カルテットに届けられた手紙

 

ドラマ「カルテット」全10話を見終えた。

気がつけばずっと、脚本の坂元裕二さんのドラマに惹かれ続けて、「それでも、生きていく」も「問題のあるレストラン」も「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」も見ていた。

 

「カルテット」は、他者と他者との関係がどこまで強くなり得るかというテーマを持っていると思った。そして好きなことを仕事にするのか、趣味にしていくのか。

サスペンスだと聞いた時は、怖いのも不気味なのも苦手としている自分には大丈夫だろうかと見ることを迷いもしたけど、結果やっぱり見てよかったと、1話から高画質で録画していて良かったと思った。 

10話を通して見て完結するというより、1話ごとに軸があるため、日によって今日は何話が見たいという見方ができる。

何話が好きだったかという感想は個々に分かれる気がした。全体に流れる空気は一貫しているけれど、真紀さんとしての妻の想い、夫さんを探すお母さんの想い、すずめちゃんの“子”としての思い、別府さんの“家族”としての思い、家森さんの“親”としての思い。

私は3話と10話が特に好きだった。リピート率も3話が断トツで多い。

 

最終話のなかで、手紙がカルテットの4人に届いた。

「カルテットドーナツホール様」と宛てた手紙。

ここへきて、脚本を書かれている坂元裕二さんはやっぱり手紙を大切にしている人だと感じることができた。それが嬉しかった。「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」でもお母さんから音ちゃんへ宛てた手紙が物語を動かし、最終話での音ちゃんからお母さんへ宛てた手紙は忘れ得ない言葉の数々だった。

表現者とは、という問いに向き合い続ける人全てに宛てた、痛いほど突き刺さる疑問、苛立ち、惨めさが2枚ほどの手紙ひとつに込められていた。短い文であれほどまでに核心をついた問い掛けができるということに、文章を書くという意味でも驚かされた。

 

その手紙を聞いているカルテットのメンバーの表情は、ドラマのなかでそれほど映されない。感情的になるようなシーンがあってもいいはずなのに、それがない。家森さんが手紙を受け取り、初めに読み、カウンターに置いておく。手紙に気づいたすずめちゃんがそれを声に出して読む。

「あ、ちょっと読んだけど いいよ捨てて」と家森さんはすずめちゃんに言ったけれど、本当に手紙を読んで不快に感じ、みんなには見せられないと思うなら、家森さんが黙って手紙を捨てていたと思う。そこに、置いておいた。ドラマの終盤に出てきた「パセリ」のように、「パセリ、ありますね」と認識し合うやりとりのように、知っておくことは大切なことなのだと思った。

「読まなくていいって」と言う家森さんにすずめちゃんは「でもせっかくのお手紙だから」と自然に返す。この一言がとても好きだった。好意的な内容でないことは察しがついただろうし、読まない選択肢だってあったけど、すずめちゃんもまた手紙を大切に思っているのだということが伝わってくるこのシーンがいい。

この手紙は、ドラマを見ている人それぞれの置かれている状況によって、響く箇所も持つ感情も異なることが考えられているとしたら、あの手紙が読まれている時間どんな表情をしているかは自分自身に答えがあるのかもしれないと思った。

 

手紙を受け取ったカルテットの思いも、手紙を書いた“誰か”の思いも、どちらの立場も境なんてものは無くて、何かをつくり届けたいと行動する自らの中で湧き起こる感情だと分かるからこそ、見ていてなんとも言い難い気持ちになった。

手紙を送られる側だけの気持ちで居られるなら、それは怒りになるのかもしれない。なんて酷いことを、どうしてこんなことが言えるのか。そんなふうにして怒れるかもしれない。

けれどこの手紙はあまりにも切ない。

高みの見物をしているつもりで乱暴に連ねられた言葉は、次第に「なぜ」という問いに変わり、最後には「教えてください」と懇願になった。「煙の分際で」と言った、カルテットの4人に、自らでは解けなかった問いを託している。

手紙に綴った槍のような言葉は、書いている“誰か”自身に向けられた言葉でもあり、刺さって傷ついているはずだとわかるからこの手紙は切ない。

人に対して投げつけたつもりの罵倒の言葉は、自らをも傷つけているということを表しているようにも思った。

 

手紙を書いた“誰か”とカルテットが違うのは、今、続けていることで。

奏者をやめたことだってそれはその人の正解なのだろうけど、自分がやめたことを正しくするために、続けている人に向かって「どうしてやめないんですか?」と言わずにいられない時点で、悔しさ滲んでいるのが切ない。

この手紙は鋭利だったし、傷つけようという意図も含まれたものだったけど「将来があると思いますか?」の問いはきっと何かを続けたいと思っている人の心に常にあるものと思う。

 

届く人には届くんじゃないですか?

その中で、誰かに届けばいいんじゃないですか

1人でも、2人でも。

完璧じゃないし完全じゃない、ホールでの演奏だって興味の無い人はどんどんと出て行くけど、彼らが続けることを誰も止めることは出来なかったわけで、何をもって成功と呼ぶのかも趣味だと決めるのかも明確なところではない。そんなグレーさが素敵なドラマだった。