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「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」を見て、私が思ったこと。

好きなこと Nissy

 

胸にささったドラマがある。

2015年に放送された、「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」

このドラマが、時間が経っても心に残ったままで、何度も何度も見ている。ドラマ全体の雰囲気が好きで、見ているとなんだかほっとする。

 

放送が始まる前、その前にやっていたドラマの最後に予告を見た時は、イメージがあまりよくなくて、若者の青春ドラマか…とすこし敬遠していたのに、

1話、2話と見た時に、これは青春ドラマと違うと感じて、それからは食い入るように画面を見つめて音ちゃんの姿を追うようになった。

 

 

若者がいて、出会って、仲間になって、という単純なものではないのが魅力だと思う。

大きくまとめられた“若者”というキャラクターではなく、一人一人が考えていて、抱えていて、それでもなお日々を生きて行こうとする姿が、痛いほど正直に描かれている。

家庭のこと、お金を稼ぐということ、誰かのためにと考えること。

 

脚本を書かれている坂元裕二さん、「問題のあるレストラン」や「それでも生きていく」を見てから、坂元さんの綴る言葉が、台詞の端々に感じる穏やかな優しさが本当に好きで、日本語の美しさと敬語にある魅力を存分に引き出す文章を書かれる方だといつも感動している。

そんな言葉の魅力が詰まったドラマだと思う。

 

有村架純さんの演じる音ちゃん、時折でてくる関西弁が愛らしくて愛らしくて。みんなに助けてもらうヒロインじゃなく、芯を持って強く生きる姿は私の憧れになった。

練を演じている時の高良健吾さんが大好きで、見方によっては偽善的にも見られるかもしれない練という役柄を、嫌味なく演じられている姿が素敵だった。弱々しく首を振る仕草が好きだった。

 

幼い頃から自分を押し殺し、誰かのために生きてきた音をその世界から引っ張り出したのは、近くにいた誰かではなくて、遠くからトラックを運転して手紙1つを届けに来た練だった。

 現実的だなと思ったのは、練はその場所から逃げ出すための直接的な助けを差し伸べたけど、それからのことは音ちゃん次第だったということ。

知人を当たっているうちに練と逸れてしまったのはすれ違いだったかもしれないけれど、どちらにしても、東京へ来てから、音ちゃんは自分で戦っていかなくてはいけなかった。

仕事を見つけて、一人で暮らして。

そんなふうにして、現実と向かい合いながら生きていく人達の話だからこそ、引き込まれていって、今を生きていく人達に当てはまるドラマなのだと思った。

 

 

このドラマはリアリティーがありながらもファンタジーだと言われていたのを見たことがあるけれど、ファンタジーだと言い切ってしまうのは寂しいと私は思う。

確かに、こんなにいい人はそういないかもしれない、こんなに素直にはいられないだろうと思うのが普通なのかもしれない。けれど、周りがそうなることを望むのは無理でも自分の目指す先にすることは出来るのではと希望を持てた気がした。

 

真面目に生きるなんて馬鹿を見るだけなのかもしれないという考えを、静かに否定してくれたような、そんな気持ちになった。

自分の持つ感性も嘘じゃない。少数派だったとしても、同じように感じている人もどこかにはいるかもしれない。そんな意味で、このドラマは私にとって道に迷いかけたときの道標になってくれる大切なものになった。

 

 

全10話の中で、特に3話は心に残る印象的な回だった。

余裕のある大人の女性のように見えていた木穂子さんが、その姿を保つために一生懸命だったことをドラマのはじめからどんどん目の当たりにしていく驚きと、悲しい切なさがいっぱい詰まった回だった。

音と練に共感していたなかで、木穂子さんの立場は何だろう…と少し敵視さえしていたところに、3話で本当の木穂子さんを知る。それから一気にドラマに引き込まれた気がしている。

 

忘れられなかった台詞がある。

“わたしは新しいペンを買ったその日からそれが書けなくなる日のことを想像してしまう人間です。”

という言葉。

感じたことのある感覚を、こんなふうにして言葉にできたのかと目から鱗だった。例えるとかいう次元ではなく、まさにその通りで、表現するにはこの言葉しかなかったのではと思うくらい、この台詞に感動した。

ここでの木穂子さんの言葉はその全てが丁寧で、穏やかなのに淡々と絶望していた心情が表れていて、この台詞を読むのはどれだけ難しかっただろうと思った。

高畑充希さんだったから、あの声で、あのトーンで語るから、心に響いた。感情的に読むのとも淡々とし過ぎるのとも違う、あの声の温度は本当に素敵だった。

 

