忘れられないことがあるからこそ。 - 舞台「逢いにいくの、雨だけど」

 

舞台を観に行った。三鷹の芸術文化センターという所へ。iakuという演劇ユニットの舞台を観るために。

 

「逢いにいくの、雨だけど」

なんだかこのタイトルが好きで、気になった。

一行の頭に漢字がひとつずつなところとか、“けど”と言い残す言葉がある感じで終わるところとか。文字ではなく音で聞くと、“あいにくの、あめだけど”と聞こえそうなところも、言葉の音遊びのようでいいなと思った。

 

行ったことのない場所に行きたくなった一番の理由は、俳優の松本亮さんが今回出演されるからだった。

「フレンド-今夜此処での一と殷盛り-」「いとしの儚」「俺節」を観てきて、松本さんの出演する舞台を観るのはそれ以来。

演劇ユニットとしての拠点が関西ということだったり、作品の内容の軸となるのが「許す」ことについてだったのもあって、これは観に行ったほうがいい気がするとチケットを取った。

年齢でチケット割引があったことも、とても助かった。扉座でもあった学生割引や、今回のような年齢割引。舞台を早い年齢から観てほしいという思いを受け取っているようで、そのおかげで観に来られたことも事実で。ありがたかった。

 

ブランケットの貸し出しがあることに喜びながら劇場に入ると、組まれていたセットは独特でありつつシンプルで、どの席に座ったとしても見切れることのない奥行きの作られ方だった。

 

「逢いにいくの、雨だけど」 

“許すとは”という問いに向き合うことになった二つの家族。子供同士の間で起こった事故を引き金に、亀裂の入った関係性をどう抱えていくのか。

許す方、許される方。そんなに難しいはなしだったっけ、そんなに簡単なはなしだったっけ。

そういうことを考えたくなる作品だった。きっとここで起こる出来事は、どんな場所でも起こりうることで、人間関係が崩れはじめるきっかけだってそう珍しいことではない。だから居たたまれなくて、心苦しかった。

 

子供時代と現代が、蘇る記憶を行き来するように舞台上で展開していく。

見るからにというような家のセットは無くて、それでも各々の家庭の空気感までもが見て取れた。

矢面に立つのは大人の会話。そこに子供同士の気持ちは置かれていない。そうして時が経って、大人になって、再会する二人がどんな思いを伝え合うのか。

被害者と言える立場なのに、凪のようで、気持ちが荒立たないにシンパシーを覚えた。けれど同時に、加害者となってしまった君ちゃんのように誰よりも自分が自分を許せない、ある意味での自身に向けた凶暴性にも気持ちが重なってしまう。

私には許せないことも許されたいことも、どちらも自分の中に持っているのだと自覚したのはこの時だった。

 

 

松本亮さんが演じていたのは、潤の立場に近い思いを持つ人物、風見

二人の間に期せずして立つことになる 。人間的な部分と、理性的な部分を行ったり来たりな言動につい注目したくなって、自然とその人となりを想像する魅力があった。

緊張の続くシーンのなかで、ふと呟く言葉で笑ってしまう風見さんの存在は癒しでもあった。

 

劇中、“雨”は印象的な音として響く。

耳をつん裂く雨の音。気がつくと外で降り出している雨の音。どんな音楽が流れだすよりも悲しくて、やるせなかった。

許しても、許さなくても。それぞれに抱えた思いはあらがいようがない。でも、正義感で攻撃的になるのか、その時に自分に目を向けるのかはそれぞれの決断なのだと思った。

 

 

三鷹での公演は12月9日に終演して、これから大阪での公演がある。12月21日と22日で、八尾プリズム小ホールで行われる。

なんとなく行きたいな、と思って行った場所だったけど、三鷹芸術文化センターのホールの名前が「星のホール」だったといま知って、星に惹かれる自分としては来てみたくなるホールに来られてよかったなと嬉しさが増した。

 

小さめの落ち着く劇場で観る舞台はやっぱり特有のわくわくがあって、高円寺や中野の劇場に行っていた頃のことを思い出した。

幕が開くまでは、どんな時間を過ごすのかわからない。2時間が経って劇場を出てくると、景色がまるで違う。

あの暗転と、BGMだった音楽のボリュームがぐわんと上がる瞬間。知らない世界に飲み込まれていく感覚になる。ちょっとこわい。でも楽しい。

 

知らないままの舞台、観に行きたいなと思ってそのままにしてしまう舞台。

それぞれの出会いがありながら、チケットを買ってその席にたどり着いたことは特別だと思う。今回こうして、観に来ることができてよかった。