息をするように思うもの「anone」第5話

 

「問題のあるレストラン」では、パーカーちゃんとキラキラ女子と喪服ちゃんの3人で買い物の帰りに温かい飲み物を飲みながらシューベルトを聴いた、第6話。

「カルテット」では、すずめちゃんの今とこれまでが描かれた第3話。

 

1話1話が地続きで、全話通してひとつのドラマだけど、坂元裕二さんの書くお話は決定的にこれだと自分に響くお話がどこかにひとつあって、「anone」の場合は第5話がそうだった。まだ残り半分ほどあるけれど、このお話は何度も何度も見ると思う。

第5話が好きだと感じたのは、彦星くんが意識を取り戻したからじゃない。 それはもちろん大切なことであったけど、亜乃音さんとハリカちゃんと青羽さんと持本さん、みんな揃ってご飯を食べていることだとか、一生懸命にあのね、それでねって話をするハリカちゃんのことが愛くるしくて、体温に触れてすうっと染み込む雪の結晶を見ているようで、それが堪らなく大切だと思った。

 

ハリカ「わたし、何もしてない」

彦星「君は今頃なにをしてるかなって想像するだけで、まるで自分が体験しているような気持ちになれるんです」

彦星「君の冒険は、僕の心の冒険です」

2人の会話が印象に残って、だからハリカちゃんが川の向こうで待ち続けたことも意味があると感じられた。

 

ハリカちゃんが帰らない。心配になった亜乃音さんは、「多分私の気のせいだから」と言いながらも迎えに行くため、車に乗った。

かかってきた電話に出て、ハリカちゃんだとわかって心の底からほっとした息をはく。大丈夫そうなフリをする声だけのハリカちゃんに、亜乃音さんは思うことをはっきり伝えて、「いまどこにいるの」とおせっかいを焼いた。

かっこいいと思った。面倒くさがられることも拒絶されることも恐がらずに、手を離さない強さが亜乃音さんにはあるのだと感じた。カラオケに行くのね、そう。と電話を切ることだって出来たけど、「亜乃音さん、今日は、帰れない…」と言った声が明るくないことを分かってて、他人だし…なんて思いは持たず、放っておかないことを選択した。

 

そこにいるあの人のために、何もできない、見えていない。

急変してICUへと移されてしまった彦星くんを思って、もといた病室を外から見つめていたけど、それでも力無い自分を突きつけられて、「ここに居ても関係ないの」「居ても居なくても同じ」と諦めようとしたハリカちゃんを亜乃音さんは引き止めた。

物事が動かないとしても、ハリカちゃんのなかで何が変わるかを亜乃音さんはわかっていたかもしれない。あの時、諦めて帰ったら、その時こそ私はレストランに行ったあのお父さんたちと一緒だと、ハリカちゃんは自分を責めたのだと思う。

亜乃音さんがハリカちゃんを放っておかないことを選択したように、ハリカちゃんが彦星くんを放っておかないことを選択したことは大事だった。

何もしていなくても、その思いを持った気持ちで話す言葉には温度が伝わるのだと思う。

 

第5話は、暮らしていくことが静かに色濃く描かれていた。

4つ並んだ椅子にそれぞれみんな座って、ご飯を一緒に食べる。当たり前のように馴染む4人の光景だけど、青羽さんにとってはこれが叶わなかったはずのみんなで食べる食事で、持本さんにとっては手に入れたかった家族のかたちで。亜乃音さんはつい昨日まで一人きり、このテーブルで食事をしていた。ハリカちゃんは、コンビニのお弁当じゃない、家でつくるご飯の味とみんなで食べるご飯の味を初めて経験している。

亜乃音さんがごはんを食べる姿は、綺麗にというよりも生きるために食べているという感じがすごくする。

 

謝罪に来たはずなのに、一緒にご飯を食べて、布団を借りて、朝起きたら歯磨きをしてる。おかしい。おかしいし、変なのだけど、他人も知り合いも家族もそんな曖昧なものじゃないかなと思う。

青羽さんのくしゃみは可愛いことが発覚して各々スマホを取りに走る様子は微笑ましさのピークで、築かれる関係性は理屈ではないと思えた。

持本さんの作った焼うどんを食べた時に、美味しいけど納得のいかない亜乃音さんが、「ハリカちゃんは何食べても美味しいって言うのよ」と言ったのも、ハリカちゃんからすれば結構な言われようなだけど、本人も「何食べても美味しいです」と答えるほのぼのさがいい。2人の関係性はそんなことを言い合える仲になったのだなと感じ取ることができて、ほどよく遠慮のなくなった距離感がよかった。

