車窓の向こう、走り去る景色を目で追うリズムの疾走感。
炭酸の泡粒みたいに、シュワシュワと消えては込み上げる嬉しさに、切ない気持ちがポツリと落ちる。
Little Glee Monster 「ギュッと」
作詞:KOUDAI IWATSUBO 作曲KOUDAI IWATSUBO
聴いていると泣きそうになるのはなぜ。わからなくて、ただこの曲が持つ煌めきと繊細な表情に胸が熱くなって、その眩しさに涙をこらえる。
ある時、帰り道に聴いていたら、曲の世界観がブワッと広がる感覚になった。
頭に思い浮かんだのは制服姿の女の子。年の差の恋心をもつ女の子が綴る日記のような言葉として歌詞が聴こえてきて、それだ!とひとり勝手に嬉しくなった。
追いかけても追いかけても、追いつけず。
涙ながらに痛む気持ちさえ大切にしたい。
そんな切なさのある歌詞からイメージを重ねていくと、小説を読み進めているかのように景色はどんどんと広がりを見せた。
たとえば、想いを寄せる彼と3つ年の差のある女の子なら。幼い頃から見上げ続けてきた幼馴染への恋心。小学生の頃は6年間という時間の中でそばにいられたけど、中学、高校になり追いついたと思えば、すぐ先を歩いて行ってしまう彼。
永遠探す 当てのない旅より
数メートル先の
君の隣まで
恋をしている。そのことに嬉しさがはじける気持ちと、同時に切なさも抱えることになる歯がゆさ。
可愛くて仕方がないレモネードのような甘酸っぱさがここに、ぎゅっと凝縮されている。
切なさがあるのに、曲全体の空気は穏やかで、華やいでいる。
ピアノの旋律が軽やかにイントロを奏でると、リトグリの歌声がハーモニーを奏でて、二つの音色はこの曲の続くあいだ、織り重なるリボンみたいに可憐な曲線を描いていく。
リトグリのメンバーである芹奈さん、アサヒさん、MAYUさん、かれんさん、manakaさん。
5人の声があることで、声色の個性から感じとる感情やイメージする人物像に多様さが生まれて、曲の中に登場人物を思い浮かべるとしても“一人”に捉われることなく、その時々で自由に想像を膨らませることができる。
同じ本を読み聞かせるとしても、語りべによって表現の仕方に変化がある。そんな楽しさに近い。
ギュッと君の手を
掴んで走り出して
慌てた君の笑顔
可笑しくって 切なくって
“ギュッと”という言葉に込めるニュアンスが素晴らしくて、聴くたび胸に矢が刺さる。
ただ可愛く言うわけではなくて、そこにある微かな苦しさ。
つんと涙目で
それでも前を向いて
小さなこの痛みを離さない
ギュッと繋いだ手を
恋心を歌う曲でもあるのに、この歌詞で主人公は涙目でいる。「ギュッと」を聴いていて心揺さぶられるのは、その憂いの美しさなのだと思う。
あっ泣くかもしれないと思った瞬間の、喉がきゅっと狭くなって、眉間の奥が熱くなる感覚。曲全体に吹く風がなんとなくそんな表情を含んでいて、その横顔に見とれてしまう。
“ホントの気持ちと目が合えば”という歌詞もいい。
目が合うという言葉を選びながら、相手を表す言葉をここでは使わず、“ホントの気持ち”、つまり自分の中にある思いと対面するかたちで、心境に気がつく描写をしているところが素敵だった。
そして転調した大サビ前のパート。一段落ち着いたトーンの中で聴こえる、
たったひとり 君だけに見透かされたくて
アサヒさんの歌声が、切実さを高めていく。
思い切った本音に、聴いていてドキッとさせられた歌詞だった。誰にでもわかってほしいのではなく、“君だけに”と言いきる潔さ。この一行に、儚いようでいて大胆さを持つ内面が表れていると感じた。
恋にまつわる曲は、聴こうと思うシチュエーションがわりと限られていくと自分のなかで思っていたけれど、Little Glee Monster 「ギュッと」は、朝の出掛ける道すがら、夕方の帰り道と、ふいに聴きたくなる。
なんとなくの“好き”に、思い浮かぶ景色ができたことで、曲を聴いた時の嬉しさが増した。
小説で物語を読みたいけど本を開く気になれない、ドラマで世界観に浸りたいけどそれもなんだか今は気乗りしない。そういう時でも、音楽はひとたび再生ボタンを押すと、すぐそばにいるような距離感で現れてくれる。
その存在が本当に大切で、音楽が繋いでくれる毎日に、ありがとうを伝えたい気持ちがつのる。
「ギュッと」が収録されているアルバム「FLAVA」は、しばらく聴き続ける1枚になった。