ごはん行こうって言われると嬉しい

 

日が沈んでから待ち合わせをして、ごはんを食べに行く。 それがこんなに楽しいことだとは。

駅の改札前で待ち合わせをして、相手を見つける瞬間も、少し待ちぼうけをして立っている時間も、今日の私には会う約束をしているひとがいるという確かな嬉しさが何度経験しても心をくすぐる。

大人と言える歳になって、何が楽しいかと考えると、この時間を過ごしている時だなと思う。

 

子供の頃、大人の言う「ごはん行こう」って何だ?大人ってそんなにごはん好きなの?と不思議に思っていた。

ごはんはあくまでエネルギーチャージのピットインタイムで、学校の給食でも、休みの日のお昼ごはんでも、早く食べ終わって遊びに行きたかった。ごはんと遊びは別もの。だから、ごはんが遊びのような位置付けになっていることの意味が分からなくて、1日遊ばないの?ごはんがイベントのメインなの?と不思議は深まるばかり。

子供ながらに想像を膨らませて、こんなに大人たちがこぞってごはんに行くのだから、何かしらの隠された楽しさがあるのではないか…と考えたりして、お酒か…?でもお酒だけでそんな面白いか…?と、結局は“ごはん行こう”の楽しさについて、納得できる答えを導き出すことはできなかった。

 

自分が経験してみて思うのは、1日会えるのも嬉しいけど、仕事終わりや時間の合間に会おうと時間を用意してくれるこの感じがじわじわ嬉しいということだった。

飲み歩くわけではないけれど、美味しくて落ちつけるお店を探して、そのお店で2、3時間ごはんを食べながらおしゃべりをして、ほどよい時間に帰る。

ベタベタでもなくあっさり過ぎもしない、そんな距離感でごはんに行ける相手がいることも、毎度当たり前になることはなく、特別なことだなと実感している。

 

あの頃不思議で仕方なかった“ごはん行こう”は、働きだすと丸一日の時間を作れないとしても、一日のうちの何時間かを誰かとすごすための口実にもなり、いわば誘うための決まり言葉なのだとわかった。

ごはんを食べることが第一目的というより、この人と時間を過ごす、会話をしたいという意思表示が“ごはん行こう”に込められている。そう考えると、子供の頃の自分が思っていたよりも大人は人に関心を持っていて、誰かと一緒にいたいという感情が強いのだと発見だった。

 

以前の自分は、人前で食事をすることが苦手だった。

緊張するし、会話をしながら食べるのか、食べてから会話をするのか、そのさじ加減が全くわからない。けれどいつしか、このひととなら緊張せずに一緒にごはんを食べられると思える相手がいることに気づいた。その時初めて、ごはんに行きたいという感情を知った。

仲の良さに境界線が必要かはわからないけれど、言葉にするなら“一緒にごはんを食べられるかどうか”は、自分のなかで大切なリラックスの境界線になっていると思う。

 

モットーとして、自分の話を聞いてほしいからという理由では誘わないようにしようと心に決めていたものの、ある時、一人黙って抱えられない出来事があり「会いたい!ごはん行こう!」と連絡をしたことがある。

送った後で、やってしまった…相手の都合を考える前に…と悔やんでいると、すぐに返事が来て「いいよ!明日会おう!」と言ってくれた。うれしかった。

なにか状況が解決するわけではないとしても、すぐに駆けつけてくれて、時間を割いてくれたことがうれしくて、一人じゃなく二人でごはんを食べる時間は何よりも安堵できるひとときだった。

ライブ終わりや旅行先での食事も、日常には無いドキドキがあって、鮮明に記憶に残る。あの時食べた串カツ。あの時食べたオムレツ。ドラマ「anone」を見ていても、映画「南極料理人」を見ていても、一人で食べる食事とテーブルを囲んで食べる食事は大きく違うものだと感じる。どんな表情でどんなものを食べたか、記憶に残り、あの時間の空気の温度がそのまま思い出せる。

 

単純でありふれていることのようでいて、大人のごはん文化は奥が深い。気軽に会うためのきっかけでもあり、時にピンチの拠り所にもなる。

会話のコミュニケーションが、子供の頃で言う遊びになっていると思った。歳を重ねて当時者になれることが増えて、話題に現実味と幅が増えるからこそ、会話に面白みが出てくる。

子供の頃にする会話は、どこか自分ごとではなかったりずっと先の事で、自分だけでは決められないガラスの壁を感じていた。今は、どんな話も関係のある事として話すことができる。空想ではなく、現実として起こせる会話をしていることが嬉しい。

 

最近は理想の野菜のピクルスを探してお店を回るのが楽しい。とにかくメニューにあれば頼む。うずらの卵と大根が入っているお店は分かっているなと思う。ピクルスはいつも少量だから、瓶ごと持ってきて!と言いたくなる気持ちを抑えて2度頼む。いつか理想的なピクルスを見つけることを目標にしている。

ごはんに行く日は、帰りの時間もすこしゆったりになる。暗くなったら帰らないと、と思っていた子供時代を思うと、この時間に外でごはん食べてるなんて大人になったんだなあと感慨深くなる。

こんな時間はいつまで続けられるだろうかという切なさもありながら、それでも今は心癒されるこの時間を大切にすごしていたい。

 

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