 

前髪を切られながら眠ってしまったハリカちゃんを囲みながら、亜乃音さんと青羽さんと持本さんはおしゃべりをして、そのなかで青羽さんは自分のこれまでの生き方を話しながら「生きるのは難しいんです」と言った。

亜乃音さんは「生きなくていいじゃない、暮らせば。暮らしましょうよ」と言った。どちらの言葉も、そのことに直面して向き合ってきたから言えることで、生きるのは難しいということに気づいているのも暮らしていくことの意味を知っているのも当たり前ではない。

 

終盤に差し掛かり、まとまりかけたものを知るかとでも言うようにかき消していった瑛太さん演じる中世古。

怖かった。淡々と、何の疑いも無く、自分のしたい話だけをする。話して伝わる人じゃないと、数分間のシーンでわかる。穏やかな時間があればあるほど、このままではいられないという不安はついてまわるけれど、いよいよその空気が増していくのだなという実感があった。

 

第5話にはそれぞれの心の中が確かに変わり始めたことを感じる時間が流れていた。

目を覚まし、前髪が短くなったことを思い出してふわっと微笑むハリカの表情は、素晴らしかった。ハリカにとって、取り留めのないことを一生懸命に話せる相手がいること、ご飯も食べずにしゃべり続けて、そんな自分を抑えず恥ずかしがらずに見せられる場所を見つけたこと。ボロボロと泣きながら亜乃音さんに抱きついたハリカを見て、彼女がこの場所を見つけて、辿り着いてよかったと思った。見つける力は生きる力だと思うから。 

なにもできなくても、なににもならなくても、思うことになんの意味があるのか。その答えのパーツをひとつ手にしたような、そんな第5話だった。

 

鋭利な乙女心 -SHISHAMOの魅力

 

可愛さのなかに漂う、気だるさの魅力。

SHISHAMOの曲を聴いていて惹きつけられたのは、女の子の持つグッと深い色っぽさを感じたからだった。キュートでか弱いだけではない、リアルな女の子の思考回路を感じる歌詞と、不機嫌さや面倒くささのような表情を感じられる歌声に、ドキッとした。

 

ボーカルの宮崎朝子さん、ベースの松岡彩さん、ドラムの吉川美冴貴さんの3人で組まれたバンド。

吉川美冴貴さんが楽しそうにドラムを叩いているのを見るのが好きで、バスドラムの表面に描かれた3尾のししゃもがいつ見ても可愛い。美しく記号化された立ち位置、ボーカル、ベース、ドラムというトライアングルの素晴らしさがある。

 

曲のなかでも、 

「すれちがいのデート」

「きっとあの漫画のせい」

「メトロ」

この3曲が特にドキッとした。今回はそのポイントについて考える。

 

 

「すれちがいのデート」

朝までゲームをしていてデートに遅れてくる彼を、なんだかんだ許して待つ彼女。

デートに遅れたけど、それでも許してくれる彼女のことを好きな彼。

弾むギターのリズムに、ほのぼのとした休日の朝を思い描いて、代わる代わる“彼女”と“彼”の心情を追いかける。ところが二人の展開は思いもしない方向に。でも“思いもしない”のは、彼が見ていた景色の方で、彼女の視点で見ていたら行先は読めたような気もする。

「かわいいやつ」と思っている彼と、「情けないなぁ」と思っている彼女。その心のうちが通じ合うことはなく、大サビへきて

好きなだけでは うまくはいかない

吐き出せなかったものがたくさん

チリになって詰まるんだ

ここから先へは二人じゃ いけないかも 

ここから風向きが変わり始める。

付き合ってから3年は経っているのだろうなあと思うような距離感。落ち着く二人の間の空気はメリットでありリスクで、表裏一体。

「ここから先へは二人じゃ いけないかも」と、さらっと言う声にドキッとさせられるのは、彼の知らないところで彼女が心に決めた、この恋の終わりを見てしまった気がしたからかもしれない。ふとした拍子に顔を出す、淡々とした冷静さは誰の中にも確かにあると思う。

