レッドが最高に似合うあなたの名前はローラ。ミュージカル「キンキーブーツ」で弾けたレディへの憧れ

【この記事では作品内容、ラストについてのネタバレがあります】

 

レッドがこんなに美しい色だとは

ローラの立ち姿に見惚れ、その気品に憧れ、私もこんなふうに凛々しくありたいと思った。

 

ミュージカル「キンキー・ブーツ

ブロードウェイで公演されてきた作品で、映画にもなっている。その日本版があるというだけでも奇跡なのに、主役のローラを演じるのは三浦春馬さん、チャーリーを演じるのは小池徹平さんというミラクルでスペシャルなコンビ。

 

父親が営んできた靴工場を、突然受け継ぐことになったチャーリー。傾きかけた工場を立て直すため、頭を抱える毎日。そんな最中、夜道で絡まれている女性を助けようとしたチャーリーは、思いがけない女性の反撃でハイヒールのビンタをとばっちり。

チャーリーが“女性”だと思って助けた彼女は、ドラァグクイーンの男性、ローラだった。

きつそうな靴を履いているのを見たチャーリーは、大柄であったとしても体重を支えることのできる、ベストなハイヒールを作ろうと思いつく。そのひらめきは工場の今後とチャーリーの将来、そしてローラの未来までも大きく変えていく。

劇中の音楽を作詞作曲しているのは、シンディー・ローパー

「True Colors」を歌ったシンディー・ローパーの作る、キンキーブーツの曲たちというのは感慨深いものがあった。

 

初めてこの作品を目にしたのは、YouTubeに載せられていたエンタメサイトのゲネプロ映像だった。

ローラを一目見た時の衝撃。三浦春馬さんが演じていることを脳が思い出した時の混乱。誰?!えっ本当!?と目が点になる。衣装メイクをする前の稽古映像を見たら、それでも美しい風格の変わらないローラに釘ずけになった。

立っているのも困難なはずの高いピンヒール。腰を引かず、背筋を伸ばし、指先まで神経を集中させているのがわかる。

観たい。そう思ったけど、あの時の自分ではチケットを取る予算も、勇気もなかった。三浦春馬さんと小池徹平さんをキャストに迎えた「キンキー・ブーツ」2度とないかもしれないと思いながら、通り過ぎてしまったことを悔いていた。

 

2年後

キンキーブーツ再演の知らせ。

ほんとですか!!!!と飛び上がった知らせ。しかも初演キャストのままでの再演。

ドラァグクイーンのメンバー、エンジェルスの一員として今回から参加になった佐久間雄生さんも含めたキンキーブーツキャストが2019年の舞台にやって来る。今回こそ、逃してはならぬと観に行くことを決めた。

 

 

3年越しの思いが実った当日。

心なしかメイクをする手もはかどり、いつものアイシャドウから変えて今日はゴールドを下地に塗ろうと思いつく。リラックスした気持ちのなかに堂々と胸を張る高揚感が同居して、強いレディになれた気分。

3階席から見るステージは見晴らしが良くて、“PRICE & SON”と掲げられた看板にレンガ造りの工場が老舗としての存在感を放っていた。

 

そろそろ開演?と待っていると、何気なくステージを歩いてくるのは工場で働く“ドン”

鳴っているスマホを取り出して、彼女と通話をしながら「電源はオフに。バイブもやめてくれよ」と、粋な観劇マナーのご案内。禁止と言ったはずの写真を、客席を写りこませて撮るそぶりで、「フー!とかイエー!とか騒いどいてくれ」と煽って、客席のボルテージが上がったところで「ありがとな」と工房に入って行くドン。なにそれかっこいい。

物語が始まれば、たちまち目の前には靴工場が。

チャーリーの父の工場。ベルトコンベアで運ばれてくる革靴。グリーンの箱に詰めてカバーを織り込み、プライス&サンの冊子を入れて蓋を閉じたら、完成。

華やかではないけれど、賑やかでいきいきとした工場の雰囲気は輝かしいものだった。

 

それでもチャーリーは、僕は靴は作らないと家を出た。フィアンセのニコラとロンドンで暮らすことにしたはずが、父が亡くなった知らせを受けて飛び帰る。

4代目であることの苦しみ。父に重ねられ、常につきまとう父の期待。弱さを見せる勇気を持てないチャーリーは、ひとり頭を抱える。自分自身の中に渦巻く葛藤、従業員たちとの関係性。問題は山のよう。

