瞳の奥に秘められた宝石。松田聖子さん「瞳はダイアモンド」

 

幼い頃、眠る前に電気を消した部屋の天井に、プラネタリウムみたいな星空を映すおもちゃを点けていた。プラネタリウムの動きに合わせて流れていた音楽は、松田聖子さんの「SWEET MEMORIES」だった。

オルゴール調のメロディーが天井に映っている星と一緒に流れていて、誰のどんな曲なのかも知らず、いつもその音楽を聴きながら眠りについていた。

 

その頃の記憶があるからか、松田聖子さんの曲も声も、以前からずっと知っていたような感覚になる。今聴いても新しく、私にとっては今のアーティストと変わらない感覚で松田聖子さんの曲が好きだ。

「あなたに逢いたくて~Missing You~」や「Rock'n Rouge」が特に好きでよく聴いていたけど、最近また、これ好き!と感じる歌に出会った。

 

松田聖子さんの「瞳はダイアモンド

この歌に聞き覚えはあったけど、意識したのは今回が初めて。

松田聖子さんの歌声の魅力はサビにきやすい高音域よりも、低音域が安定して保てることにあると思っていて、この曲では特に、その良さが際立って伝わってくると思った。

歌い出しの静けさはドキッとするほど大人で、歌詞にもメロディーにも哀愁がある。

瞳はダイアモンド」を作曲したのは松任谷由実さんだと知って驚いた。間奏のメロディーがとても耳に心地いい。

 

歌詞に出てくる言葉の一つ一つが詩的で、宝石みたいに輝いていて、ショーウィンドウに並ぶアクセサリーに見惚れるみたいに釘付けになった。

映画色の街 美しい日々が

切れ切れに映る

古いシアターで見る映像。プツプツと途切れる映像が思い浮かんで、この短いフレーズでその情緒を表現する凄さを感じた。恋をして見える景色を、“映画色の街”と表現するのもロマンチックで、しかし幻想だったと割り切っているような寂しさがあった。

時の流れが傷つけても

傷つかない心は

小さなダイアモンド

という歌詞も、大人になっていく途中にいる繊細さと、芯の強さが同居していて素敵な詞だった。

ダイアモンドは指輪に使われるような綺麗で儚いイメージとは裏腹に、とても強い。電気を通さず、研磨などに使われるほど硬い。しかし瞬時に与えられる力には弱いようで、そういったことを思いながら聴いていると感慨深くなる。

 

ああ 泣かないで Memories

私はもっと強いはずよ

でもあふれて止まらぬ

涙はダイアモンド

輝いているのに、思い浮かぶ歌の中の女性はポロポロと泣いていて、少ない言葉でも彼女の持つ背景が透けて見えた。でも、どこか第三者のような目線で自分を諭し、なだめている様子が感情的ではなくて、強くあろうとする確かな思いがあるからこそ、この歌は美しい。

 

か弱い女性とも違う印象を受けるのは、松田聖子さんの歌声が透き通る可憐さだけでなく、『お』や『い』が子音にくるときなどに、グッと下がる喉の締まりが絶妙なバランスを保っているからだと思う。“追いかけてくれる優しさもない”の、“ない”を溜める間合いもほんの少しのさじ加減で見える色気だと思った。

 

この詞を書かれたのはどなただろうと調べたら、松本隆さんだった。それでもまだ、名前は見覚えがあるけれどピンときていなかったのでさらに調べると、寺尾聰さんの「ルビーの指環」を作詞された方だと知り、好きなわけだ…!と思った。

KinKi Kidsにも多数提供していて、「硝子の少年」も「ジェットコースター・ロマンス」も、そして「薄荷キャンディー」も…!!