彼のなかでノープランなのは多分デートだけじゃなく、二人のこれからのこともだったのだなと歌詞から感じた。きっと彼は、どうして振られたのかを分からない。

“いつもと同じ”がズレ始める、切ない距離感がヒリヒリと伝わる。これからの道を行くのは彼とではないと、先に気づいた彼女の冷静さはきっとリアルだ。

 

 

「きっとあの漫画のせい」

 歌い出しから淡々と投げやりな感情がそのままに。

もうなにもしたくなくなった

気力が全部溶け出した

気力が無くなるではなくて溶け出したと表現するところに、止めようがなく流れ出ていく様子が想像できる。

がなりとも違うドスの効かせ方が、可愛い声のなかに大人の女性をのぞかせて、行ったり来たりな可愛さに翻弄される。

 

こんなに気分が落ち込むのは

別に、君が煮え切らないからじゃない

うぬぼれないでよ

ボーカルの宮崎朝子さんの歌い方で特に好きなのが、サビ前のフレーズ。「うぬぼれないでよ」の部分と、そのあとにあるもう一つの部分。

今も私があなたを思って泣いてるなんて思うの?

笑わせないでよ

微かに笑い混じりに言う「笑わせないでよ」がマイナス100度の冷たさで、ゾクッとする。

感情が怒りへと変わった時の女の子の強さはすごい。怒りすぎて笑っちゃう感じがリアルだった。感情的にわめいたりはしない、平行な感情にリアリティがある。

 

 

「メトロ」

宮崎朝子さんの歌は、発する声だけでなく息づかいまでストーリーにする。

息を吸う音、吐く音。歌う時に生じるブレスではなく、意識的に置かれる呼吸が印象的に耳に残って、言葉よりも深い感情の動きを表現している。

その表現力を確かに感じたのが「メトロ」という曲。

 

人の波に流され 降りてしまったその駅は

誰にも見つからない二人の待ち合わせ場所

ホームに立ったら 息ができない 

「息ができない」のあとにスゥッと息を吸う音がする。

冷えて乾いたメトロの空気を、口から胸まで吸い込んだ音がして、その呼吸ひとつで彼女が立っているメトロのホームの景色が目の前に広がる。

低音で歌う時の宮崎朝子さんの声はすごく色っぽくて、かっこいい。波状のように広がる揺らぎが繊細で、ポジティブばかりではない感情を、黒くなりすぎず、でもそこにあるままの温度で伝えることができる表現力が素敵だと思う。

 

 

SHISHAMOの曲を聴いていて思い浮かんだのは、ヒールを履いて完璧に着飾った女の子ではなくて、スニーカーに大きめのリュックを合わせるような女の子。

頑張った可愛さというよりも、普段の何気ない拍子にある可愛さだと思う。

「好き好き!」という曲では、歌詞カードには載らない「いえーい」というフレーズがある。絶妙に肩の抜けたニュアンスが、あからさまにテンションが上がるわけではないけど、何かおどけたくなる感じ、という浮遊感を表していてその等身大が可愛いなと思う。

 

SHISHAMOの曲は、人であって、女の子。という感じがするから好きだ。

女の子であって、人。ではないところが。

歌声と歌詞に見え隠れする鋭利な乙女心は、鋭さだけではない本音と強がりのバランス。曲の可愛さだけではないそんな魅力に心惹かれている。

 

想定外の恋心 − 関ジャニ∞「ローリング・コースター」

 

思い込んで Up↑ Down↓

他でもない 僕にとってスウィートなお相手

それってもしや君ですか?

まさに心はローリング・コースター 

 

想定外の恋心に戸惑って、振り回されて、思った通りにいかないもののそれでも頑張る男心。

振り回される状況を“ローリングコースター”つまりジェットコースターに例えているのが正しくぴったりで、意味合いは同じとしてもローリングと言葉が付くことで、360°ぐるっと回る激しめのジェットコースターを想像できるところが表現としてすごい。

 

恋に落ちる予定じゃなかった相手に心揺さぶられている自分に驚きながら、予測不可能で読み取ることができない彼女を想ってぐるぐると考えを巡らせる彼の心情が、手に取るように伝わってくる。

“恋をしている時”ではなく“恋に落ちた瞬間”の、その一瞬のときめきの濃度がこの曲にはある。

まさか好きになるなんて、という感情は、恋愛や人相手に限らず、何かを見つけた時のときめき全てに共通する感情だと思う。それが全く予測しなかった方向であればあるほど、スピードは早く、振り幅と揺り動かされる重力も大きいものがある。

 

