赤いワンピースを買いました

 

いつか自分の気に入る赤いワンピースを。

探しはしないけど、どこかで見つけられるだろうと気長に待った。誰にも言わない、自分のなかだけで。

 

普段、ワンピースを着ることはほとんどない。

でも友達に「ライブの日に会うとワンピースを着てるイメージがある」と言われて初めて、クローゼットにワンピースが増え始めていることに気がついた。ぎこちないながらも、私なりのとっておきはこれだったのかもしれない。無意識のうちに、関ジャニ∞のライブに行く日はワンピースを選んでいた。

赤いワンピースへの憧れはいつからだっただろう。なんだか漠然と、きっと自分に似合うはず。いつか着てみたい。と思っていた。

 

服屋さんで赤を見つけると近づいてみる。でも形が、素材が、しっくりこない。

とっておきの服にしたいけど、普段も気軽に着られるものがいい。肌に馴染むくらい沢山着て、ヨレヨレになってちょうどいいくらいの。

 

ついに、その1着を見つけた。

服を買うつもりでもなく、そういえばこのお店の服気になるけど買ったことはないなーと近づいて行って、進んだ先にあったのが真っ赤なワンピース。

見事に赤い。これいいな…と思わず手を伸ばした。

すっぽりと被って着たらいっちょあがりのラクチンなシルエットで、首元が苦しいとか、袖が短いとかいうこともない。麻の素材も入っているから、わりと丈夫そうで、生地にある程度の重みがあるからスカートがフワッと広がり過ぎない。

あれこれあった細かい要望を、ここまで叶えたワンピースはそう見つからない。だから何年も、待っていた。

 

あれこれ考えながら、そのワンピースの前で立ち止まっていると店員さんが話しかけてきて、「よろしければ試着を」と誘う。

今日は服を買うつもりでは…そう思いながらも、足が向く試着室。

 

すっぽりと着て、鏡を見る。いい。

スカートの丈がちょうど良くて、ふくらはぎの太い所でバツっと終わると見栄えが良くないし、長過ぎても違うけど、本当にベストな長さ。素材的にも袖の長さ的にも、秋や春どちらにも着られそうなのが嬉しい。

何より、鏡を見た自分の顔が明るくなったことに自分でも気づく。これはしっくり来てる時のやつだ。その日はベレー帽を被って出掛けていたから、コーディネートとしてベレー帽も合わせてみる。もう、これでしょう!と思うくらいにぴったりだった。

ワンピースのカラーバリエーションには黒もあって、はじめは赤と黒で迷った。「魔女の宅急便」を見たばかりで、キキだ…と思ってしまったから。できるなら2色買いしたかった。

でもやっぱり赤。赤がいい。

 

いつかの憧れだった赤いワンピース。

それを買ったのが今なのは、見つけたからという理由のほかに、恋しさがあるのかもしれない

 

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ただいま大阪

 

空になったばかりのスーツケースに荷物をつめて、新幹線の切符を何度も確認する。

1ヶ月ぶりの新大阪行きの新幹線。荷物をつめるのも、新幹線に乗るのも、少し手馴れて余裕の出てきた自分に気がつく。まだまだ緊張だってしているというのに、なにを慣れてますというような澄ました顔をしているんだろうと可笑しかった。

 

新幹線に乗る前、駅のお手洗いに並んでいると、前にいた女性のカバンに“恋は雨上がりのように”のキーホルダーが付いているのを見つけた。映画のやつだ…大泉洋さん好きなのかな…と見つめていると、その女性のスーツケースの上に乗っているカバンはムーミンなことにも気がついた。

ムーミン…と思って見ていると、女性がふと「同じですね」と私の荷物を差して言った。あれ?とその女性のカバンをあらためてよく見ると、お互いにムーミンなだけでなく、同じ柄の色違いだった。

本当だ同じだ!とテンションが上がって、「それ便利そうだなと思っていたんです」「使いやすいのよ。ずっとこれ。」と会話が弾んだ。

旅のはじまりにお揃い発見なんて幸先が良い。

 

