忘れられない、みれん横丁の人々

 

 「俺節」を観に行こうと決めたのは、2014年の「フレンド-今夜此処での一と殷盛り-」という増田貴久さん主演の舞台で、ていちゃん役を演じられていた松本亮さんが「俺節」に出演されると知ったからだった。

そして六角精児さんも出演されるということを知り、この舞台に立つお二人を観たいと思った。

 

六角精児さんが演じたのは、流しの大野。ギターを常に肩から掛けて。コージとオキナワを弟子にして、面倒くさがりながらも可愛がり、世話を焼くようになる。

松本亮さんは、目で追いかけるのが大変なほど、場面ごとに全くの別人を演じていた。

最初は北野先生に弟子入りしている一人として。

みれん横丁では放火魔。

左上にある“閑古鳥”という店の前にいつも居た。お店なのに閑古鳥て、と思ったけどそれがよかった。

お祭り会場で太鼓を叩いている兄ちゃん。オキナワに捕まるおかま。テレサにピクルスの位置をしっかりと指摘するもパートのおばちゃんに追いやられるパン屋さん。杓子定規のような考えではなくテレサの話しをちゃんと聞いて、コージとテレサに時間を与えてくれた刑事さん。あとひとつ、自転車屋さんには自分が気がつけていなかった、くやしい。

強気になりきれないパン屋さんと、優しい刑事さんが特に好きだった。7役もの変貌。次々に変わる役柄に、観ていてわくわくした。

 

舞台「俺節」のセットも凄かった。

目の前に広がるみれん横丁は圧巻で、素晴らしかった。奥行きを感じる作りが緻密に計算されていて、看板ひとつにも情緒がある。“SNACK 丸”と書かれた看板が左上にあるのを見つけてちょっと嬉しかったりした。

ラストで、左右上方にある壁の部分に映るみれん横丁の景色が、カラーから白黒に変わり、またカラーに戻っていく瞬間があった。それが漫画と現実が混ざり合った瞬間のように見えて、なんという演出なんだろうと鳥肌が立った。

二階建ての造りのみれん横丁、何度も出てくるテレサが働く店の楽屋。これをきっと人が動かしているのだと思うと、なんてハードなんだとスタッフさんの仕事に拍手を送りたかった。

 

上京してその日のうちに演歌の大物、北野先生に弟子入りを願い出たものの、始めから相手にしてはもらえなかったコージが、流しの師匠に弟子入りをお願いをする時は、「弟子になります!」というまさかの自己申告パターンで押し通した男気が好きだった。気を良くした流しの師匠について回ることになり、そうして“流しとは”、“歌うこととは”、という大切なことを教わっていく。

 

流しの師匠が店を渡り歩く場面では、実際に次から次に店とお客さんが現れて、その下では働きながら工事現場の仲間に流しの師匠のすごさを話すコージの姿。

場面展開の中で、ここが特に好きだった。自然な流れで現実から回想に移り変わる演出。

歌う曲の選び方について教わっていたオキナワとそして師匠を残してコージが階段を降り、コージは働きながら現場で仲間のおじちゃん2人と一緒に会話を始める。同時進行で流しの師匠とオキナワは店を渡り歩き、二つの場面がスムーズに噛み合い進んでいくのが面白かった。

その働いている現場にテレサが通りかかり、少しばかりの話しをして、そのうちにそれが習慣になっていく感じも、金網越しに聞き耳を立てる同僚をおじちゃんを叩いて追い払うコージの様子も可愛かった。

雨の演出も、霧雨と大雨の場面があり、海外のミュージカルなどでそういった演出があるとは聞いたことがあるけれど実際に見たのは初めてで。文字通りの意味で土砂降りの雨を降らせる演出は、こんなに大胆にステージを濡らして大丈夫なんだろうかと心配になるほどだった。

照明では、コージの家。線路近くのアパート。オキナワが灯りもつけずに居る時の部屋の様子がリアルだった。冷蔵庫の明かりも窓から差し込む光も。

 

コージがテレサの職場の仲間である橋本さんから貰った、人肌に温まった信玄餅をぽーいと投げるところはなんとも言えない間合いと表情で、すごくよかった。ナイス、ノールックコントロール

コージが歌った、「あの故郷へ帰ろかな帰ろかな」という歌詞が耳に残る「北国の春」にテレサは胸を打たれたけど、テレサの仲間のエドゥアルダにはすぐに受け入れられない葛藤があった。帰り道、歌に込められた意味を理解してもらうことができなかったことに肩を落とすコージが「だども…!」とオキナワに訴えかける場面が印象的だった。「わかってるよ、あれは帰れないからこそ故郷を思い出す歌だよな」とコージの悔しさを受け止めるオキナワの言葉と声が優しかった。

歌の持つメッセージが一つだとは限らないけれど、耳に残りやすい部分だけでなく、掘り下げた歌の深みを感じて欲しいというコージの思いは、歌に本気な彼だから抱くものなのだろうなと感じた。


テレサを助け出すと決めたコージにみんなが力を貸し、みれん横丁でデモ隊を装ったバリケードを作り、大合唱で怯ませで追い払ったところで第一幕が降りる。

客席から拍手が起きた。びっくりした。舞台の内容にもよるけれど、幕間に入る前に余韻で拍手が起きるのは珍しいことのように感じて、感動した。

 

ビールを仲良しで飲むコージとテレサにあきれ半分でオキナワが「もうお前らふたりで飲めよ」と言うところが可愛くて、テレサが部屋に入る前にコージの鼻をつついたら、わざわざオキナワのところに寄ってって「ツンってされたっ」と報告に来るコージもなかなかに可愛かった。