好きなわけだ…それは。

大好きなラブソングの「薄荷キャンディー」あの詞を書いたのが松本隆さんだったなんて。

瞳はダイアモンド」と「薄荷キャンディー」を聴いていると、“瞳”についての描写が印象的。

ルビーの指環」と「硝子の少年」を聴いていると、松本隆さんの書く“指環”についての描写は独特で、印象に強く残る表現をされていると感じた。今度また、もっとしっかりと聴き比べてみたいなと思う。

驚いたことに、SWEET MEMORIES」も「Rock'n Rouge」も、松本隆さんの作詞だったということを、今ここを書き終えるまで知らなかった。薬師丸ひろ子さんの「Woman “Wの悲劇より”」も大好きな歌で、私は知らず知らずのうちに松本隆さんの書く詞に惹きつけられていたんだとたった今気がついた。

 

あの頃のアイドルがまとう、驚くほど大人びた雰囲気は一体なんなのだろうと見るたびに思う。今とあの頃、実際に精神年齢の成長速度は違うのか、求められる姿に変わっていったのか。

若々しさと幼いはまた別のものだと思う。今の女性アイドルについてどうと言いたいわけではなくて、好きなところもあるし気に入っている曲もある。けれどあの当時の魅力は独特だと感じる。

 

“元気で明るい”よりも“アンニュイ”が好きで、物憂げで伏し目がちな表情に惹かれる。

そうなると中森明菜さんでは…?とも思うけど、どうしてか好きになる曲は松田聖子さんのものが多かった。ピンクよりもブルーが好きなのに。不思議だなと思う。

松田聖子さんの儚さのプロデュース力はとても魅力的だった。憂いの美しさでいうと山口百恵さんも素敵。

 

なんだかこの歌が好きだな、と思って書き始めた文章で、自分の気がついていなかったことに書きながら気がつくことがあるとは思っていなかった。

知らないことが多いのは楽しい。好奇心に忠実に、自分の“好き”をこれからも開拓していきたいと思う。

 

別れ道だとわかっていても歩いていく「青春のすべて」

 

アルバム「ジャム」には、様々な意味で“置いて行くものへの名残惜しい気持ち”の描かれた曲がいくつもあるように感じた。実際にそうなのかもしれないし、今の自分がピックアップする言葉が無意識のうちにそうなっているのかもしれない。

特に、いきものがかり水野良樹さんが作詞・作曲をして、編曲を本間昭光さんがしている「青春のすべて」は、聴いていると思い出してしまう存在があってどうにも堪えることが難しい。曲として好きだからこそ、いつか普通に聞ける時がきたらいいなと思う。

 

MVを合わせて見ると、四季折々を越えていく関ジャニ∞の表情を見ることができて素敵だった。

始まりの安田章大さんのシーンがとても好きで、万年筆・インクの瓶・手紙というモチーフが印象的だった。“手紙”がテーマとなるものに、私はめっぽう弱い。優しい表情で手紙を綴る安田さんは、書き終えたあと、紙飛行機を作って窓から飛ばす。ポストには出さない手紙。それがこの曲のメッセージのように思えた。

会えないのか、会わないのか、いないのか、それぞれに思い描く景色があるだろうなと思う。

 

「青春のすべて」を紹介される時、この曲は壮大なバラードと称されたりもしていたけれど、私には、小さな生活のなかで感じる言いようのない寂しさや後悔を許してくれる丁寧な曲だと思った。

イントロは確かに壮大で、しかし歌い出しから一変して、声の際立つ繊細さが現れてくる。渋谷すばるさんと村上信五さんのユニゾン。それに続く横山裕さんと丸山隆平さんのユニゾン。それぞれ相性のいい二つの声が重なり合って、曲の空気に覆われていく感じがした。

“秋”を表す紅葉の美しい映像に胸を打たれて、見入っていた。紅葉に手を伸ばす渋谷すばるさんの横顔、瞳にフォーカスが当たった丸山さんの表情、沢山の赤い木々に囲まれて真ん中にポツリと立ち上を見上げる大倉忠義さんの瞳がキュルキュルと光を映していたところ。ぼかしが綺麗で、素敵な映像だった。

 

アルバムで一曲をしっかりと聴く前は、自分もこの曲をスケールの大きな曲として聴くのかなと予想していた。自分の心に思い当たることがなければ、私はこの曲を“曲の中にある誰かの心境”として聴いたのかもしれない。卒業の時期に思い出しては、学生でいられたら「青春のすべて」を卒業式で歌いたかったなあなんて想像をしていたかもしれないなと思う。