夜道のシーン。品なく絡むチンピラ2人をさけるため後ずさりをするローラの姿が、暗くてシルエットしか見えていないのに綺麗で。うわあ綺麗なお姉さんだ…と影にさえ見惚れた。

止めに入って後ろに庇うチャーリーのジェントルさと、一度は守られるポジションで隠れるローラの行動がすごくキュート。その後で「おどきになって、もう我慢できない!」とハイヒールビンタに出る前の勇ましさを足して引いたとしても、2人のコンビ感にときめくシーンだった。

 

 

そしてやってくる、ローラの最大級の魅せどころショーステージのシーン。

ローラを呼ぶエンジェルスの歌声に、赤のキラキラのカーテンからザンッと登場するローラ。真っ赤なタイトドレス。虎のような表情の迫力と、動きのしなやかさに見える優美な魅力。

これ!これが観たかった…!!と夢にまでみたローラのオンステージをしっかりと堪能できるひとときは、最高の贅沢。

 

そんな華やかなステージで、なにも怖いものなどないと見せつけるかのように歌い踊るローラが、バックステージからオンステージへと戻る時チャーリーに言った、私を見て自分は正常だと安心する人たちのために(ステージに戻るわ)という静かな一言がつらかった。

輝かしいステージ、のはずでも、その上にいる時でさえローラは自分に向けられる視線や意図を理解していた。

 

 

ローラが描いたブーツのデザインを見て、デザイナーにならないか!と提案したチャーリー。

本当はしたかったこと、に心躍ってはしゃぐローラが可愛かった。その影には、したかったことを言えずにきた過去が垣間見えて、ズキッと痛んだ。

提案の後、ローラは女装をせずに工場へとやって来た。言葉を失う従業員たち。

この行動にどれほどの勇気がいっただろう。チャーリーと、互いに自分がどんな息子であったかを語らうシーンに、唾を飲み込むのも忘れて見入った。

 

イギリス制作の映画「キンキーブーツ」とアメリカ版の舞台「キンキーブーツ」では、アフリカン・アメリカンともいう黒人の俳優さんがローラを演じている。何重にも重なっているバックボーンを思うと、日本版のキンキーブーツの見えかたもさらに変わってくる。

ローラの持つ、痛みに慣れた優雅さは切ない。偏見を隠さないドンに対しても感情的にはならず、剣に剣では返さなかった。

“品”とは?と考えたくなる、ローラの美しい佇まいとドンの俺様な態度。女が好きな男はこうだろ?と語るドンに、本気の“モテ”の何たるかを指南するローラは誰よりも紳士で淑女だった。

工場にいる女性たちをローラがリードして、タンゴのようにダンスを踊る。それもローラはハイヒールを履いたまま。ペアをリードする立ち位置は、軸のブレなさと力を入れる踏ん張りが必要になるはずだけど、危うさはなく、見事なペアダンスが成立していた。

リードしてダンスを踊るローラを見た時のときめきはなんだろう。かっこよさでもあり、宝塚を見ているようなときめきでもあった。あの瞬間は、ローラの性別がどちらであるとか、それを演じている三浦春馬さんの性別など関係無くなって、とにかくその人としての魅力。所作と考え方のスマートさが光って、憧れた。

 

ドンとの交換条件で、“ボクシングの試合で勝負”をかなえた代わりに、ローラは“あるがままの他人を受け入れる”ことを伝えた。

この言葉に感銘を受けたのは、“他人”と呼ぶ距離感のままで、自分の中に入れ込みなさいということではなく、あるがままを受け入れるということ。距離を保ったままでも、それは成立するということだった。

「お前(ローラ)を受け入れろってことか?」と噛みつくドンに、「すべての人よ」と答えるローラは印象的。

私を受け入れなさいとは言わず、自分の立場よりも、ローラはドンのこれからを優先した。そのままでは彼が直面しそうな、生きずらさを回避するすべを教えた。寛容性は負けることではなく、広く生きるためのコツになる。

ローラからのアドバイスが鍵となって、考え方の変化はチャーリーの危機を救うことにも繋がった。

ドンが受け入れたのは、ローラのことというよりチャーリーのこと、というポイントは素敵なフックになっていると感じた。

 

 

