ついにかなった「味園ユニバース」復活上映

 

いつか、かなうなら映画館の大きなスクリーンで観たいとひそかに思っていたことが、まさかこうしてかなうとは思いもしなかった。

味園ユニバース」復活上映。

6月2日の一夜限り、大阪・東京・川崎・名古屋で19:00〜の同時上映。

上映期間中に映画館に行っていたにも関わらず、なぜ観なかったのか悔やんでも悔やみきれなかったこの作品を観ることができるチャンスがやってきたと知り、今度こそ逃したくないと必死でチケットを取った。とにかくこの空間に居たい一心で、取ったことがないほどスクリーンに近い未知の座席をなんとか押さえ、その日を心待ちにしていた。

何も考えず、味園ユニバース!!観る!!という感情だけで動いたため、この日は「蜘蛛女のキス」昼公演を観てからの「味園ユニバース」というこれ以上ない濃度のスケジュールになった。こんな贅沢なことをしたことがないので、朝から動機が止まらなかった。舞台を観て感情のビックウェーブが押し寄せるなかで息つく暇なくポチ男を観るなんて刺激の過剰摂取でオーバーヒートするのではないかと心配もあった。

 

映画館に着くと、今夜限りでモニターに映された“味園ユニバース 19:00”の表示を感慨深く写真に収める人が何人も。

本当に観られるんだなあと実感が湧き、なんとも言えない緊張感を感じた。観に来ている人それぞれが心なしかソワソワと、でも静かにその時を待っていて、この映画への一人一人が静かに大切に持っている、並々ならぬ思い入れが伝わってくるようだった。

味園ユニバース、入場を開始します」というアナウンスがかかり、ドキドキしながら上映スクリーンへ。

前から二列目の驚くほど近いスクリーンにおお…となりながら、椅子に沿って全力で見上げる姿勢。心待ちにしているからなのか、実際長かったのか、始まる?と思うたびに次のCMが流れ、なんとなくその都度起こる緊張と緩和。会場全体の一体感がすでにあった。

 

何度も観たはずの、刑務所から出て行くポチ男の背中。刑務官の姿。道路を渡る前に後ろを少し見た横顔にかぶるように映る“味園ユニバース”の文字。

つい先日も家で見た同じ作品が、こんなにも違って見えるのかと圧倒された。

 

DVDでは聞き取りきれていなかった台詞や言葉の語尾、音が意外と多くあることに気づいて、事細かに聞こえてくるその音を一つも聞き落とすまいと必死だった。やっぱり映画館で聴く音は凄い。私が映画館の音が好きな理由に、空気の音が聴こえるからということがある。物を動かしたり、擦れたりして聴こえてくる音から空気を感じる。テレビでは聞き逃してしまうような紙の音でも、映画館ではとても印象的に聴こえる。

ポチ男が出所してすぐ入った店で、レジにライターを置く音。店主がタバコを置く音も、こもった砂埃の混じるような空気を含んで聴こえた。

何度も観ていたのに気がついていなかったシーンや、こんな印象だったっけと思うような新鮮さがあったことが驚きで、あれ…?こんなカットあった…?と思ってしまうほど、違う景色に見えた。目線ひとつのわずかな動きや瞳に入る光の変化も、小さな画面では見きれなかったようなところが大きな映画館のスクリーンではしっかりと見えた。

 

大きなスクリーンに映すほどポチ男の小さい背中が切なかった。

記憶を無くし何も分からないまま、吠えるようにぶつけて歌う「古い日記」

息を止めて聴き入るほど突き刺さる歌声に、涙さえ出なかった。それはまさに音の洪水で、耳だけでなく全身が音で覆われた。

家では聞けない大音量で「古い日記」「チェリー」「あなたに」「赤いスイートピー」「ココロオドレバ」を聴ける嬉しさはひとしおで、音楽のいっぱい聴こえてくる映画なんだなとやっと体感することができた。

特に「ココロオドレバ」をリハーサルするシーンはグッとくるものがあった。打楽器担当のグッチさんがボソボソ話しているのを今回初めて聞き取ることができたし、キーボードのオカPさんの笑い声からセッションが始まる空気感も鮮明に感じることができた。

 

 

なんにもないとこで転んだ 泥だらけで濡れて帰った

 

その言葉を聞いた瞬間に、これまでこの曲を聴いていて感じたことのなかった感情が押し寄せてきた。

“なんにもないところで転ぶ”ということの意味が、初めてちゃんと心にしみたからだった。頭で分かっているつもりでも、それがどんな気持ちなのか心で感じたことがないことは、やっぱり理解しきれていなかったんだなと最近は度々思う。だからこの時初めて、実際に今の自分がそういう状況にあると気がついた。

  

大きなスクリーンで観て気がついたポチ男の可愛いシーンがいくつもあった。

まず、ポチ男をどうするかという話になって赤犬たちが帰って行ってしまうシーン。この後にポチ男が寝てしまっていることにカスミが気づくシーンがある。今までこのシーンは赤犬とカスミに注目して観ていて、今回はそのシーンでじっとポチ男に注目してみた。そうしたら、ポチ男が左端で眠たそうにして、ぐーっと後ろに倒れこむ様子がちゃんと映っていた。カスミが気づくシーンの前から、細かくここで演技をしていて、次のシーンに繋がっていたんだと感動してしまって、視点を変えるとまだ気づくことがあるんだと楽しくなった。