テレサとの場面や、穏やかな場面の時に、何度か暗転しながら流れたピアノのメロディーが好きだった。

テレサが仕事を探しなおし、働き出したパン屋さんのおばちゃん二人が優しくて、演じているのはおじちゃんなのがまた面白くて。
六角精児さんが演じる会社の社長に、コージが異議申し立てる時の、引っ越し会社社員に担ぎ上げられたところから見事にぐいーっと上半身を起こすのも凄かった。あれは支える側も大変だし、起き上がる側も体幹を使いそうだと思った。

俺節」で生きていたキャラクターは、みんな魅力的な人間ばかりだ。くせの強い歌唱指導の先生も、スーツを着て歩くその人も、それぞれが自分を生きていた。

 

テレサ拘置所で取調べを受けるシーンで、なんだかんだ和気あいあいとしているテレサと刑事さん。右手でハイタッチのあとにテレサが手を痛がる素振りをして、えっ…っと刑事さんが心配していると、「へへっ」っと無邪気に笑うテレサに、刑事さんが「ジョークかよ」とつっこむ様子がもうだいぶ仲が良くて、観ていて思わず笑顔になった。取り調べにきちんと答え、好かれるほどの、テレサの誠実で人に愛される性格が表れていると思った。

その様子を、いいなーと羨ましそうに見るもう一人の刑事さんとは、妙に手慣れたハンドシェイクをする。あのアメリカンドラマなどでよく見る、手をタッチしてピロピローみたいな動き。テレサはわかるけど、なぜか刑事さんが完璧な動きだった。

 

オキナワとではなく、元アイドル歌手だった寺泊行代とのデビューを聞かされて、始めは抵抗していたものの、その抵抗を諦めてしまったコージ。

ずっと大切にしていた、コージの身体よりも大きな肩幅の紺色の背広を着なくなって、麻で出来たベージュのジャケットに袖を通し、すっかり訛りの無くなったコージを見ている時のざわつく寂しさは、観ていて自分でも戸惑うほどだった。

いつの間にか、青森弁の気弱なコージに愛着が湧いていたのだと気がついた瞬間だった。

 

デビューの話が流れてしまった後で、みれん横丁のゴミの中からばーんっと起き上がって出てくるコージにはシンプルに驚いた。投げやりになっているコージに、離れていったはずのオキナワが北野先生に連れられてやってくる。

オキナワの作った歌の書かれた紙をコージが見られない場面が、すごくよかった。

ただ歌詞の書かれた紙ではない。どれだけの重みがそこにあるかをコージはちゃんと分かっているから、見ることができない。その複雑で切実な心境が痛いほど伝わる場面だった。どうせいい曲なんだべ!見れねぇ!と突き返すコージに、見ろよ!と押し返すオキナワの押し問答が、微笑ましくて切なかった。走って逃げ回って、ゴミ袋を2個掴んでぶん投げるのに、オキナワに当たらず、主に陛下に被害が及んでいるのが不憫だけど面白い。

北野先生と流しの師匠の二人が楽しげに並んで話しをしながら、ふとコージとオキナワの前に立っているのを見た時。コージとオキナワには、がむしゃらに頑張っているうちに気付けば二人の師匠ができていて、見守られていたんだなとハッとした。始めは後ろ盾がないように見えた二人が、いつの間にかこんなにも暖かく見守られて可愛がられていたのだと。

その場面の後でコージがひとりで座り込み俯いているところに、突如みれん横丁の一角からバンッ!と出て来たプロデューサー。コージの前で停止。固まるコージとの沈黙。なぜそこから出て来たのかが最高に謎だった。

 

雷が迫っている野外のイベント会場の場面、STAFFと背中に書かれたジャンパーを着たスタッフが終始あたふたしているのがリアリティーがあって、おもしろい演出だなと彼をつい注目して見ていた。スタッフとして実際の客席を歩いて、客席の方を向いて開演アナウンスをしたり、進行状況を見てこれはダメだと判断して大きくバッテンマークを腕で作って後ろに見せたり。

イベント司会の女性も同じく客席の後ろの方を見て指示を仰ぐ感じを見ているうちに、この劇場全体がイベント会場になったような錯覚が起きて、劇中劇のようにリンクする瞬間のようで楽しかった。

「雨降るらしいわよ」と話しながらアイドルグループのファンやって来て、客席にも話しかけたりしていた時、「ヤン坊マー坊も言ってなかったじゃない」と誰かがさらっと言った。年代なのか、安田さんということを含んでなのか分からないけど、素敵な遊び心で、今言った!と思いながら観ていた。

 

おらのために歌ってくれるなんて

なしておらが歌ってほしい曲がわかったんだ?

そう純粋に感動し、驚いていたコージの姿は、きっと誰もが感じたことのある、あなただけが胸に持っている特別な感情だと思う。

その役を演じていた安田章大さんもまた、その気持ちを与える側の一人であるということが感慨深かった。

“自分の気持ちそのものだ”と感じさせることができるほどの歌、それを作るのも歌うのも、並大抵のことではない。心揺さぶられるほどの力を持った曲は、時に人の命を汲む。これは大げさな表現ではないと思っている。私がそうだったから。

俺節」という舞台に込められた、生きることへの熱や、すがりついてでも貫きたいものがあることの喜びと苦しみを肌で感じて、道の先が見えないどころか道さえ見えない場所に立っている状況だとしても

これだけは信じていたいと、自分の中で感じているものを疑うことはしなかったコージのように、実直でありたいと思った。