朝ごはんに、おにぎりの2つ入った小さめのお弁当を買った。お茶とセットで500円。赤いウィンナーと卵焼きが入っていて、わかってらっしゃる…と思った。

先月行ったばかりでも、行きの新幹線、見える景色が楽しくて、ずっと窓の外を眺めていた。畑の緑が綺麗で、見馴れたからこそ新大阪に近づいているのがわかる景色。京都駅で一瞬顔を出す京都タワーがうれしかった。

 

今回はホテルに泊まる。2泊3日の旅。

関ジャニ∞のライブに一緒に入る友達もみんな同じホテルで、着いたのは私が先だった。

友達の到着はもうしばらくかかりそうかなーと予測して、キャリーケースだけをフロントに預けて身軽になった。突然の身軽さに、預けたから荷物はこれでいいんだよね、忘れ物ないよねとソワソワしながら。

じゃあまず行くのは中崎町でしょうと、迷うことなく電車に乗って、この乗り換えだけはしっかり覚えた道順であっという間に中崎町

中崎町”と書かれた駅のホームの看板は、何度も見たあのままで、帰って来たのかずっとここに居たのか分からなくなる。

 

今日も暑いし、まずはメロンソーダ…と思ったけれど、お昼時では混み合っているかなと、駅を出てすぐの天五中崎通商店街(別名 おいでやす商店街)に、島プリンを食べに行くことにした。

今回は普段どおりの大阪ではない。関ジャニ∞ライブ期間中の大阪。

つまりはお店に入れない可能性もあるかなと思いながら、でも大阪に戻ったからには行きたかった。地元に帰って毎日を過ごしている間も、あの町もあの場所も同じように毎日が流れているんだと想像することで勇気づけられていたか。次に中崎町へ来る時は、内緒のままにして、ある日突然「こんにちは!」と来てみたかった。

ドキドキした。1ヶ月という時間が過ぎただけだけど、この町で積み重ねた時間は無かったことになってしまっているだろうか。覚えていてくれる人はいるだろうか。

 

お店の前に着いて、ひとつ深呼吸をする。仕切りのカーテンを開けて、「こんにちは!」と挨拶をした。

店長さんと目が合って、「おかえり!」って言われて、「ただいま!」が自然と口をついて出た。

嬉しかった。社交辞令ではなくて、またおいでと言ったとおり迎え入れてくれたこと。あいだを開けずにこうやってまた戻って来られたことが。

きなこをかけて食べるプリンは変わらず美味しかった。

お店を手伝いに来ていたお兄さんも一緒に3人で話しをした。手持ち扇風機の良さの話とか、この間の中崎町での暮らしの話を。この間はさ…と、扁桃腺を腫らしてプリンを食べていたことを店長さんと振り返って話しているのがなんだか不思議で、10日間居たとしても結局はすべて元通りだと寂しくなりかけた気持ちが、そんなことはなかったと気づき直せた。

長居をすると座れる人が限られてしまうから、次のお客さんが来たタイミングでお店を出た。

 

つづいては前回の滞在中にお休みと被ってしまっていて寄ることができなかった雑貨屋さん「JAM POT」に立ち寄った。

 

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この時期のテーマが“天体”

星座や星のモチーフのものが多かった。

作家さんの作品をひとつひとつ眺めて、気になったのは陶器で出来ている食パンの形をした箸置き。コーヒー豆の絵も描かれていて、これはプレゼントしたいと購入。

 

行きたかった雑貨屋さんに2度目で来られた喜びを感じつつ、クリームソーダを飲みにレストランカフェ「クイーン」へ。

丁度お昼時が終わっていて、座ることができた。スペシャル席ではなく奥の席にして、暑さから開放されるひとときに安らいだ。

クリームソーダって、バニラアイスが溶ける前に食べたい気持ちと、バニラアイスが溶けて炭酸と混ざったところを飲みたい気持ちとでせめぎ合う。追いバニラアイスというシステムがあったら最高だなと、クリームソーダやアッフォガートを食べている時には思う。

