古書に隠した、時のすべて。映画「ビブリア古書堂の事件手帖」

 

物静かに生きているひとが、報われる世界が見たい

そう思って、観に行く映画を「ビブリア古書堂の事件手帖」に決めた。

ミステリーはこわいからと選ぶことはこれまで無かったのに、この作品に関してはそれを気にしなかった。映画が終わり、エンドロールを観終えて、今日はこの映画を選んでよかったと、和む気持ちを感じながら思った。

 

映画全体に本や文学を慈しむ空気が流れていて、優しかった。

古書店の香りまで伝わってきそうなビブリア古書堂の雰囲気が素晴らしく、メガネ、万年筆、原稿用紙などの物ひとつひとつにも風情があった。

美術を担当する黒瀧きみえさんは、映画「繕い裁つ人」でも美術をされていた方だそうで、アンティークの風合いが美しい映像になっている。

 

監督は三島有紀子さん。観に行った後で知ったけれど、大好きな「しあわせのパン」を撮った監督だった。

本がテーマの映画で三島さんという名前を目にしたことにも、どきっとした。

 

 

ビブリア古書堂の店主「栞子さん」を演じているのは、黒木華さん。

とても魅力的だった。黙っていても沢山のことを考えているのは伝わる眼差しで、そこに座って本を読んでいるだけで見入ってしまう優美さ。

本の世界に入り込みすぎる栞子さんとは対極的に、活字恐怖症で本が読めない「大輔さん」を野村周平さんが演じる。別々の空気感を持つ二人が並ぶことで、活字を愛するひとと、活字を読む術が分からずにいるひととの交流が生まれて、本が好きでなくてはいけないという括りは取り払われる。

 

映画の中では太宰治の作品が数多く登場して、その紹介の糸口がとても分かりやすく簡潔。タイトルだけは知っていても、何が何だか見分けがつかないでいた自分も、もう一歩入り込んで記憶に留めることができた。

とくに「晩年」という本の名は、これからもきっと忘れることはない。

夏目漱石の作品に「それから」という名のものがあるというのも、この映画で初めて知った。数多くの本が登場する映画だからこその、エンドロールで出版社が結託してずらりと名前が並ぶ様子に感動した。

 

謎を読み解き、犯人は誰なのかという軸もストーリーの中であるものの、大切なのは“人の思いが時間を越えてどのように語り継がれていくのか”というところにあると感じた。

本は、捨てられてしまえば、燃えてしまえば、いとも簡単に消えていってしまう。けれどその存在が、こうして大切に手に取りひらき読んでくれる人の元に渡ることでずっと残っていくのだと安心するような。

大輔さんにとってのおばあちゃんである「絹子さん」の若き頃の話が、ストーリーのもう一つの軸になっていて、現代と過去の時間が折り重なるように話は進んでいく。絹子さんを演じるのは夏帆さん。

絹子さんに惹かれていく「嘉雄さん」を東出昌大さんが演じていて、佇まいからして文学的な匂いのする人はずるいなあと東出昌大さんを観ていて思った。小説家を目指す彼の、原稿用紙に万年筆を置く姿。ベストにシャツを合わせた服装でふらりふらりと歩く姿は、ため息がでるほど画になる。

 

 

ビブリア古書堂の事件手帖」の予告を映画館で見た時、主題歌がサザンオールスターズと知って、なんと壮大な…と意外に思ったけれど、映画を観た後でエンドロールとして聴いて、海の景色が思い浮かぶこの曲はぴったりなんだとよくわかった。

「北鎌倉の思い出」という曲名からもう、好きになるしかない。緑の江ノ電、見える水平線。桑田佳祐さんの歌声がメインだと思っていたら、聴こえてきたのは原由子さんの歌声で、そこに添うように桑田佳祐さんの声がハーモニーとして聴こえてくる。

ノスタルジーが漂う声の色に、ページが開いて、本の世界へ誘われるような引力を感じた。

 

映画のなかで、本に翻弄されていく人達を前にして戸惑い「たかが本」と口にする大輔さんのことを、栞子さんは言葉でとがめたりしない。

思慮深く聡明な、栞子さんの寄り添い方が素敵だった。好きなものを大切にしながら、同じ価値観を持たないとしてもそれを無理に自分の方へとねじ曲げようとしてはいなかった。

 

本に刻まれた内容だけでない、人が本を所有している間に刻まれる物語がある

ビブリア古書堂の事件手帖」は、文庫の本を手に取り、一ページずつ読み進めていくような映画だった。