「僕」と「君」が好きな理由

 

曲を聴いていて好きになる歌詞は登場人物の一人称が“僕”で、相手を表す呼び方は“君”になっていることが多い。

最近は増えたような気もするこの一人称と呼び方が好きなのはなぜだろう。

 

歌われる時のパターンとして、

男性アーティストが男性心理を歌う場合の「僕」と「君」

女性アーティストが男性心理を想像しているシチュエーションでの「僕」と「君」があると思う。

 

女性アイドルの歌う曲は男性の作詞家さんが多く歌詞を書いている印象で、女性アーティストだと本人が作詞をしている印象が強い。

男性が書く男性目線と、女性が書く男性目線には違いがあるのだろうかと気になりながらも、意識して聴き比べたことはなかった。改めて好きな曲について思い出してみると、女性が書く男性目線より、男性が書く男性目線にときめくことが多いと気がついた。

さらに女性視点となると、男性が書く女性視点に惹かれがちなこともわかった。

女性の書く男性視点の方が、現実的でストレートだなとSHISHAMOの曲を聴いたりしていると思う。歌詞において、どちらかというとロマンチストなのは男性の方で、はっきりとドライに物事を捉えているのは女性の方なのかもしれない。

 

私が聴いていて特に好きなのは、平井堅さんが書く“僕”目線の歌詞。

「君の好きなとこ」や「僕の心をつくってよ」

弱った気持ちを押しつけず、淡々と語ることで伝える儚さが男性の弱さを丁寧に描いていて、不器用な僕の、真摯な想いが伝わってくる。

 

“僕”は僕であるけれど、“君”という対象は聴く人によって変化するという魅力が、この表現方法にはあると思う。

もっとも直線的な距離で、聴いている人の心へ届ける。自分のことかもしれないと感情移入をできる呼び方が“君”なのかもしれないと思った。自分に向けられたものではないと他人事に思わせず、当事者にさせる引力がこの言葉にはきっとある。

英語で言えば“You”だけど、“君”には昔から使われてきた古語としての意味も重なるような気がして、その一言に納められた、慕う心や見守る視線が感じられる。

だから歌を聴いていて、現代語として聞きながら、古語の時代から使われていることの意味を考えることがある。

 

関ジャニ∞では、「七色パラメータ」「I to U」「侍唄」など、ミディアムテンポやバラードで関ジャニ∞がふいに僕と君を使うとグッとくる。

関西出身のメンバーが使うというところにもときめきのポイントがある。関東ではそう呼ぶことに違和感はさほどないけれど、日常で使うことはあまりないであろう“君”というワードを、そのちょっとした小っ恥ずかしさを乗り越えて使うところがいい。

 

福山雅治さんの作詞する男性目線も好きで、「Massage」や「蛍」も独特な魅力がある。福山雅治さんの作る歌詞からは結婚観を持っている男性のイメージが伝わってくることが多く、安心感と包容力がある。

 

中島美嘉さんが歌っていた「ORION」も歌詞が印象的だったなと思い調べてみると、作詞は百田留衣さんという方で、男性だった。

泣いたのは僕だった

弱さを見せないことが そう

強いわけじゃないって君が

言っていたからだよ

という歌詞が中島美嘉さんの歌声で歌われることで切なさが増す。この詞は女性が書いたのかなとこれまではなんとなく思っていたけど、意識してみると、曲で描かれる繊細な弱さは男性だからこその感性なのかもしれないと思った。

この曲が不思議に感じたのは、中島美嘉さんが歌っているからなのか、ドラマ「流星の絆」のイメージがあるからなのか、“僕”という存在が性別に限らずどちらの立場とも取れるところ。ドラマで言うと、功一としても静奈としても投影できる。「ORION」だけが持つ魅力だと思う。

 

“俺”とも違う、“僕”の良さ。

言い表すのは簡単ではないけど、ただ単に少年っぽさがいいということではなく。温和な感じが滲むところがいい。一人称が俺のときよりも、落ち着いた大人の言葉として聞こえることもある。

思えば、曲に限らず、ドラマの登場人物や小説の主人公でも、一人称は僕の方が好きだ。今見ているドラマ「ウチの夫は仕事ができない」でも、司さんは自分のことを僕と呼ぶし、奥さんの沙也加さんも私と言う。

前のめりな荒っぽさよりも、物静かで、穏やかな空気感のものに魅力を感じている。

そういう丁寧さが伝わるものが好きなんだなと思う。