チャーリーは工場の立て直しに懸命になるあまり、従業員の仲間たちに威圧的な指図をして、ローラの話しにも聞く耳を持たず一方的に自分の言葉だけをまくし立てる。

それはあまりにも乱暴で、偏見に満ちていて、実のところ思っていたことのなにもかもが顔を出していた。

 

すべてを失ったとひとり心を沈ませていくチャーリーに、工場で働きながら彼のことを見てきたローレンは寄り添った。物理的に、ひとりにさせないというローレンの行動がいい。

「よく吠えるのは怯えているからよ」という言葉に、犬じゃないかとチャーリーは苦笑いをするけれど、単純なようで気づけない要点を捉えた言葉だった。

攻撃は防衛が行き過ぎた末の行動であることがある。それを頭に入れておくと、吠えられたとしてもなぜなのかを想像する余地が持てる。逆にやたらと自分が吠えてしまっている時は、怯えている自分に気づくことができる。

 

チャーリーのひらめきと暴走とも言えるエネルギーを、ローレンはいつも、もうどれだけ驚かせるのとワクワクしながら見つめていて、呆れるのではなく一緒になって楽しんでいるローレンがとても魅力的だった。

 

 

完成した新作のハイヒールブーツ。でも、ローラとは喧嘩別れのまま。

ミラノのコレクションに出展だと意気込んでも、デザイナーでありモデルのローラがいなくては、チャーリーには為す術もない。

もうおしまいだ…あまりの惨事に顔を覆いたくなったその時。

怯えてた 私の前

現れて勇気をくれた人

迷い子は 見守られてた

今度はローラがやる番よ

現れたローラは、レッドのタイトドレスとそして、プライス&サン製のレッドのブーツ。ボリューム増し増しのウェーブが掛かったヘアスタイルが最高に似合っていた。

 

愛はFire 炎がHigher

火花の飛び散るWire

お祝いよ!立とうとして

もがくあなた この手をどうぞ!

 

お祝いよ 立とうとしてもがくあなた この手をどうぞ

この歌詞を聴いて、私はこのミュージカルが観たいと思った。

励ますだけに留まらず、お祝いしちゃう弾け具合。そして、立とうとしてもがいているからこそ、差しのべられる手があることの意義深さ。これまで手を差しのべられたことなど彼女たちは無いに等しかったかもしれない。なのに、手をどうぞと差し出す心意気に、憧れが増した。

 

三浦春馬さんの演じるローラは、喋り方、声のトーンに気品があって素晴らしくセクシー。

ヒールを履いてしゃんと伸びた背筋。腰の曲線美、太ももからふくらはぎのライン。プロポーションとしての美しさ。しかしそれよりもなによりも、私はあの声に惹かれていた。

 

高揚感でいっぱいのステージでフィナーレを迎え、ミュージカル「キンキーブーツ」の幕は閉じた。

後日談的なシーンが最後にあったりするのかなと思ったけど、大盛り上がりのままスパッと終わる潔さが良かった。

鳴り止まない拍手へのカーテンコールも、真っ赤な幕の下りているステージにローラとチャーリーだけ登場して、最後はステージ端でローラがチャーリーに腕を組んで手を振って、片足ぴょこんと上げて行った姿でおしまい。

なんって可愛い2人なんだ…と三浦春馬さんが演じるローラ、小池徹平さんが演じるチャーリーの魅力に完全にハートをロックされた。

 

 

ヒールのある靴を、私はひとつしか持っていない。

それでも、あの靴を履くと自分がキラッとできている感じがして、自信がついて、なんか今日はいけてるぞとごきげんになれる。

個人の価値観でいい。美しさの意味で強くなれるものが自分のそばにあって、身につけていられると、思い描いていた以上の自分になれることがある。

キンキーブーツを観に来た自分も、それと同じ効果があったのだと思う。いつもなら照れて撮ることもないはずのフォトブースで、ローラとチャーリーのパネルに並んだ真ん中でレッドのブーツのパネルに足元を合わせて、なんと腰に手を当てたポーズまでとって堂々と笑顔を見せることができた。

 

女性、というよりも。レディでいることは楽しいことよね?とウインクするローラが思い浮かんで、そうかもしれないと顔が前を向く。そんな楽しさが溢れたミュージカルだった。

 

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時をかけて魅せたい景色。– Nissy 5th BEST ALBUMライブ in 東京ドームオーラス

 

画面の向こうに見つけた時からずっと、心にかかった光の粒がキラキラして消えないままだった。

 

