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関ジャニ∞が歌った、高橋優さん作詞作曲の「象」

関ジャニ∞

 

関ジャニ∞のライブDVDのなかで、最初に自分で買ったのが「関ジャニズム」

あの頃、映像として見てもアルバムとして聴いても、自分の好みとは遠いところにあるなと感じていたのが、「象」だった。

しかし今は、自分にとって大事な曲になっている。もう無理かもしれない、あまりにしんどいと感じる状況にぶち当たった時、そんなギリギリのところからでも、ありったけの力で引き戻してくれるような。背中を押すどころか軽く背中を蹴り飛ばしているのではと感じるくらい、聴けば闘志が湧いてくる。

 

なぜこんなに思い入れのある曲になったのかは、自分自身の変化にあると思う。

関ジャニズム」で初めて「象」を聴いた頃の自分は、あまりにエッジの効いたその雰囲気に圧倒されて、そこまで熱く前のめりになる曲の心境もメンバーの思いも分からなかった。

それから月日が経って、どれだけしんどいことがあっても結局は浮上するしかないことを学んだ自分は、その時の心境に合う曲をどこかで探していたのだと思う。

嬉しい時に聴く曲、落ち着きたい時に聴く曲はあっても、本当にしんどい時に聴ける曲に、まだ出会っていなかった。

 

そんな時に、再び見た「関ジャニズム」

こんなに泣くとは思わなかった。

全力のエールを、関ジャニ∞が恥ずかしさなど脱ぎ捨てて歌っている。届いてほしいという声が聞こえてきそうなほど、熱のある声、表情で歌っている。

演出以上のものがあると思った。曲に入り込んで歌うなんてもんじゃないほどの熱を感じた。誰か届けたい人がいるのだろうかと思うくらいに必死で歌う彼らの姿は、どんな言葉をかけられるよりも勇気になった。

 

“必死なのが好きじゃない”、これが私の考え方のくせだった。でもそんな余裕のないほど追い込まれて初めて、がむしゃらに敵うものはないと知った。

歌詞に出てくる“象”は他人のことでもなんでもなく、“自分”のことだと自覚した時から、この曲が大好きになった。

 

 

心まで躾られた悲しみの記憶

本当は君に出来ないことなんてないのに

出来ないことなんてない、で終わらずに、“出来ないことなんてないのに”と言われることで、意味合いは大きく変わると思う。

言い切られてしまうと、どうしてそんなことが分かる?と捻くれて受けとめることもあるかもしれないけど、“のに”と付けられると、不思議と反骨精神がくすぐられる。もったいないよと言われているような気になるから。

それならば、その期待に応えてやろうじゃないかと、力が湧いてくる。

 

歌詞の一語一句が刺さる言葉ばかりだから、一番も二番も素晴らしい歌詞だけど、

そう今でも段々僕ら強くなってく 案外どんな夢も叶えられるよ

その手で掴み取れ!幸せがある!

ここで気付くのは、このメッセージを伝えようとしている人も、苦しさから離れて落ち着いた場所から投げかけている言葉なのではなくて、共に同じ位置に居て、一緒に乗り越えている人だということだった。

“今でも”  “僕ら強くなってく”

その言葉のおかげで、遠くから見守る人じゃないんだと、同じ人間だと感じ取れた。

そして、“今でも段々僕ら強くなってく”という表現から、まだ成長の過程で、その過程も一気に変わったりする様なものではなく、段々と、少しずつ強くなっていくものだと諭してくれているような気がした。

 “その手で掴み取れ!幸せがある!”

ここまで力強く真っ直ぐに、気迫の込められた後押しの言葉を私は知らない。

 

これからもどんどん君が素晴らしくなる 案外どんな場所にだって行けるよ

その足で踏み出せ!世界は変わる!

この歌詞が私は大好きだ。

ほしかった言葉がここに全て詰まっていたから。きっといいこともあるよ、という励ましとは違う。今以上に、素晴らしくなっていけるんだという可能性を感じられることがどれだけ希望になるか。

そして、“案外どんな場所にだって行けるよ”という言葉が、本当に嬉しくて、たまらなかった。

今居る場所から動けないのでは、ずっとこのままなのではないかと、どんどん世界が狭くなっていくような気持ちになる時、その不安を蹴散らしてくれる。

 

“その足で踏み出せ!世界は変わる!”

この曲が好きな理由に、応援の言葉だけで終わらないこと、状況の変化を求めるなら、周りではなく自分の一歩に架かっていると思い出させてくれるからという理由がある。

自分の足で、物理的にでもなんでも、踏み出すこと。挑戦することに不安を感じると、この歌詞を何度も聴いて、それを思い出している。

 

 

ライブDVD「関ジャニズム」で、この曲を怒涛の気迫で中盤まで歌ったあと、二番で渋谷すばるさんが

産まれてくれてありがとう 独りきりじゃないよ

と歌う。

優しく、掠れるような声で。顔をくしゃくしゃにしながら。

このひとの声はどうしてこんなに真っ直ぐそのまま心に響くのだろうと泣きたくなるほど、ありがちに聞こえそうな言葉も、全く違って聞こえるのだ。

飾りをつけない真っ向勝負で心の芯まで届けてみせる、と伝わってくる作者の高橋優さんの思いと、それを受け取って自分のものにして伝えた渋谷すばるさん、二人の意思が重なって見えた瞬間だった。

 

そしてサビで、

 10年後またここで会おうよ そんときは今よりずっと笑っていよう

きっと きっと

10年後またここでという約束をする心強さと、今はつらい最中でも、10年後を想像してみれば、その時には振り返れるほど遠くまで来ているはずという希望を持つことができる。

サビで視点を大きく広げてくれて、10年経てば今とは違う。と思わせてくれる。

 

 

 

高橋優さんが関ジャニ∞へ楽曲を提供し、関ジャニ∞のメンバーがレコーディングをする際、スタジオにメッセージが置かれていて、それを読んでいる風景を映像で見た。

高橋優さんが関ジャニ∞へ託したこの曲への思いをどんなふうに書いていたのは、聴いている立場の自分には知ることは出来ないけれど、
私は、「象」を高橋優さん本人が歌ってリリースするのではなく、関ジャニ∞に歌ってもらうための曲として彼らに手渡したことに、その思いの全てが、表れていると思った。

つらい出来事や苦しみは人それぞれ、立たされている立場によって本当に様々で、比べるようなものでもなく。ただ、声が届ききらないかもしれないほど深く暗いなかで闘っている誰かに、そんなどん底の中でも見える光があるぞと伝えるため、その役目をあの時の関ジャニ∞に託したかったのではと、思ったのだ。
年齢層は幅広い関ジャニ∞の人気だけれど、やはり若者や学生のファンの数はとても多い。それだけ注目されやすい彼らが「象」を歌うことに、きっと意味があった。


次の高橋優さん5枚目のアルバム、2016年11月16日発売の 『来し方行く末(きしかたゆくすえ)』に、高橋優さんが歌う「象」が収録される。私はそれがとても嬉しい。
関ジャニ∞が歌った「象」はこうだったけど、高橋優さんはどう歌うだろう。どんな声色で、どこの部分を強調して歌うだろう。

この曲を知ることが出来たこと、この曲の意味を理解出来るようになったこと、それが嬉しい。
どちらの歌う「象」も、大事な曲になることは間違いない。