「カルテット」第3話 −印象に残った言葉 すずめちゃんについて−

 

「じゃあ…そうだね…ずっと一生、一緒にいてねって、約束しました。」

すずめちゃんが第3話で車の中、チェロとの出会いを真紀さんに話す。「じゃあ…そうだね…」と言うすずめちゃんの声が、耳に馴染んでリフレインするようで、しばらく忘れられなかった。感傷的でもなく、無感情でもない。でもチェロとすずめちゃん、二人きりの約束だったんだなと、再現シーンが合間にあるわけではないのに、その頃の空気が真紀さんとすずめちゃんの乗る車内に蘇っている気がした。あの言葉の間が、ぽつりぽつりと日々を生きてきた彼女のこれまでを物語っていた。

 

ドラマ「カルテット」今夜放送になるのは第7話。今夜見てからでは、なんだか見え方が変わってしまいそうな予感がしたので、その前に書いておきたかったすずめちゃんについてのこと。

 

3話の始まりからしてすずめちゃんはマイペースで、布団からやっと起きてきたと思ったらお昼ご飯を食べてまた寝てしまって、別府さんの残した書き置きの“雪が降るそうなので午前中のうちに洗濯物をしまっておいてください”というお願いも寝過ごし、気づくと洗濯物には雪が積もっていて。

二度寝してしまったなと起きた時と外の洗濯物を見た時、「はっは」と声を出す、すずめちゃんのあの感じが好きだった。面白くて笑っているのかと言うと、そういうことでもなくて。自分自身への嘲笑に近い雰囲気。はたから見たら、グータラな人に見えるかもしれない。でも彼女なりにこつこつ生きている。洗濯物が濡れたなら、薪ストーブの前でもう一度干せばいい。家森さんのパンツは暖炉の中に放り込んでしまったけど、ま、燃料にしちゃえ。

布団が好きで寝てばかりいて、テトラパックのコーヒー牛乳が好きで。よくわらう。形容しがたい愛らしさのある役柄で、もうすずめちゃんが好きなのか満島ひかりさんが好きなのか区別がつかない。

 

しかし、一面的ではない彼女のさらなる面を掘り下げたのが、第3話だった。

お父さんが危篤だと伝えに来た彼に、「家族でしょう?」と言われた時の彼女がまとう空気の変わりよう。「はい」という答えの言葉までは平常心を見せていたけれど、バッと頭を下げて、上げた時の目。怒りを彼にぶつけるのは理不尽と分かっていて懸命に堪えている表情。

 

別府さんからもらったドーナツを、バス停のベンチで取り出して食べているところも、それだけのことなのにそれだけのことではなく。そのドーナツの袋を開ける時も、器用にではなく、食べやすいようには開けられなくて、ほんとに鳥がついばむようにちまちま食べている様子が、あぁすずめちゃんだなぁとじんわりきた。食べ終わって、やって来たバスには乗らずそのまま。食べ終わった袋を丁寧に畳んでポッケにしまう。雑に押し込むのではなくて、しまっておく感じがいい。

すずめちゃんはよく、物をポッケにしまう。よく着ているサロペットには胸のところに縦にチャックがあって、ポッケが付いている。

 

 

「カルテット」をここまで見てきて、最も印象に残ったのはカツ丼のシーンだった。

「怒られるかな…駄目かな…家族だから行かなきゃ駄目かな… 行かなきゃ」 

お父さんが亡くなったことを真紀さんから聞いて、「病院行こう?」と投げかけられた時には「食べてからで」と感情的に返したすずめちゃんが、自分に言い聞かせるように呟くセリフ。

普通に考えたら、行かなくちゃいけないことは頭では分かっている。幾つもの葛藤が一言一言に悲鳴のように表れていた。

「行きますね」「行かなきゃ」と自分で口にしながらも完全に追い込まれ、自分の気持ちにナイフを向けているすずめちゃんの異変に気がついて、真紀さんは瞳の色を変えた。

「いいよ」

と、病院に行こうと言っていた真紀さんが、考えを“常識”から“すずめちゃん”へと変えた。無責任に発する「いいよ」ではない。逃げるべき時があることを知っている人の声で、真剣な眼差しで、すずめちゃんを引っ張り戻した。

今考えれば、だからこそ真紀さんは夫さんのことも責めなかったのではと感じた。どうして!と詰め寄ることは容易くできたはずだけど、それをしなかった。

ご飯を食べ終わってから、無理をして病院へ行くことは出来たと思う。しかしきっと、それをするとどこかで歪みが生じて立ち直るのに時間がかかったかもしれない。親戚のこと、病院のこと、いろいろ考えて、無理なまま行くことも出来たけど、“今”でなければいけないという概念を捨てる方法を真紀さんはすずめちゃんに教えた。結果、お父さんの遺骨をすずめちゃんは受け取ったし、お母さんと同じように鍵を大切にしまった。

すずめちゃんがこのシーンで着ている赤いニットに赤のタートルネックという色には、精一杯の赤信号を発している彼女の心境も表しているのかなと思う。それに対比するように、真紀さんの着ているキルティングのコートの緑には安らぎがあって、俯瞰で見ているとお店の壁も緑なことに気がついた。赤い服を着たすずめちゃんの後ろに見えるのも緑の壁で、すずめちゃんが真紀さんの包容力に包まれているようだった。壁紙が緑ではないお蕎麦屋さんもあるわけで意図的に探して選んだ撮影地だとしたら、なんて細やかな演出なんだろうと思った。

 

 

「泣きながらご飯を食べたことがある人は 生きていけます」

 

真紀さんがそう言った。

“大丈夫”でも“幸せになれます”でもなく、「生きていけます」

この言葉の選択に真紀さんのこれまでがあると思う。

 

第1話の始まり、街中で、チェロしか弾けない。お金が無い。家族もという状況から声をかけられたことで、4人と出会うことになり手に入れた居場所、カルテット。

ぎこちなくても、“嘘”でも。同じご飯を食べて、おかえりって出迎えてくれる人がいて、ラブラブストロベリーとロックンロールナッツどっちがいいですかって選ばせてくれる人がいて。すずめちゃんいつも飲んでるからってテトラパックのコーヒー牛乳を買って来てくれる人がいる。

世間に許されるとかそんなところから隔離された、温かくも冷たい空間のカルテット。軽井沢の真っ白な景色はどこか浮世離れしていて、雪解けと共に彼らもいなくなってしまうのではとふいに心細くなる。