耳に流れ込んできた時からそれは特別で、荒く削られた叫びは美しかった。
昨年のMステスペシャルで、菅田将暉さんが歌うのを再び見られたことが本当に嬉しかった。リリース当時、この曲だけエンドレスに聴いていた時期がある。
声に出して口ずさみたくなると、おもむろにカラオケへ行って何度も歌うけれど、その度どうしても泣きそうになって、なぜこんな気持ちになるのかは見ないふりをしている。
ヤケになる思いと同時に生まれるエネルギーを、ドスっとキャッチャーミットど真ん中に投げられるような魅力。悔しさと愛が入り混じるむしゃくしゃの中、光が確かに見える。
作詞作曲は石崎ひゅーいさん。
破いた紙のように歌詞の端々は痛みに滲んでいて、なのに清々しい。
虹が出る どうせ掴めないのに
言葉の投げやりさがとても好きで、虹に気がつく目を持っているのに、その美しさを信じることのできないやさぐれた心に、懸命にもがく“人の温度”を感じる。
菅田将暉さんの声でなくては、こんなに気持ちを揺さぶられることはなかったと思う。関西弁で話していなくとも、佇まいに感じる関西の空気感。
きっと求められていることを察する観察力や洞察力にも長けている方なのではないかなと見ていて感じる。それでも垣間見える不器用さというか、役柄ではない時の雰囲気や表情にはつかみどころのなさがあって、彼の声はそこにさらなる情緒を増していく。
かすれるような、喉の限り叫ぶような歌声は、この曲の世界観にピッタリとハマっていて、傷ついているのに美しい。
愛が僕に噛みついて 離さないというけれど
さみしさのカタチは変わらないみたいだ
舞い上がって行け いつか夜の向こう側
うんざりするほど光れ君の歌
サビの最後、“うんざりするほど光れ君の歌”と歌うところで雷に打たれたような衝撃を受けた。応援、という言葉では綺麗にまとまりすぎる。ある意味で突き放す、言葉の間にある距離感に想いの深さを感じた。
そしてこの歌詞から、この曲の主人公は見送る側であることを悟った。
たった一文だけど、この言葉はすごい。耳を塞いでいたって聴こえてくるくらいに、距離などものともしない強さで“光れ”と願い、投げる言葉の熱が、ヒリヒリと心に残って痕になる。
そしてこの曲が好きでたまらないのは星が歌詞に出てくるからで、
流れ星をみた 流れ星をみた
願う僕の歌
と言葉はつづく。
“流れ星をみた”と歌う声は、確かにみたんだと誰かに語るようでもあり、自分に言い聞かせているようでもある。星に向かって願う“僕”は、どんな思いでその歌を奏でるのだろう。
「さよならエレジー」のメロディーは全体的に暗めで、イメージする景色はMVに出てくるようなトンネル、コンクリートの壁。無機質なものが思い浮かぶ。
曲調が、マイナーと括って正しいのかはわからないけれど、低いところをずーっと保ってからサビの“愛が僕に”でガッと語気が強くなり、目線がこっちを向いたような感覚にドキリとする。メロディーが見せる表情は吹っ切れているようで晴れ晴れとさえしているのに、菅田将暉さんの歌声が涙声のように響くから、なぜそんなに悲しそうなのかと、問いかけたくなる。
“初めてのキスを”の後ろで聴こえるベース音は心地よくて、かっこいい。全体としてはドラムの音がとても前に出ていて、それが前に前に出る思いの疾走感をつくり出しているのかなと感じた。
目立つドラムと、アコースティックギター。
そして、サビやわずかに間奏部分で聴こえてくるのはバイオリンの音色。泥くささだけではない、美の一面を感じるのはこのバイオリンの効果もあると思う。
“僕が愛を信じても”と言う歌詞からは徹底的な孤独を感じて、その弱さと強さの表裏一体に引きつけられる。
「さよならエレジー」を歌う菅田将暉さんが、ある意味で曲の世界観に入り役を演じているのだとしたら、私はその役に惚れ込んでいる。MVでギターを掻き鳴らす姿も、憂いをおびた瞳に落ちる影も。儚さでは片づけられない、奥で燃えるもの。
ピンチはチャンスというけれど、極限まで弱りきったように見える時が実は最強に最も近かったりすることを、この曲は知っているのではと思う。だから大好きだ。
投げやりなのに全っ然諦めてないところ。
それがこの曲の魅力。傷を負ってもなおできることがあるはずと足掻く「さよならエレジー」に、痛みを抱えた強さをみた。