おいしいサンドイッチ

 

住宅地を少し進んだ道の先、目を凝らすと見えるその看板は、雨の日も曇りの日も夏の日もそこにあった。

ここに居たいと思う場所を見つけることは、自分にとってテーマになっている。そんなに多くなくていい。気づけばすぐに浅くなる呼吸を、ゆっくりと落ち着けることができるそんな場所を求めている。

 

木の扉を開くと、自然な明るさの店内はいつも緩やかに時間を刻んでいる。

私は2階の席が好きで、いつも階段を上り、お気に入りの角度で店内を見渡せる席につく。

 

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お食事がとても美味しくて、何を食べようかと来る度に迷うのだけど、いつも決まってサンドイッチを頼む。

私はここのサンドイッチが大好きだ。みなさん、こんなにおいしいサンドイッチがあることを知っていますか?と聞いて回りたくなるほどに。

食パンは耳つきで厚めに切ってあって、ほどよいトースト加減。週によってサンドされる中身が変わるから、どれも私にとってはレアキャラで、チキンタツタだ!BLTサンドだ!と他に目移りできないほど愛してやまない。特に好きなのは海老アボカド。あっでもカジキのフライとタルタルのサンドイッチもおいしかったな。

 

店内に流れる音楽は大好きな映画のサウンドトラックで、一つ一つの席に座ってみたくなるくらいに内装もシンプルで可愛い。

2、3ヶ月おきに行くこともあれば、半年近くあいだが空くこともあった。おいしいごはんが食べたいな、と思った時が訪ね時。デザートもおいしいことに気づいてしまってからは、ごはんを食べたらデザートも。長居するようになってしまった。

何度かここでパソコンを開いて文章も書いた。

いしわたり淳治さんの本を読んで勢い止まらず、おもむろに走り書きをしたのもこの場所だった。あまりに素敵な場所だと、パソコンを開くなんてナンセンスなのではないかと物怖じしてしまうこともあるけど、ここではなんだか落ち着いて作業することができて、まとまらないのではと思う文章もするりと言葉にすることができた。

 

プリンは持ち手のついた陶器のカップに入って出てくる。たっぷりと食べられるそのサイズが好きで、上にのったクリームも木のスプーンで下からすくうと出てくるカラメルもおいしい。

自家製のアイスクリームは絶品で、エスプレッソのアイスにアーモンドの粒が入っている、オトナなアイスクリームだった。

 

私にとってこのお店は、晴れよりも雨のイメージだった。

それは私の心模様についての話で、いいようのない気持ちに染まりそうになった時、この場所に来たくなる。

自分にとってのバディとも言えた犬のルカを亡くした次の日、一人で見送って、一人で帰り道を歩いた。タクシーかバスにすぐ乗ればいいものを、乗る気になれなかった私はしばらく道をただただ歩いた。寂しくて、心細くて、もう何も要らないと思ったあの時間のなかで、思い浮かんだのは木の扉の向こうにある、その空間だった。

あのお店のごはんなら、食べたい気持ちになるかもしれない。気力を失っているのにお腹が空く自分に嫌気がさしながら、それでも家に真っ直ぐ帰るよりもここに来たかった。

おいしいサンドイッチだった。朝ごはんも食べずに家を出たあの日、黙々と食べたおいしいサンドイッチを私は忘れることができない。

何を話すでもなく、店員さんや店長さんと会話をしたわけではなかったけど、温かいごはんをテーブルに置いてくれて、静かにそこに居させてくれたことが何よりの安らぎだった。忘れたい日でもあったけど、忘れたくない日でもあったから、お店の雑貨スペースで販売されていたドライフラワーのリースを買ったのだった。

それは今も部屋にある。「これはずっと飾れますか?」と聞いて、「ずっと飾ることができます」と答えてもらったことを覚えている。

 

それからも、たびたびお店を訪ねた。

そろそろまたごはんを食べに行きたいな、そう思っていた頃。“お店を閉めることになりました”という知らせを読んだ。あまりのことに固まってしまって、これはすぐに行くしかないと翌日に駆けつけた。

“ずっと”とはなんだろうと、ここ最近の自分は気づくとそればかりを思ってしまう。大好きなものがそのままでいられないのはどうしてだろう。変化を恐れる自分の弱さを目の当たりにするようで、情けないなと思うけど、切ないものは切ない。

けれど変化は悲嘆することばかりではないと、ここ最近だからこそ思えている自分もいて、変わらないでいてと願う子供の自分を成長させるべき時なのかもしれないと感じている。

 

雨が降って止んでを繰り返していた空模様が落ち着いたころ、お店の外に出ると青紫のシジミ蝶が飛んでいた。

吹く風は涼しさを運んで、もう暑くはなくて、夏が終わることを静かに感じた。