現実を知ってそれでも見る希望。 -高橋優さんの歌から思ったこと-

 

こんなふうにじわじわと、色水に布が染まっていくように好きになっていったのは初めてで。今回出たアルバム「来し方行く末」を聴く前に、高橋優さんについて知り始める前に、いまの自分の感覚で記事をひとつ書いておきたかった。

 

高橋優さんがデビューしたとき、テレビで見ていて、朝のニュースで生歌披露をしていたことも記憶に新しい。それからも音楽番組に出ていると注目して見るくらいの関心はあって。

そこから、CDを取り込んで常に聴くようになったのは、ネットで「今君に会いにいく」という歌の歌詞を目にして曲を聴き、これはと思って、その歌聴きたさにこれまでのアルバムを借りあさったことが始まり。

知らない曲名のほうが多かったから、再生しながら新鮮な気持ちで、この歌いいなとか、落ち着きたいときはこの歌を聴きたいなとか、そうしていつの間にか高橋優さんの歌が生活に馴染んだ。

 

それでもまだ深くは踏み込まずにいて、知らないことも多かった。デビューしたての頃、メディアに取り上げられるたび風刺的な歌詞や尖ったイメージといった面ばかりが紹介される空気に少なからず抵抗も感じていて、ただ、それが全てだとは思ってもいなかった。

あの頃の取り上げられ方が少し苦手だった。そういう一面だけではない気がするのにな…とやきもきしていた。勝手な、ほんとに個人的な受け取り方だけど、高橋優さん自身もその望まれるイメージに戸惑うことがあったのではと思う。

だからいま、穏やかな表情で優しい歌も歌うことを、自然に取り上げてもらえる高橋優さんの環境を見てほっとしている自分がいて、どの立場なのか自分でもわからないけど、今だから、私は引き寄せられているんだろうなと思う。自分にとってのタイミングは、今だった。

 

日々聴いていた「誰もいない台所」「少年であれ」「靴紐」には、本当に助けられていた。

それまでも生活に音楽を聴くことは欠かせなかったし、朝起きてまずイヤホンを耳につけることは習慣になっていて、歌の力で日々を乗り越えていたけど、

高橋優さんの歌に出会ってから、歌に助けられるという意味を知った。CDに収録されている音、なのに、伝わってくる熱量。

 

そんな頃に、長い間聴いていたオールナイトニッポン魂のラジオ」が終わり、続く番組が関ジャニ∞大倉忠義さんと高橋優さんの2人による「大倉くんと高橋くん」になると決まった。

関ジャニ∞を好きになりたてだった自分は、不思議な組み合わせだなぁと思いながらも、変わらず土曜の夜はラジオを聴き続けることにした。

ここでの高橋優さんを知ったことが、自分の持っていた先入観を大きく変えた。

ピリピリとして近寄り難いひとなのでは…と思っていたイメージとは違うことは、高橋優さんの話す様子からすぐに分かった。どちらかと言えば自信なさげで、即座に頭の中で反省会を始めてしまうような気弱な面もあるということ。放送を重ねるごとに大倉さんとの関係性がどんどん深くなっていって、高橋優さんの中でも様々な変化が起きていること。

そんなひとつひとつを、毎週土曜日に生放送で声を届けてくれることで知ることができた。

 

 

高橋優さんの書く詞はどうしてこんなに行き届いているのだろうといつも思う。

理想をただ広げて見せているのではない。現実を知った上で、卑屈になる気持ちもさえも分かった上で、考えてしまいがちなその思考全てをひっくるめてもなお見える希望があると、懸命に叫んでいる。

一貫して伝わってくるのは、諦めてほしくないという強い意志。どの年齢であっても、どんな立場でも、その歌が響く全ての人にという切迫にも近い思い。

 

歌を聴いていて、誰にも共感などしてもらえないだろうと頭の中だけで考えていたことが、自分ひとりの考え過ぎではないと気付けたことが、本当に嬉しかった。自分がこれまで、やっかいなだけで無くてもいいと思っていた感受性も、無駄ではなかったと思えた。そんなやっかいさを抱えながらでも、進んでいけるから歩いて行こうと言ってもらえているような気持ちになった。

今こうして高橋優さんの歌の意味を理解できるのは、自分の歩んだこれまでがあったからなのだとしたら、単純に、頑張ってきてよかったと思えた。

普段は客観的な見方ばかりしている自分が、どうしても主観的になってしまうのが高橋優さんの歌だった。だからこうして文章を書いていても、どうしても自分の思いに引っ張られてしまう。

 

 

「パイオニア」の歌詞に、こんな一文がある

“光探すより 自分が照らせる暗闇を見つけていたい”

 

この歌詞を聴いた時、高橋優さんのポリシーをひとつ、掴めた気がした。

高橋優さんは愛に深い人だと感じずにはいられない。

先日、ラジオ「大倉くんと高橋くん」の放送中に大倉さんからのリクエストということで「BEAUTIFUL」を生歌、アコースティックギターひとつで披露する場面があった。

その時の緊張感はこちらにまで伝わるほどで、本当に、本当に大切だから、あのスタジオで大倉さんの前で歌うことに思いをかけていることがはっきりわかった。

表情こそ見ることができないけれど、淡々と、でも溢れそうな気持ちを抑えるように1音1音に思いをのせていて、声が泣いている。そう思った。実際に泣いたという話ではなくて、それさえも届けてしまうくらいに、思いが強く声に乗っていたと感じた。

 

11月18日に放送されたA-Studioを見て、「BEAUTIFUL」を歌う高橋優さんを見て、私はやっぱり高橋優さんの歌をもっと聴いていたいと自覚した。

直接ライブで、高橋優さんの歌声を聴いてみたいと思った。テレビを通してでさえこんなに真っ直ぐ届けられてしまう高橋優さんが、同じ空間を共有するライブという場所で、一体どんな時間をつくるのか。

自分がそこに立った時、どんなことを思うのか知りたくなって、いつかでいいやなんて言ってこの機会を逃したら、私は絶対に後悔すると思った。今回のアルバムを引っ提げたライブ、チケットをもし取ることが出来たなら、全身でその歌声を浴びたい。