 

日々いろんな人が来るし、覚えてもらってはいないだろうなと思って入ったけど、おじちゃんからの質問に答える時に「先月ここに暮らしてたんです」と話したら、またすぐに来るって言うとったねと思いだしてくれたようだった。

ノリが良くておしゃべりうまいから、ほんとに覚えてたかは分からんなと思いながら、それでも楽しかった。

早めにおいとましようとすると、「もう行くん?早ない?」と言われて、それがライブに行くのに早いということなのか、まだゆっくりしていきということなのかはわからなかったけど、どちらにしても気さくにこういうやり取りをできる関西弁の距離感が嬉しかった。

 

 

たっぷりのクリームソーダを飲みほして、前回の道順を思いだしながら中崎町を歩いた。

ここのフクロウカフェの前の道にこの間のジャニ勉で村上信五さん立ってたなー、ここのジェラート屋さん見栄えの華やかさで女性人気が相変わらずだなとか、町をただ歩くだけで楽しかった。

これが真夏の気候でなければ、秋や春は最高の散歩道になる。

 

ハンドメイドアクセサリーを扱っている「SANDPIPER」にも再び行った。ピアスで可愛いのはあったのだけど、イヤリングは無くて今回は我慢。

名前がわからないのだけど、別の所にも雑貨屋さんがあって、そこは他にはないような帽子が売ってある。チュールのついたベレー帽が可愛かった。

だけどお店に入って一番に目に留まったのは、ガーランドのイヤリング。これにする!とすぐに決めた。

 

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カフェでもどこでも、ガーランドのある空間に惹かれて落ち着くことに気づいてから、いつかそんなアクセサリーを見つけられたらなと思っていた。まさに理想のイヤリング。

 

お次は手ぬぐい屋さんの「にじゆら」

 

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前回をなぞっている感じだけど、今回は今回でもう一度見たいものがあった。

ガーゼ素材の手ぬぐい。本来の手ぬぐいよりも柔らかく肌馴染みがよくて、スカーフ、手ぬぐい、ハンカチと3タイプある長さから好みのものを選べる。スカーフとして首に巻いたり、ヘアバンドのように頭に着けたり、三角巾みたいにして襟のような形で肩にのせたり、目の前で折って見せてもらった使い方はどれも魅力的だった。

 

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これがいいと手に取ったのは前回ルクアでも最後まで後ろ髪を引かれた、オレンジからグレーまでの色合いの移り変わりが綺麗な柄。

カチューシャのようにして頭に着けたいという要望にも、店員さんがコツを教えてくれた。でもちょっと忘れた。

ご旅行ですか?と聞かれたから、実は前にも、と言ったら「ああ!」と思いだしてくれた。あちらこちらに自分の過ごした時間の痕跡を見つける感じがして、それが楽しかった。

 

 

ブルーの扉のカフェはお休みだったのでまた今度の機会にして、チェックインのためにホテルに戻った。

会えるかなと思っていた友達は夜に戻ることになったから、時間が空いた。夜ご飯もひとりになって、どうするかなーと思いながらとりあえずベッドに寝転んでテレビをつけた。

窓の外の景色が目新しくて、ぼーっと向こうを見たり、飛行機が飛んで来るのをカメラにおさめる訓練をひとり積んだりした。

 

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日が暮れて、そろそろ夜ご飯にしてもいいかなという時間になった頃。串カツを食べに行くことにした。初めて大阪に来た時はお店に入る勇気が出なくて、2年目は居酒屋さんで食べた串カツ。

「串カツだるま」にやっと行くことができた。

ここまで来たらひとりもなんのその。いや。ちょっと緊張したけど、それでも串カツが食べたい。

列に並んで、通されたカウンター席。ほかにも女の人ひとりでカウンターに座っている人はいて、ハイボールに串カツの組み合わせが格好よかった。それを見習って、梅酒のソーダ割りと、アスパラ、豚カツ、海老、うずら、プチトマトを頼んだ。

