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歌詞に恋した「Rain」

 

この歌を聴いたのは昨年のFNS歌謡祭でのこと。

秦基博さんと、藤原さくらさん、miwaさんの3人がギターを弾いて歌っている「Rain」を聴いて、胸を打たれたのだった。

もともとの歌が大江千里さんの歌だということも、「言の葉の庭」というアニメーション映画の主題歌として秦基博さんがカバーしたこともその時は知らずに、ただテレビに釘付けで、歌のメロディーと歌詞を追うように見ていた。

サビのメロディーを聴いていないのに、イントロと歌い出しの歌詞を聴いて、この歌好きだなと思った。

初めて聴いた歌なのに、「Rain」を聴いた瞬間に思い浮かんだ人がいた。その人がもし初めて聴いたとしても、この歌はきっと好きになるだろうなという気がした。

 

言葉にできず凍えたままで

人前では優しく生きていた

 

しわよせでこんなふうに雑に

雨の夜にきみを抱きしめてた

 

「Rain」を聴いた時、自分の中で共感と想像が半分半分ある不思議な気持ちになって、歌詞に恋をした。

“しわよせでこんなふうに雑に”と表現された言葉が真に迫って聴こえて、主人公の心情がありのまま伝わるような感覚がした。悲しそうで、自分に苛立っているような。一気に情景が浮かび、眉間にしわをよせてつらそうな顔で彼女を抱きしめる様子が映像として見えるようだった。

“言葉にできず凍えたままで”という詞から、“人前では優しく生きていた”という言葉が続くことで、主人公は常に寂しさを見せつけるように生きているのではなく、日常では何事もないかのように上手く振る舞うことの出来る器用さのあることや、それでも繕いきれない何かがあることを読み取れる。

孤独という言葉に押し込んでしまえばそれだけで終わってしまうかもしれない心情も、この順序で言い表されているからこそ、そう単純ではない混ざり合う心情として繊細に伝わってくるのだと思う。この歌詞の順序が逆になっていたら、印象も随分と違ってしまう。

穏やかな人が穏やかなままで居られずほころびが見える瞬間が、人らしくて好きだ。

 

変わらずいる心のすみだけで傷つくような

きみならもういらない

情緒的な表現で素敵だと思った。心のすみに置いているのは彼自身で、そんな心境のまま、もういらないと言ってしまう自暴自棄な思いと、忘れることで心のすみにいる彼女の存在ごと自由にしてあげたいというぎこちない優しさが表れていると感じた。

 

それでも、

今日だけが明日に続いてる

こんなふうに きみとは終われない

と歌詞は続くことで彼の心境の移り変わりが分かり、その展開のドラマティックさに感動した。

“今日だけが明日に続いてる”というのは、今日の想いのまま、明日を迎えてしまうということだろうか。今日を越えなければ明日には行けないから、瞬間的に違う自分になどなれないということだろうか。

どういった意味だとしてもきっと、諦めているようで、投げやりでいるようで、そういうことではない。サビの歌詞では子供のように“行かないで”と繰り返し、そしてずっと頭の中でぐるぐると考えていたところからついに“こんなふうに きみとは終われない”と結論を見いだして、ハッと気がついた彼の姿がまた目に浮かぶようだった。5分の歌のなかにドラマが見えた。

サビの“きみ”と呼ぶ前に“Lady”と呼ぶところに、彼女への愛情があふれているように聴こえる。

 

秦基博さんと「Rain」の相性はとても素晴らしくて、音楽プレーヤーに取り込んでから何度聴いたかわからない。秦基博さんが柔らかく、でもどこか渇きのある声で歌うことで、歌の主人公である彼の印象に不器用さが増し加わっているところが素敵だと思った。藤原さくらさんもボーイッシュな歌声に繊細な揺らぎが合っていて、いつかカバーしてくれたら嬉しいなと思っている。

 

「Rain」という歌は、抽象的な心理描写が丁寧に言葉として表現されていて、そこに惹かれるのだと思う。

美しいイントロのリフに一定のリズムで刻まれるドラムの音が心地良い。繰り返すピアノの音が一粒一粒落ちていく雨粒みたいに聴こえて、そこへ続いていく曲のメロディラインからも深々と雨が降る様子が思い浮かび、感情的ではないけれど淡々と淋しさのある雰囲気が漂っている。

雨の降る日にはつい聴きたくなる。聴いているといつも、都会の駅のホームで電車を待つ景色が思い浮かぶ。