Nissyのライブツアー「Nissy Entertainment “5th Anniversary” BEST DOME TOUR」

自宅に届いたチケットは、ベストアルバムのジャケット写真とストーリーが繋がっているみたいに、レコードのデザインと、紙質はベージュでデコボコとした触り心地。

こだわった紙を使うと、それだけお値段もかかるはずなのに、招待状の到着からおもてなしが始まっていることに、感動していた。

 

 

最新から最初へのタイムワープのように、いくつもの曲を思い出していく。でも不思議と振り返っている感覚ではなくて、あの頃も今も同じ線の上でスッと見渡せる距離にあるような、そんな感じだった。

オープニング。大好きだった2ndライブの、Nissyを捜索しているエージェントたちが再登場してくれたことにテンションが跳ね上がった。

はじめに登場するのは“西島隆弘”さん。映像に映る小道具、おしりのところをわしわし掻く仕草、ひとつひとつにこれまでのMVの世界観が顔を出して、あっこれは!あれは!と思っているうちに、“Nissy”が姿を現わす。

 

Nissyがタイムワープの魔法をかけたエレベーター

古びたエレベーターというモチーフをオープニング映像のストーリーに入れ込んできたあたり、ふー!とディズニーシー好きにたまらなかった。

今度こそ捕まえろ!と躍起になるエージェントを尻目に、いとも簡単に時を止めてエレベーターへと乗り込むNissy。

ブルーのスーツの時とは違い、大きめのツバの黒いハットのNissyは、ミステリアスさが増してちょっとコワイような。この人について行って大丈夫かな、と心を拐われるハラハラ感がある。

 

 

幕を開けたNissyのライブステージ。

1番はじめに歌ったのは「Affinity」

ツアーが始まる直前に、数分の映像を解禁した曲を、ライブのオープニングにもってくるところ。強い。と息を飲んだ。

レトロなつくりで、金に装飾されたエレベーターの中で歌っているNissyの姿がスクリーンに大写しになる。美しい鳥かごのような、格子状で外から中が見えるデザイン。

そのエレベーターもっとよく見たいい!と思うほど、綺麗な映像で、心を捉える演出だった。

 

今回、自分のいた席はメインステージとスクリーンを横から眺める位置。

なのでスクリーンで起きていることやステージ奥で起きていることは把握しきれないところもあるものの、メインのスクリーンが平面に真正面を向くかたちではなく、斜めに出っ張りを左右につくるように置かれていたことで、補って見ることができた。

 

この曲だけは、聴きたいです。とお願いするとしたら、自分は「まだ君は知らないMY PRETTIEST GIRL‬」を選ぶ。あと叶うなら「GIFT」も。

はじまってすぐ、3曲目が「‪まだ君は知らないMY PRETTIEST GIRL‬」だった。

ムービングステージで近づいたスタンド側、そこで歌いはじめる “君が思うより ずっと素敵なのに” Nissyの歌声、ファルセットの美しさと儚さが耳に届いて、なんでそんなにと思うほど泣いた。

縦に上がる花火の柱が綺麗だった。

 

「愛tears」では、オレンジと青の交互の線状になって降り注ぐライトが印象的。

青と言っても、青々とした色というよりは水色に近く、そこにオレンジを合わせるんだ…と感動した。2色の絶妙な色合いが、情熱だけではない曲の空気を表現していた。

メイキングを見てきた限り、Nissyは青とか赤とか、色の名前でのオーダーではなくて新色を作るぐらいの勢いでこだわったんだろうなと思ったりした。

「ワガママ」での噴水も、インパクトを求めてというより、繊細な水のゆらぎに見入ってしまう演出で、曲ごとに恋をして、失恋をして、新しい景色を見ている気分になった。

 

Nissyが考え抜いて、スタッフさんと共に作り出した印象的な演出の数々。一度きりになってしまうにはあまりにもったいない。

今回のライブでは、あっこの演出は!と再度垣間見えるところがあって、作りは同じでも、どう活かすかを今一度、課題にして楽しく向き合っているようにも見えた。

そういう意味で、既視感というものへの挑戦でもあったんだろうなと感じる。

 

「愛tears」で球体のライトをもう一度観られたことが本当に嬉しくて、ライブDVDではやっぱり全体を見渡すあの視点は味わえないと思っていたら、こうして形を変えて今一度観ることができた。

