのみで形成された“かもしれない報告”に、「ふんわりしてんなぁ」と顔を引きつらせる隊長がよかった。
容疑者とされている加々見崇の乗った車を前に「行く?行かない?ねえ行きたい!!」と駄々をこねる伊吹。「落ち着け!」と言う志摩。
“待て”をしつけられているわんこにしか見えなかった。
事件現場では、被害者の胸元に止血しようとしたふうに見えるタオル。見ていて不思議に思った。
発見者なら、止血よりも何よりも先に助けを呼ぶはずで、加害者が完全な動機を持って刺したなら止血しようともしないはず…
不真面目が振り切る狂気ではなく、真面目が振り切る狂気。
第1話とは対照的だと感じた。
人質として車に乗せられた田辺さん夫婦は、かつて息子を亡くしている。
加々見の逃走に巻き込まれて、命の危険に怯えていたはずの田辺さん夫婦が、加々見に息子を照らし合わせるようになり、“信じたいこと”と“信じられること”の境が曖昧になっていく。
“あの子を信じてやれなかった” そう悔やんで、息子を助けられなかったことを思い続けている父親の姿を見る加々見は、どんな思いだったのだろう。
親父の言う通りにしないと、認めてもらえなかった子供時代の加々見。
忌々しい記憶を封印して、一度は差し伸べられた手に感謝して。人並みの暮らしが出来るようになったと、日々の穏やかさに身を置くことができていたのに。
封印を解いてしまう出来事によって、抑え込んでいた何もかもがこぼれてしまった。
それも、直接的ではない第三者に父親の影を照らし合わせて。
無かったことにしたい。悪かったのは相手で、踏み外したのは自分ではないと考えようとした。
理不尽さに立ち向かえなかった歯痒さが、視野を捉えて動けなくさせた。
「人は、信じたいものを信じるんだよ」
「やっていないと思いたい。自分のやってしまったことを認めたくないんです。
出来ることなら、罪を犯す前に戻りたい。無かったことにしたい。でも時は戻らない!!」
感情に飲まれ、何が事実か見つめることから目をそらそうとする田辺さん夫婦に、志摩が言った言葉。
“出来ることなら”と言う時の、力が込もって喉が震える声。志摩の中にある、そう思ったことのある記憶がわずかに見えて、「でも時は戻らない!!」と叫んだ声には自らへの怒りさえ感じた。
今回、第2話で加々見崇を演じた、松下洸平さん。
朝ドラ「スカーレット」での八郎さんを毎朝見てきて、これからの出演作も楽しみにしていたところに、まさかMIU404での登場を見られるとは、嬉しすぎるキャスティングだった。
胸が高鳴るのは、松下洸平さんにとって、この作品への参加が特別な経験になっていると伝わってくること。綾野剛さん、星野源さんとの共演が念願だったことがわかることにもある。
放送後のご本人のインスタグラムや公式が載せた写真からも、大切な出会いになったんだなあと感じた。
八さん八さんと呼ばれるイメージがあるところから、今回の加々見崇という役。
主役として最前線に立つと言うより、間に挟まれて物語の中心になる役柄。個性の強いキャラクター性で魅せるのではなく、できるだけフラットに、真っさらな印象を持つことができる役者さん。
あくまでも前半は容疑者の段階であることに違和感を感じさせず、むしろどっちなのか最後まで分からず、信じたくなる加々見という人の繊細さと哀しさを、お芝居で見せた松下洸平さんに、終始翻弄されつづけた。
実家にたどり着いてからのシーンはしばらく、加々見崇だけが映る。松下洸平さんのひとり芝居になっている。
電話の向こうの相手に話しているようで、自分に言い聞かせているような言葉。
「あいつは一度も、一度だって謝らなかった」
「なんの復讐にもならないよ!まだ一度も謝ってもらってない!」
加々見崇の声が、表情が、つらかった。
こんなに深刻な事を起こして、結局望んでいたのは、ただそれひとつだった。
“許せなかった”
謝ってほしかった。でも。どんな経緯があっても、矛先を向けてはいけなかった。
加々見と田辺さん夫婦の関係性は、あまりに切ない。
危機迫る状況が通わせた心。互いを見ているようで、それぞれの時間軸から見える景色を見ているだけの距離感。
希望を持って見たい気持ちはあるけれど、“似ている”と言った息子と加々見は、冷静になればきっとそんなに似ていない別人のはず。
そして悲しかったのは、3人での時間を過ごしてもなお、加々見は埼玉に着いてから凶器を盗み、実家へと向かってさらに罪を重ねようとしたことだった。
「無実でいてほしかったな」と言う伊吹に、手錠を渡してかけさせた志摩。
信じたいと思った伊吹の気持ちを、結果まで見届けさせた志摩の思い。
話の中で出てきた、“懐かしの我が家”という言葉に、なんだか耳馴染みがあった。確かなことは思い出せないのだけど、「アンナチュラル」でも耳にした覚えがある。
咄嗟でもなんでも、伊吹のことを志摩が殴ったことについて、
「ごめんなさい」
「ごめん」
と、本人を前にちゃんと言葉にした志摩。
何気ない風景のようで、これができないことで起こり得る憎しみの連鎖を思うと、結び目になる前に解いておくことの重要さを感じるシーンだった。
黒に近づく白の色の気配を、2人から微かに感じるのは今回も変わらず、でもこの2人が揃っている限りは、互いに引っ張りあって大きく振り切ることはないはずと思いたくなった第2話。
加々見には忘れられない父親への記憶があり、田辺さん夫妻には忘れられない息子への記憶があった。
志摩にもあるであろう、戻らない時間への後悔と記憶。
過去から自分を助け出すには、一体どうしたらいいのか。それはやはり、志摩の言った「でも時は戻らない」という言葉を、やるせなさと共に抱いて、今という時間のなか進んでいくほかないのかもしれない。