 

きっと僕らが生きる明日は 悲しいけどもうひとつじゃない

サビのこの詞が、ふんわりとしたノスタルジーな描写が続く流れから、はっきりとした現実を示していて、聴く度にどきりとする。

卒業でも、別れでも、 わかっているつもりでもわからないことがあって、その“わからない”を「青春のすべて」は歌の歌詞として言い表してくれていると感じた。

置いて行きたくないものがあるけど、進まなくてはいけない時。寂しさを力に変えていくことの強さを信じたくなる曲だった。

 

2番の始まり、

起きがけのニュースで知った いつのまにか桜が咲いたと

と歌うのが渋谷すばるさんなのはベストだったと感じた。渋谷すばるさんがそのフレーズを歌うことで伝わる、生活感の温度があると感じたからだった。日常のなかで、テレビをつけて、桜が咲く季節になっていたことを外の風景を見てではなく、ニュースで知った。歌の主人公が、毎日を無意識なまま生きている様子が伝わってきて、切なくなった。

 

「これまで」を忘れたいわけじゃない

「これから」を想って生きたいんだ

この言葉が何よりの、歩みを進めていかないといけない人の持つ想いのすべてだと思った。

時間が止まるのならそこにずっと残って閉じ込められてもいいけれど、現実はそうはいかないから、時間は進めていかないといけない。映画「味園ユニバース」のカスミのように、時が止まってしまうこともあるけれど、時間を動かすには自分の意思がなければ動けない。

だから言い訳ではなく、“忘れたいわけじゃない”とはっきり言葉にしてくれる歌詞があることは大切だと思う。

 

だからこそ もがいて あがいて 自分なりをつかんで

というフレーズを、男らしい低くて太い声のイメージがある大倉忠義さんと錦戸亮さんが歌い、裏声で、か弱い声色を出してもらうことによって、いつもは強くいるその人の揺れる心の弱さを表しているように思えた。言葉としては強い意味であるはずの“もがいて”、“あがいて”が、強く歌わず空気を含むことで、必死にどうにか歩んでいるんだという情景まで伝わり、すごいと思った。

 

 

 そして僕はなんどもその手を 思い出して泣きそうになって

「情けないな」と悔しがって また前を向くんだろな

安田さんの声色がなんとも言えず胸を締め付けて、ここは安田章大さんの溢れ出る包容力のある声だからこそ成立するのだろうなと感じた。思い出しては、ではなく、『は』を抜いて、“思い出して泣きそうになって”と言葉を詰めることで、感情が込み上げてくる心情が伝わってくる。

“何度も”思い出して泣きそうになるけど、悲嘆には暮れずに「情けないな」と“悔しがって”また前を向く、というところに、悔しがる気持ちが湧くことの強さを感じた。

MVでの安田章大さんの、笑顔とも泣き顔とも取れない表情と、握り合う両手が、この歌詞に込められている意味を表現していて、ほっとするような、悲しみが素直に溢れてくるような気持ちになる。

 

関ジャニ∞がそれぞれにコンビを組んでのユニゾンは、どのコンビにも特色があって素敵だけど、このサビにきての全員でのユニゾンは本当に感動した。入り組んでハーモニーになってではなく、ユニゾンだからこその良さで、目の前に立つ7人が真っ直ぐに声を届けてくれているような、温かさと安心感があった。

 

いつの日にか春がまたきたら 今度こそはちゃんと伝えるよ

君に出会えてよかった 僕は明日を生きている

僕らがみたのは 青春のすべて 忘れはしないよ 季節が変わっても

 

懸命に時を進める覚悟をした主人公の想いがここにある気がした。

“僕は明日を生きている”という言葉が、何よりの“君”への感謝の想いであり、やるせないほど切ない想いを表す言葉になっていると思った。

“いつの日にか春がまたきたら”と歌うところにまだ切なさがあって、春は毎年来るのに、来年春がきたらではないんだと聴いていて思った。主人公にとって受け入れられる時がきたらという意味なのだろうなと思う。だからもしかすると歌詞カードでの表記が漢字で『来たら』では無く、“きたら”とひらがなになっているのかもしれない。