ブルーのコントラストで浮かぶ、まあるい灯り。

小さな丸と、今回は大きな丸もあって、ぷかりぷかりとドーム全体に浮かび漂う。暗闇のなか光るその青は、涙のつぶのようにみえた。

 


もうひとつライブのなかで印象的だったのが、衣装だった。

2ndライブの攻めに攻めたカラフルでハードなファッションと対照的に、ベージュのシャツに、少し濃いめのベージュの細ネクタイ、パンツもベージュで合わせたりと、コンセプトカラーはベストアルバムからグッズにいたるまでベージュで統一。

上は黒T、下は黒のスキニーで、黒の野球帽。

あんなにシンプルでモノトーンな衣装を、ソロの主役が着ている。それが成立していることがすごい。顔がぼやけないことがすごい。

シンプルでありつつ、ダンサーさんたちとのバランスも考えられていて、遠くから見ていて驚いたのは、むしろそれによってNissyが目立っていたことだった。

大人数で踊っていても、Nissyが羽織ったブルゾンの背中には“5”の字が白く大きくプリントされていて、すぐに見つけることができた。

 

ある曲と曲の間で、ドームに鐘の音が鳴り響き、Nissyが駆けていく場面がある。

何かに急かされるような鐘の音。そこに1人立ち尽くすNissyの姿はさながらシンデレラ。

あの広い空間に響く鐘の音があまりに綺麗だった。音に合わせて光って消える手持ちのライト。自分の持つライトも鐘の一部になったようで、ワクワクした。

奥行きがあって年季を感じる鐘の音。テンプレートな電子音には聞こえず、今になって考えると、どこかの鐘の音を実際に録音してきたのではと思うほどの深みだった。

気になって、パリから連想してノートルダムの鐘を聞いたものの間合いと音数がぴんとこない。Nissyのコンセプトに合う場所…ロンドン?と思いつきでビッグベンの鐘を聞いてみたら、こんな感じ!としっくりきた。

実際どうなのかはわからないけれど、素敵な鐘の音だったことは忘れない。

 

 

リクエスト曲ランキングのコーナーでは、上位にくる選曲がなかなかの時代をふまえた曲たちで、

きっとそうなる心理もわかりつつ、Nissyは僕は僕よ?誰のあれでもないよ?!と明るくつっこんでいて、ほかの場所で抱えた思いの拠り所にしてしまう心理や、本人を通過してその向こうを見てしまう現象がありうるとわかっていて、

それをそっとさりげなく、仮想や理想で本人がおざなりになってしまわないように、伝えかたを考えてくれているなあと思った。

リクエスト曲は2300曲近くのバリエーションで届いたと話していて、それだけみんなNissyの声で聴きたい曲があるんだなと感じる数字だった。

 

「糸」をNissyの声で聴けるとは思わず、2番の歌詞はどうしても胸にくるものがあった。

席の位置的に、ドームの壁に当たった音が反響して返ってくるのが聞こえる位置で、Nissyの歌声にNissyの声が追いつき重なるようで素敵だった。

 

 

そして、ライブになるとガッと曲の表情が変わる「Double Trouble」

ライブで聴くたび好きになっていく。

歌い出しのNissyの歌詞アレンジ、“Hello”の一枚上手に微笑む感じ。ブラスバンドが強くなるあのライブアレンジがやっぱり好きで、リズムに乗って踊る空間がグルーヴそのものになる魅力がたまらない。

今回のステージ構成で、バンドメンバーが前に出てきていて、その様子を見られたことも嬉しかった。

 

もしかしてあるかな、いや流石にないよな、と期待が積もりはじめていたライブ後半。

「The Days」で、なんとユニバーサルスタジオジャパンの仲間たちの紹介がスクリーンに。夢?夢かな?と思っていると、本当に向こう側に行進が見える。曲がり角を通過して、パレードがやってくるまさにその先頭から順に眺められる景色は、テーマパークの特等席のよう。

男性ダンサーさんが2人先頭を歩いて、バブルみたいな風船を持った人たち、フラッグ隊、、、大幕のNissyロゴがはためいて綺麗だった。

光きらめくフロートに乗って、キャラクターたちが近づいてくる。真ん中でうれしそうに歌ってじゃれあうNissyの可愛さはとびきり。

またエルモやクッキーモンスタースヌーピーたちに会えるなんて、Nissyとの共演が観られるなんて。来てくれてありがとう。いつかUSJに遊びに行くね、そんな気持ちになっていた。