座ったはいいものの、居方に困るなーと落ち着かずに待っていると、注文が通っていなかったハプニング。それでも少し待てば、揚げたての串カツがトレーに並んで到着。

たまねぎがかぼちゃに変身して届いたけど、かぼちゃも食べたかったから問題なし。

 

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衣がサクサクで美味しい。揚げ物と言うとガリガリ口に刺さりそうな衣がイメージにあるけど、一口で食べられそうなサイズと衣の軽さでパクパク食べ進めてしまう。

ソースの味もさらっと具と衣の味を消さないバランスで、合間にキャベツを食べれば油のこってりはリセットできる。注文した梅酒ソーダも適任で、なるほど串カツとお酒の相性ってこういうことか…と勉強になった。

2度づけはしたらいけない。必要な時はキャベツでソースをすくうこと。と肝に銘じて、ソースの器に慎重に串を沈める。

おすすめは海老とたまねぎと紅しょうが。

紅天に憧れて地元のスーパーで買ったことがあったけど、全くの別物だった。サクッと歯の通る衣と、歯切れのいい紅しょうが。美味しい!本物は違う…!!と感動だった。

 

そこそこお腹が満たされてきて、満腹になる前の頃合いでお会計。

なぜなら、たこ焼きを買って帰ると決めていたから。串カツの後のたこ焼き。ソース on ソース。

少しピッチ早めに飲んだ梅酒がやんわり効いてきて、ほんのり愉快。軽めに酔いがまわるとこんな感じになるのかと思いながら、機嫌良くたこ焼きを買って、酔い覚ましになるかはわからないけどコーヒーが飲みたくなったからカフェを探し、ホットのカフェラテを持ち帰りに。

 

部屋に入って見えた窓の外は、夜景が綺麗だった。日常の明かりだけど、壮大でドラマティックな夜景よりも私はこっちのほうが好きだった。

テレビをつけてチャンネルを巡ると、Eテレで映画「聲の形」がやっていて、気になってたやつだとつけたままにした。

何度食べようと大阪のたこ焼きは美味しい。柔らかいのがいい。そしていつもはそんな背伸びみたいなことはしないけど、食後がコーヒーなんて大人ぶってるなぁと調子のいい自分がやっぱりおもしろかった。

 

2つもあって使い放題の枕。白のシーツもやたら分厚いマットレスも、いつもなら緊張して寝づらかったけど、ウィークリーマンションを経験した後ではホッとできる空間だった。

ホテル滞在と、ウィークリーマンション。それぞれをこんな短期間で比べられるとは思わなかった。やはりホテルにはホテルの安心感があって、フロントのあるなしでこんなに気分が違うものかなと実感した。

 

映画も終わり、ラジオの時間だと「大倉くんと高橋くん」をつける。

うつぶせに埋もれるふかふかのベッド。スピーカーで聞こえてくる大倉くんと高橋くんの声。この日の大倉さんの声はかすれ気味だった。

 

おいしいサンドイッチ

 

住宅地を少し進んだ道の先、目を凝らすと見えるその看板は、雨の日も曇りの日も夏の日もそこにあった。

ここに居たいと思う場所を見つけることは、自分にとってテーマになっている。そんなに多くなくていい。気づけばすぐに浅くなる呼吸を、ゆっくりと落ち着けることができるそんな場所を求めている。

 

木の扉を開くと、自然な明るさの店内はいつも緩やかに時間を刻んでいる。

私は2階の席が好きで、いつも階段を上り、お気に入りの角度で店内を見渡せる席につく。

 

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お食事がとても美味しくて、何を食べようかと来る度に迷うのだけど、いつも決まってサンドイッチを頼む。

