敬語は言語として美しいという話を、どう言い表したら伝えられるだろう。
基本的に、普段は会話をする時もメールなどのやり取りをする時も、よほどのことがない限りは敬語をベースにして話す。
友達同士になってもそのままでいることは多い。敬語じゃなくていいよと言われてもなかなか敬語が取れないこともあり、こちらとしては壁を作る意味で敬語を使っているのではなくて、敬語が好きだから使っていて、言葉として丁寧なものを使って話した方が落ち着くからという理由なのだけど、それが距離感の仇になっていたこともあったなと今思えばわかる。
せっかく敬語をなしにしてお互いに話すようになったとしても、内心ドギマギしていて、落ち着かなかったりする。
英語にも丁寧な言い回しはあるけれど、基本は年上であっても年下であっても“You”は“You”で、状況に応じて変化する言葉は少ないように思う。韓国語は語尾に“ヨ”を付けると“〜です”という意味になるので、日本語の敬語の使い分けに近く馴染みやすい。
日本語と一括りに言っても、日常で使う言葉遣い、敬語、方言など話す言葉は様々で、言語学を学んだら楽しいだろうなといつも思う。
数ある言葉のなかで、究極に好きなのは敬語混じりの関西弁。“〜ですか?”などが語尾につきながら関西訛りなのが、音の波として心地いい。「ほんま?」って聞かれるよりも、「ほんまですか?」と聞かれた方がときめく。同じ関西弁でも、滋賀の話し方は柔らかくてのんびりしていて好きだ。
そんなふうに細分化していくと切りがないのだけど、言いたいことをズバッと相手に伝える話し方よりも、やんわりさを残してくれる敬語は、相手との距離感のなかで大切なものだなと思っている。
敬語が冷たいと感じる人もいるかもしれないけれど、相手を思って話す敬語には穏やかさがあると思う。
映画を観ていても、ドラマを見ていても、いいなと思う恋人同士や夫婦は敬語であることが多かった。「神様のカルテ」のイチさんとハルさんや「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」の練くんと音ちゃん。
具体的にどの言葉が好きと言うよりも、相手を尊重し、敬語で話しながらきちんと築かれた二人の関係性そのものに惹かれているのだなと思う。
「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」や「カルテット」などの脚本を書かれている坂元裕二さんの書く敬語は物凄い。
敬語なのにくだけた空気感があって自然で、くだけていると思ったら一気に敬語の持つ緊張感を引っ張り出したりと、変幻自在に言葉を操り、その空気感に翻弄される。敬語の会話が自然に聞こえるということは、普段の日常にどれだけ敬語が馴染んでいるのかを表しているなと思う。
日常を過ごしていると、言葉を大切に思うことは小さなことで、無駄なことなのかなと迷う時がある。丁寧な言葉。品のある言葉。それを守ろうとすることは乗り遅れるということなのだろうかと考えて、なんだか自分が浮いているような感覚に陥る。
しかし坂元裕二さんのドラマを見ると、そこに描かれている世界の中で大切な役割を担っている敬語の存在に感動し安心する。美しい言葉は美しいままそこにあって、見ている自分がその言葉に心揺さぶられるのなら、このままでいいと思える。
これまでは、音のあるもの。歌やドラマなどの映像から言葉に注目することが多かった。最近は小説を読む楽しさも少しずつわかってきて、雑誌を読んでいる時も見出しの言葉やインタビューで取り上げられる言葉の選ばれ方を見るようになった。
言葉の意味にばかり気を取られて、感情をおざなりにしないように気をつけないとなと思いつつ、やっぱり私は言葉が好きなんだと思う。