関ジャニ∞のアルバム「PUZZLE」に収録されている、2009年リリースの曲で

作詞は田中秀典さん、作曲は野間康介さん。

 

ライブでもバンド曲として強い力のある曲だと感じていて、始まりの掴みが特にすごい。

“思い込んで Up↑ Down↓”と歌い出す錦戸亮さんの声で、瞬間的に「ローリング・コースター」だ!!とわかる。そして歓声の波が、わぁっ!と広がる空気感。

ボーカルから始まり、ギターが入って、“スウィートなお相手”でチキチーとドラムが入ってきて、“まさに心はローリング・コースター”で音がバッと開ける感覚。次のフレーズからベースの音が濃く聞こえ出すところもいい。裏打ちのドラムのリズムの心地よさは最高で、思わずリズムを取りたくなるテンポ感。

曲自体の人気と、歓声が湧きやすい間合いのある絶妙な構成の曲だと思う。

 

 

歌い出しや大サビ前のソロパートからも伝わる、「ローリング・コースター」と錦戸さんの声の相性の良さは格別で、錦戸さんの喉を擦るようなスモーキーな声が際立っている。

渋谷すばるさん×錦戸亮さんのツインボーカル…!というインパクトを感じるのは、「LIFE~目の前の向こうへ~」と「ローリング・コースター」が強い。

しかし、前面に出てきているイメージのある錦戸さんのボーカルは、2番サビになるとハモりに回っていて、その移り変わりの自然さに驚いた。 

 

大サビ前、錦戸さんの声にエフェクトが掛かって、“戦力もない”のあとに一拍置いて、“まさに心はローリング・コースター”で伸ばして歌うところに“ほのめかして”とかぶせ気味でボーカルが重なるところに、盛り上げの黄金比になる間合いを感じる。

バッファロー’66」という映画を教えてもらって以来、「ローリング・コースター」はこの映画にぴったりだと思うようになった。洋画で、日本語版キャッチコピーは“最悪の俺に、とびっきりの天使がやってきた”

この言葉がまた、どこかこの曲の世界観と通じる気がしている。

 

“気がすむまで食べる”の安田章大さんのパートなど、メンバー個々のボーカルパートがあるのも魅力で、“そんなイメージじゃないけどな”と歌う丸山隆平さんの声色からは困り顔が想像できるようなところも好きだ。

ライブで見ていても、順にカメラに大きく抜かれるカット割は楽しさのポイントだと思う。

 

お腹いっぱい食べて、眠たくなって、全額支払ってくれた彼に「紳士ぶってウケる」と言っちゃう女の子。

聴くたびにいつも、女の子のリアクションに謎が多い気がしていた。

好きな人に、ちょっと面白がるニュアンスで「ウケる」とか言うかな…わりと好きな人の前にいる時って緊張してお腹空かなかったり、ごはんが喉を通らなかったりするんじゃないだろうかとイメージしてみて、

そうか…女の子ははなから“彼”に対して何とも思っていないからこその自由奔放さなのかもしれない…と気づいてしまって、気づいてしまったこっちがなんだかグサッときた。

緊張されてない、だからこその自然体。切ない。

 

ほのめかして Up↑ Down↓

紛れもない 僕にとってビンゴなお相手

君はどんな気持ち…ですか?

もはや心はローリング・コースター

伸るか反るかのローリング・コースター

 

“思い込んで Up↑ Down↓”が、“ほのめかして Up↑ Down↓”になっていたり、“まさに”が“もはや”になって、“心はローリング・コースター”と続いていたりするところが、くるくると入れ替わる彼の心情そのものを表しているように聞こえてグッとくる。

そして最後のフレーズになって、“伸るか反るかのローリング・コースター”と言い切るところには、もうー…と肩の力が抜けながらも思い切って挑んでいく様子が思い浮かんで、頑張れ…!!と後押ししたくなる。

なんだかんだで追い続けてくれた彼が側にいなくなってみて、そのことをふとした瞬間に自覚した彼女が今度は矢印が入れ替わって追う側になって、それを待っていた彼と結局は両思いになったらいい。

 

振り回されて報われずな恋を歌うことが多かった関ジャニ∞

最近徐々にエスコートする側の大人な歌を歌うようになってきて、その魅力にもグラッとくるけれど、でもやっぱり眉を下げて翻弄される関ジャニ∞が好きで、追い続けるどこか冴えない男性視点の歌はこれからも歌いつづけていてほしい。