 

それぞれが、心のなかに持つ青春や、忘れたくないもの。これから作っていくのかもしれない青春も、大切であることに変わりはないと、そっと肩に手を触れてくれるような曲だった。

たとえばもし、今はまだ強い気持ちで言えない言葉があったとしても、関ジャニ∞の歌うこの曲があったなら、進んでいけるのかもしれない。

 

穏やかさとパワフルさを持ち合わせた半崎美子さんの歌声

 

初めて半崎美子さんの歌を聴いたのは、2013年のことだった。

父と行ったショッピングモールで、ライブが行われるというアナウンスを聞き、見に行こうかと大広場の石段に座って、歌を聴いた。

パフォーマンスを見たり、アーティストの歌を聴くことが好きで、出掛けるとよく立ち止まって見ることはあったけど、始まるのを待って、そして最後まで聴いていたのはその時が初めてだった。

「希望の桜」リリース記念で行われていたイベントで、ポスターの優しく鮮やかな桜色と半崎美子さんの横顔の写真がとても印象に残っている。

 

そのショッピングモールで初めて、半崎美子さんの歌声を聴いた。

「希望の桜」を聴いた時、言葉にできず一人で抱えていた感情をすっとすくい上げられたような気持ちになった。

十代だった私は、押しつぶされそうな不安と一人で戦っていて、まだ殻の中にいた。「希望の桜」の歌詞は、自分でもどうしてなのか分からないまま傷ついていた心に、浸透していった。 

あなたの心がそこにある限り

必ず笑える日が来る

誰にも奪えないその心に

また同じ景色を呼び戻そう

自暴自棄な心境を、そういう感情の時もあると肯定できたのも、それでもきっと抜け出せる日が来ると思えたのも、この歌をあの時に聴いたからだった。

歌声を聴いて、こんなに包容力のある声があるだろうかと思った。綺麗な声で綺麗な歌を聴いても心は動くかもしれないけれど、半崎美子さんの歌声は、痛みを知っている声のような気がした。

「希望の桜」はアップダウンの激しい歌ではなくて、序盤は特に抑えて歌う部分が多い。けれどその抑えた声が耳に残る。声が泣いていて、歌に溢れるほどの思いが込められているから心を揺さぶられるのだと感じた。

抑えて歌うことができるのは歌唱力がしっかりと築かれているからで、きっと洋楽のようなソウルフルな楽曲も似合う声だろうなと思いながら見ていた。低音のハスキーさのある落ち着いた声色が、とても印象的で好きだなと思った。

 

ライブが終わって、CD販売があった。

その頃の私はとにかく引っ込み思案で、自らそんなコミニュケーションに向かうようなタイプでは決してなかった。

でも、この歌のCDが欲しいと思った。お買い物に行くからと持っていたお小遣いを使ってでもCDを持って帰りたかった。列に並び、自分の番が来た。

さっきまで歌を聴いていた人がすぐそこにいて、目を見てお話しをできるなんて、緊張して仕方がなかった。緊張のあまり何を話したかは覚えていない。どちらかというと父が色々話していて、私はまた父の後ろという感じだったようにも思う。

それでも、まっすぐに半崎美子さんが向かい合ってこちらを見ていてくれていたこと、会話に慣れていない私の話を聞こうとしてくれていた景色は今も覚えている。あの時の写真が今でもケータイには入っていて、それは私の宝物になった。

最近、部屋を整理していたら、当時のフライヤーとイベント案内がちゃんとファイルに入って保存してあったのを見つけた。

 