「でも、もうそれもやめにします。練、あなたと付き合いたい。あなたを恋人だと思いたい。買ったばかりのペンで、思う存分あなたを好きだと綴りたい」

“買ったばかりのペンで、思う存分あなたを好きだと綴りたい”という言葉にも、こんなに美しい日本語があるだろうかと感動せずにはいられなかった。

使いこなしている気になっている日本語も、口で話す日本語としての美しさ、書かれている文字としての日本語の魅力、おもしろさがまだ沢山隠されているのだと知った。

 

そして朝陽さんを演じた西島隆弘さんの優しい演技がとても好きだった。

このドラマは、それぞれが一人一人として生きていて、脇役や咬ませ犬のような立ち位置はなかったと私は思う。音とは結ばれなかった朝陽さんにも、音と出会ったことや様々な出来事に向き合ったことで、父との関係性も変化した。

 

胸を打たれたのは、10話でのシーン。音のお母さんからの手紙を読んだ朝陽さんが、自分がどうするべきなのかを悟るその心情の変わっていく姿を、細かな表情の演技で表していて、見ている視聴者側が気付けるようになっていた。だから、朝陽の決断に急な印象は抱かなかったし、納得もできた。

 

音の部屋で、音のことを真っ直ぐ見つめて

「僕はもう、君のこと好きじゃない」

と言うシーンは、本当に悲しくて、音を応援して見ていたら希望のあるシーンであるはずなのに、朝陽さんの気持ちが痛いほど伝わってきてしまって。

あからさまな強がりという口調でもなく、懸命に自分の気持ちを抑えて、必死につくる微笑みが見ていてつらかった。喉を絞る声の出し方、涙をグッと飲み込む仕草が、実際に人が涙を堪える時の状態と同じで、その繊細な演技に胸を打たれた。

音ちゃんは涙をこらえきれずに泣くけれど、朝陽さんはいよいよこのシーンの最後まで泣かなかった。目にいっぱいの涙を溜めて、それでも涙はこぼさなかった。実際に泣いているよりも、悲しさが伝わる演技だったと思う。

表情、声色、躊躇する手の動き、その全てに朝陽としての音への思いが溢れ出ていて切ない。

涙を指で拭おうとして躊躇し、ハンカチをそっと握らせるのも、これから音の涙を拭うのは自分ではないことを分かっていて、ハンカチを手渡した行動からは、しあわせでいてという願いを伝えていたような気がした。

 

「いつかまた、ご飯食べに行こう、4人で」とさらっと言ったその4人という言葉は、どれだけの決意で言ったのだろう。音ちゃんの隣には練がいて、自分の隣にはほかの誰ががいる。そんな未来を想像することなんてしたくないはずなのに、別れたから、もうさよならではなく。人として尊敬し合って、恋人以上に大切な関係性を築けたのだということが伝わってくるシーンだった。

人間関係って単純じゃない。だめになったからって完全に切れるようなものでもない、静かに見守っていたり、手を差し伸べたり色々な距離感のなかで生きていくことなのだと感じた。

自分自身のしあわせよりも音のことを最終的には願うことができた朝陽さんの変化に、音には練だと思っているけど、朝陽さんもしあわせであってほしいと強く思った。

 

音と練の距離感、関係性が本当によくて、同じ雰囲気を纏う人同士というのはこういうことなのかと感じた。

木穂子さんがうずくまって駄々をこねてでも言った、「音ちゃんには練やろ…」の言葉が、かつてはライバルだったはずの木穂子さんにもそれは認めざるを得なかったほど、誰がどう見ても波長の合った二人だったことを強調させていて、共感してしまった。

静恵さんも見抜いていたように、練の周りには寂しい人が集まるけれど、音はそれとはすこし違う。依存ではなく、それぞれが自立している距離で思い合っているから、木穂子さんでも小夏でもなく、練の隣には音ちゃんだったのだと思う。

 

このドラマでは、“感性”というのもテーマになっている気がした。

価値観とも言える考え方は、同じ人を見つけることは簡単ではない。違って当たり前だけれど、音が母が亡くなった日の夕陽の話を練には話すことができたように、音が「誰に言っても伝わらへん気いして、伝わらへんかったらって思って、言われへんかったんやけどな」と言ったように、そんな事と言ってしまえば誰も気に留めない小さなことを、共感できるひとが居るというのは、音にとって救いだったと思う。

 

9話の最後で、音ちゃんがお母さんへ向けて書いた返事の手紙がすごく好きだ。

“私には、思い出が足りてる”という考え方がすごく好きだ。

時々起こる、とびきり嬉しいことがあれば、それを思い出して耐え抜くことはできる。

 

登場人物である一人一人が不器用で、愛くるしくて、穏やかなこのドラマが私にとって宝物になった。

いつか音ちゃんが、納得できる形で東京へ戻る時がきて、練と一緒にいられることを願いたい。