 

 

アンコールは気球に乗って現れたNissy。

その登場が席から近く、Nissyだ。Nissyがいる。と思いながら、ひたすら無邪気に手を振った。
1曲、丸ごと。にこだわりがありそうなNissyが、アンコールではメドレー形式で可能なかぎり多くの曲たちを披露したこと。それもNissyなりのプレゼントだったのではと思う。

どの曲にも特別な思いを持つひとがいて、聴くのを楽しみにしているひとがいると、伝わっているんだろうなと感じた。

 


ライブはじめの挨拶で、ステージの端から端まで順に歩いて走って近づいたNissy。

以前メイキングで、気球で最初に近づけたりしたらいいんだけどと話していたのを思い出して、その気持ちもあってなのかなと思いながら見つめた。

 

アンコール後、一呼吸を置いて話そうとしたNissyに、ライブスタッフさんたちからのサプライズ。

ファンが持つ制御式のライトが浮かび上がらせたのは、“THANK YOU Nissy 5th”の文字。

スタンド2階から1階を使っての二段構えのメッセージ。赤のライトの海に、白の文字で。

自分のいた席から、スクリーンを正面に見られないもどかしさはあったけれど、そのおかげでNissyが客席を見渡すのとほぼ同じ視点で見られる嬉しさを体感することができた。くっきりと見事な文字になっていて、すごいと言いながらひたすら見つめるNissyが印象深かった。

その後も、メインスクリーンに“We ♡ Nissy (キスマーク)”の文字が映されてアリーナ席のみんなが後ろ後ろ!と一斉に指差して、Nissyが気づいたりして、サプライズ好きな彼にサプライズで返すスタッフさんたちが愛くるしかった。

 

 

MCが長くなって、スタッフさんに終了の鳩時計や鐘の音を鳴らされるNissy。

なぜかトーク中にHOT!HOT!を口走って、「世代じゃないか」とつぶやくNissyがツボで、藤井隆さんですよね…と思いながら聞いたりして、笑いのセンスもほんとに好きなんだよなあと再度実感した。
Nissyの変顔に、さりげない一言に。さっき笑かされていたのに、歌を聴いていま泣いている。

情緒のアップダウンが激しいと自分でもおもしろくなりながら、考え込むのは得意で笑うのは不得意な自分にとって、一瞬で笑顔を呼び起こしてくれるNissyは不思議な存在になっている。

 

 

ダブルアンコール、待ち焦がれずにはいられないブルーのスーツのNissy。

「どうする?」と言っただけであがる歓声。ハットをカメラにかぶせれば、それはもう。Nissyとダンサーさんがザンッと姿を現して、「どうしようか?」をパフォーマンス。

観ている時、ステージ横からドームに向かって踊るNissyを見ていたら、画面の中から飛び出して今目の前にいる驚きと、ドームに集まる人を前にパフォーマンスしていることの感慨深さを思った。

こちらから見るには眩しいくらいのライト。そのライトに照らされて、堂々と披露する「どうしようか?」

一人部屋で画面の向こうに見ていたNissyの姿を、こんなにも多くの人が同じくして見ていたかもしれない。どちらにしても今、こんなに多くの人と一緒にライブにいる未来は想像していなかった。

 

フォトアルバムを開く感覚で、時間の中をふわりふわりと行き来しながら、曲への愛着が増したNissyの3rdライブ。

エンドロールにも写真がいっぱいで、それぞれのジャケット写真を見ながら、Nissyが届けることをはじめてからの5年の時の重なりを思った。

 

ライブをすることは簡単ではない。

ライブに来ることも、簡単ではなかったりする。

人の多さが緊張に変わったり、会場までの道中を乗り越えるのに一苦労だったり。こわいと思うとしても、それでもここに来たいと思うのは、Nissyがここにいて、そこで観る景色は必ず素敵だとわかるから。

「トリコ」でのNissyからの5つのメッセージ、4が心に残っている。

 

観せてくれた景色を思いながら、イヤホンを着ければいつでも呼び起こすことができる曲を持ちながら、

その時間のつづきで、また会えたら

Nissyが1年をかけて作りだしたライブステージの余韻にしばらくは浸っていたい。

 

あまのじゃくな僕の言葉を聞いて - Nissy「Girl I Need」

 

せっけんの香り、そんな爽やかさが吹き抜けていく。

去年ライブで聴きながら、うわあ好き!と思ったのがこの曲だった。

 

1st sight なんとなく目が離せなくて

わざとらしく 聞いたんだ 

Do you know how to get there?わかるかな?