HMV限定シングルだったらしい「希望の桜」のCDには、「不等号」と「おいていかないで」という曲も収録されていた。

「不等号」が私はすごく好きで、歌詞に出てくる、全く素直じゃない彼女の心の声が好きだった。

この「不等号」という曲での歌声は、「希望の桜」などの穏やかな印象から変化して、パワフルでスピード感のある歌声になっているところも好きなポイントだった。

ipodにも取り込んで、これまでも曲は聴いていて、特に「不等号」には何度ふがいない自分を励まされていたか分からない。また上手く言えなかった…本心を抑え取り繕ってしまった…と後悔するたびに、この歌を聴いて、なにくそー!と思っていた。

 

自分にとっての半崎美子さんとの出会いから9年が経ち、ふと立ち寄ったTSUTAYAで新作コーナーを眺めていると、“半崎美子”という文字を見つけた。

「うた弁」というタイトルの、お弁当の写真が特徴的なそのCDを手に取ると、『メジャーデビュー初のミニアルバム』と紹介文が書かれていた。

思いがけない場所での出会いに、懐かしいあの時の空気や様々な記憶が蘇った。

初めて見たライブから、また見に行けたらいいなとホームページを見てはいたけれど、まだ当時は一人で出かけることにも臆病で、近くの会場に来てくれたらいいなと思いながら待っているだけだった。

そうこうしているうちに月日が経ち、あの時のお姉さんがメジャデビューを果たすという知らせを、私はあの場で初めて知った。

 

メジャーデビューを知ってから数日後、テレビを見ていると次週の番組予告が流れた。

それは日テレの「深イイ話」の次週予告で、そこに映っていたのは半崎美子さんだった。一瞬でわかった。変わりなく、ショッピングモールでCDを手渡すその姿とその声に、半崎美子さんだ!と声をあげて父に知らせた。

番組はもちろん、しっかり録画をしながら見た。すごいな…本当にメジャーデビューされたんだな…と思っていると、間髪入れずに、更なる驚きが待っていた。

 

2017年6月18日放送の「関ジャム完全燃SHOW」で、蔦谷好位置さん、いしわたり淳治さん、tofubeatsさんの3人が紹介する上半期ベストソングという企画の中で、いしわたり淳治さんがなんと半崎美子さんの曲「お弁当箱のうた〜あなたへのお手紙〜」をランキング内で紹介されたのだった。

毎週食い入るように見ている「関ジャム」に、半崎美子さんの曲が流れている。

もう、感動という次元ではなかった。驚きすぎて、嬉しすぎて、口に手を当てて固まるしかなかった。

しかも紹介していたのはいしわたり淳治さんで、言葉の紡ぎ方に心を掴まれて自分の尊敬している方が、この曲がいいと紹介をされている。いしわたり淳治さんの言葉で。そしてそれを関ジャニ∞が聞いている。なんて凄いことなんだと、衝撃が収まらなかった。

 

この時の紹介を聞いて初めて、NHKみんなのうたで「お弁当箱のうた」が流れているということを知った。私が勝手に嬉しいなと感動したのは、いしわたり淳治さんが着目した点が「お弁当箱のうた〜あなたへのお手紙〜」に込められたメッセージと曲そのものへの魅力についてであったことだった。

歌を聴いていると涙が溢れることも、ショッピングモールで歌い続けることも、半崎美子さんの魅力であり努力であるけれど、それだけではなく、半崎美子さんの曲そのものと歌声にどれほどの魅力があるかということを純粋にシンプルに伝えてくれた、いしわたり淳治さんはやっぱり事の本質を見抜く方だと、嬉しい気持ちでいっぱいになった。

 

あの時から音楽は好きで関心を持っていたけど、まだ自分なりの自己表現の仕方を見つけられずにいて、あの頃はライブ写真を撮ることを仕事にしたいと思っていた。

今も写真が好きで、人物写真を撮りたいという思いは持っているけれど、こうして文章を書くことを見つけて、今はそうした形を通して音楽やエンターテイメントを創る過程に携わりたいと考えるようになった。

こうして自分の文章で半崎美子さんの歌について思いを綴る日が来るとは想像もしていなかったけど、もっと胸を張れる自分になって、また半崎美子さんの歌を聴きに行けるように。

半崎美子さんが歌い続けてきたこれまで、そしてこれからを見つめていく一人に私もなりたい。