「ユニバース抑えたから、ワンマンやるで」とカスミが言ったのを聞いた時のポチ男も可愛くて、そわそわと手に持っているほうきをワサワサと振っている動作をしていた。その後に「僕も?」とポチ男が聞くから、それを気にしていたのかと可愛くて仕方がなかった。

はっとしたのはカラオケ屋さんの手伝いをするポチ男が重たいジュースのビンが入ったケースを運んでいるのを見た時。働き手として頼りにされていることがこのシーンで分かって、カスミとおじいの暮らしには無かった男手があるという感慨深さがあった。お父ちゃんの店は潰さないと決めたカスミは、これをいつも自分でやっていたんだなと思った。

 

ハーモニカの音が聞こえて来て、ポチ男を見たカスミの表情は何度観ても切なくて、「おかえり」とポチ男に言われて「ただいま」と返すやり取りだけで、カスミにとってポチ男は必要な存在だということがわかる。

ポチ男を連れて帰るためにカスミが持って行ったバッドはどこから手に入れたんだろうと思っていたけど、今回観て納得がいった。バッドはもともとカスミの家に傘と一緒に傘立てに刺さっていて、別のシーンでさりげなく写っていた。

カスミの書いていたポチ男ノートには、「ココロオドレバ」のCDジャケット写真の案が貼ってあっておもしろい。ポチ男がジャンプしている写真で、イメージ以上にポップなデザインであるところにカスミの気合を感じて、嬉しくて楽しかったんだろうなと思う。

赤犬の左で並んで立っているコーラスの3人が好きで、これまではヒデオさんのキャラクターの濃さに惹かれていたけど、実はクセが強いのはロビンさんなのではないかと気になりだしてから目が離せなくなった。 

 

息子に会いに行き、話を聞いてもらうこともできず、姉に「死んでくれ」とまで言われたポチ男が帰ったのはカスミの家で、その家にショウがいた感情がどんなだったか、観ていてやるせないシーンだった。あのまま失踪したっておかしくなかったポチ男がはじめに帰ってきたのは昔の仲間の所ではなくてカスミ達の所だった。

「俺は変わったんや」という言葉に嘘はなかったと思う。それを崩したのは、単純な悪意でもって近寄ったショウだった。

はじめの方のポチ男を乗せた車内のシーンの時から、運転しているショウに感じるこの薄気味悪い違和感はなんだろうと思っていたけど、会話が成立してないからだと気づいた。誰も答えていないのに、話し続けるショウが怖かった。

なぜ、ショウがカスミの家に一人で来て、居座ることができたのかについて、DVDのメイキングで山下敦弘監督とショウ役の松澤匠さんが話していたけれど、結局はっきりとした筋書きは分からないままで話は終わってしまっていた。でも車内のシーンでの感じを見ていると、理屈どうこうよりも、この人なら興味本位でやりかねないという、むしろ説得力さえ感じた。

 

ポチ男に対してだけでなく、カスミにまで悪意を向けたショウに対し、始めは懸命に堪えていたポチ男の表情が、ガッと変わった瞬間。記憶の戻った彼は茂雄であって、ここまでのポチ男のままではないんだと理解した。“記憶”が戻った頭を透視することはできないなかで、その変化を表現するのは難しいことだろうと思うからこそ、このシーンの意味の深さを感じる。

自分に帰る場所がないと思ってしまい、元の生活に戻ろうとするポチ男。記憶が蘇ってからのポチ男が鏡を見て、顔を下げてもう一度顔を上げた瞬間から人相が違う。

顔を下げてから上げるとか、目を閉じて開けるとか、そういうシーンは演じる本人の意識で成り立つのか演出によって変わるのか、いつもそういったシーンがある度に考えていたけれど、雰囲気さえも切り替わる瞬間をポチ男には感じて、凄いと思った。

 

ポチ男の前にカスミが現れる公園のシーン。

このシーンも、大きなスクリーンで観ると一層強く記憶に残った。

無言で拳から一つずつ指を広げて、4本上げてからゆっくりと広げた5本目の指。

「私の世界は4本で足りんねん」と話していたカスミの世界が5本になった。

開いたその手のひらに胸が締め付けられた。悔しそうに力を込めて握りしめる手。何も言えないカスミが、力任せに振ったその拳を握りしめて止めるポチ男の手。

 

気がつくと、あっという間にユニバースでのラストシーンになっていた。

ポチ男が歌い出してから、見ている自分の心臓が明らかに早くドッドッっと脈打ちだしたのは驚いた。エンドロールが終わるまでずっと続いた。

映画館のスクリーンに流れるエンドロールと「記憶」

ポチ男がいた味園の風景が、時の流れを感じさせることなくそのままの温度で蘇った瞬間を目に焼き付けることができたことに、嬉しさが募った。孤独と隣り合わせで生きながら、そばにいる人との繋がりを握りしめて生きている、味園に暮らす人達がやっぱり好きだ。この人達に会いたくなる度、私はまた「味園ユニバース」を観るのだと思う。