私はここのサンドイッチが大好きだ。みなさん、こんなにおいしいサンドイッチがあることを知っていますか?と聞いて回りたくなるほどに。

食パンは耳つきで厚めに切ってあって、ほどよいトースト加減。週によってサンドされる中身が変わるから、どれも私にとってはレアキャラで、チキンタツタだ!BLTサンドだ!と他に目移りできないほど愛してやまない。特に好きなのは海老アボカド。あっでもカジキのフライとタルタルのサンドイッチもおいしかったな。

 

店内に流れる音楽は大好きな映画のサウンドトラックで、一つ一つの席に座ってみたくなるくらいに内装もシンプルで可愛い。

2、3ヶ月おきに行くこともあれば、半年近くあいだが空くこともあった。おいしいごはんが食べたいな、と思った時が訪ね時。デザートもおいしいことに気づいてしまってからは、ごはんを食べたらデザートも。長居するようになってしまった。

何度かここでパソコンを開いて文章も書いた。

いしわたり淳治さんの本を読んで勢い止まらず、おもむろに走り書きをしたのもこの場所だった。あまりに素敵な場所だと、パソコンを開くなんてナンセンスなのではないかと物怖じしてしまうこともあるけど、ここではなんだか落ち着いて作業することができて、まとまらないのではと思う文章もするりと言葉にすることができた。

 

プリンは持ち手のついた陶器のカップに入って出てくる。たっぷりと食べられるそのサイズが好きで、上にのったクリームも木のスプーンで下からすくうと出てくるカラメルもおいしい。

自家製のアイスクリームは絶品で、エスプレッソのアイスにアーモンドの粒が入っている、オトナなアイスクリームだった。

 

私にとってこのお店は、晴れよりも雨のイメージだった。

それは私の心模様についての話で、いいようのない気持ちに染まりそうになった時、この場所に来たくなる。

自分にとってのバディとも言えた犬のルカを亡くした次の日、一人で見送って、一人で帰り道を歩いた。タクシーかバスにすぐ乗ればいいものを、乗る気になれなかった私はしばらく道をただただ歩いた。寂しくて、心細くて、もう何も要らないと思ったあの時間のなかで、思い浮かんだのは木の扉の向こうにある、その空間だった。

あのお店のごはんなら、食べたい気持ちになるかもしれない。気力を失っているのにお腹が空く自分に嫌気がさしながら、それでも家に真っ直ぐ帰るよりもここに来たかった。

おいしいサンドイッチだった。朝ごはんも食べずに家を出たあの日、黙々と食べたおいしいサンドイッチを私は忘れることができない。

何を話すでもなく、店員さんや店長さんと会話をしたわけではなかったけど、温かいごはんをテーブルに置いてくれて、静かにそこに居させてくれたことが何よりの安らぎだった。忘れたい日でもあったけど、忘れたくない日でもあったから、お店の雑貨スペースで販売されていたドライフラワーのリースを買ったのだった。

それは今も部屋にある。「これはずっと飾れますか?」と聞いて、「ずっと飾ることができます」と答えてもらったことを覚えている。

 

それからも、たびたびお店を訪ねた。

そろそろまたごはんを食べに行きたいな、そう思っていた頃。“お店を閉めることになりました”という知らせを読んだ。あまりのことに固まってしまって、これはすぐに行くしかないと翌日に駆けつけた。

“ずっと”とはなんだろうと、ここ最近の自分は気づくとそればかりを思ってしまう。大好きなものがそのままでいられないのはどうしてだろう。変化を恐れる自分の弱さを目の当たりにするようで、情けないなと思うけど、切ないものは切ない。

けれど変化は悲嘆することばかりではないと、ここ最近だからこそ思えている自分もいて、変わらないでいてと願う子供の自分を成長させるべき時なのかもしれないと感じている。

 

雨が降って止んでを繰り返していた空模様が落ち着いたころ、お店の外に出ると青紫のシジミ蝶が飛んでいた。

吹く風は涼しさを運んで、もう暑くはなくて、夏が終わることを静かに感じた。