 

ふいに恋に落ちていく男性視点の歌詞、ベタ惚れで、だけどあまのじゃくで素直さを見せられない不器用さ。

こんなに可愛らしい歌があるのかと、がっしり、がっしりハートを掴まれた。

 

このワンフレーズに、歌の中の主人公となる彼の性格が溢れている。

1st sight”のsightは、視力、見解、光景といった解釈をできる単語になっていて、この歌の歌詞が第1段階、彼という1人の視点で語られることを表現しているように感じられる。

そして“なんとなく目が離せなくて”という言葉、これ以上ない惚れ言葉。ロマンチックがキザにならないNissyの自然なトーンがあるからできることだと思った。

Do you know how to get there?

という英文には、「道順はご存知ですか?」と訳すことができて、この歌詞の空気感に合わせるとしたら「道順は知ってる?」になると思っている。

文字通りの“道順”というよりは、恋の進め方という比喩表現もある気がしている。

そこに“わざとらしく 聞いたんだ”、“わかるかな?”と繋ぐ言葉があるところに、もうすでにあまのじゃくさが顔を出していて、ちょっといじわるに微笑む様子が思い浮かぶ。

 

卑怯なほど無邪気な笑顔

ずるいほど大人びた仕草

対極にある気もする、“無邪気な笑顔”と“大人びた仕草”

その描写に、彼が恋をした彼女の魅力をグッと感じて、そんなギャップがあったら好きになるよなと共感してしまう。

嬉しい!をためらわず見せる無邪気な笑顔。そうかと思えば、ふっと目を伏せて下がり気味のまつげに憂いが添う。

悔しくなるけど

堕ちてゆくみたいだ

“卑怯なほど”、“ずるいほど”という言葉や、“悔しくなる”という表現をするところに、抵抗したい心境が見える。一見ネガティブにも思える言葉でも、それなのに、という意味で受けとめると、彼の気持ちが彼女へと引き寄せられていく力の強さを切実に感じる。

 

 

そして、サビの中にある

天邪鬼な僕の言葉を どうか全部信じないでよ

という歌詞、ここが好きで仕方ない。

自分の天邪鬼(あまのじゃく)を自覚していて、そんな自分では誤解させてしまうこともわかっていて。だから、“どうか全部信じないでよ”と先にフォローしている健気さ。

全てを信じないで、ではなくて、きっと全部まるごと(は)信じないでという願い。

言われてみたい胸キュンというよりも、シンパシーに近い感覚でこの歌詞を好きになった。本心を隠すため、正反対の言葉が口をついて出る。そんな僕だから、どうか話半分で、素直になれない気持ちを覚えておいてと語りかけるようなこのワンフレーズには、焦ったさも愛くるしさもぎゅっと集まっている。

 

落ちサビ前の“大人びた仕草”の部分では、一瞬ぴたっと周りの音が静まり、“た”の音が声のみになって際立つ。

そこがすごく好きで、聴くたびにくうーっ!となる。たった一箇所ここだけアレンジを変えてくるところがずるい。Nissyの声がパーンと真っ直ぐ届いて、その後にコーラスが加わる絶妙な間合い。それは秒単位で計算されたものだと思う。

 

 

歌の中のそんな“僕”が、“素直になんて言えないよ”を何度も繰り返して、

最後の最後に、“素直に言ってもいいかな?”の前置きのあと

You’re the girl l need 

Girl I Need

と呟く。

You’re the girl l need”は、直訳すると「あなたは、私が必要とする女の子です」になる。

意訳するとしたら、「君は僕にとって必要な女の子」などになるのかなと思う。

でも本当は、文法としての解釈よりも感覚的に、英語だからこそのニュアンスがそこにあるはずで、“need”で「欲しい」とも訳せる言葉が入っていることの切実さ、“the girl”でtheが頭についていることでスペシャルなオンリーワンの女の子を見つけた意味合いが感じられる楽しさを噛み締めていたい。

 

語りかけるように、首を少しかしげて顔をのぞき込むみたいな声色で、

素直じゃない僕が素直になるため、あらがうのをやめ、お手上げだと恋に沈んでいく想いが美しい歌だった。